第三章4 『もなかと遊ぼう ~風車編~』

「お、お腹が……」

『痛むんですか、腹痛に効くお薬お持ちしますか!?』

「……お腹、空いた」


 しん、場を空虚な沈黙が包む。

「お腹、って……おまん、食うとったじゃろ」

「だ、だって本当なんだもん。継愛の字を見たら、急に……」

『……もしかして文字からトウフウさまが想起したイメージが、身体に影響を及ぼしたのではないでしょうか』

「あー、そういう効果になってしまうんじゃな」


「お兄ちゃん、本当は違うことがしたかったの?」

「ああ。秋山が『好きな文字を見れば、力が湧いてくる』とか言うとったじゃろ?」

 美甘は絵魔保を持った手を、反対の手の平に軽くぽんと打った。

『なるほど。トウフウさまがお好きな食べ物の単語から、力を得てもらおうと思ったわけですね』


「じゃけんど、思い通りにはいかんかったのう」

「ごめんっ、だけどやっぱり食べ物のこと考えたらお腹が空いちゃって……」

「いや、気にせんでええ。よう考えたら、戦って熱うなってる最中に食いもんの字なんて書けんしのう」


「ふふふっ、でも、これいいかもっ。満腹になっても継愛に字を書いてもらえばご飯でもお菓子でも、食べ放題じゃない!」

『……当店でそれをされたら、つまみ出させていただきます』

「強制退店ッ!?」

「ちゅうか、ほんなことやったらあしの財布が空腹じゃ」

「……ううっ、あたしの完璧な計画がぁ」


「どんまいだよ、トウフウちゃん。お侍さんは腹ペコでも爪楊枝だよ!」

『……そうそう、侍といえば』

 美甘は絵魔保を口から外し、ぽんと手を合わせて店の奥に引っ込んでいった。

「何かしら?」

「侍っちゅう言葉に反応しとったようじゃが……」


「もなか、知ってるー。でも秘密なの」

「秘密って……」

「“しーくれっと”で“さぷらいず”なんだよ。だから、秘密」

「気になるわね。知ってるなら教えなさいよ」

「ダメだよー、秘密」

「教えなさいよー!」


 こんまい二人が親友同士のように戯れていると、とんとんと軽い足音を響かせて美甘が戻ってきた。

 彼女は手にわか紫色の上着と海老色の袴、他に白衣(はくえ)やら足袋(たび)、草履も持っとった。


「こじゃんと色々持ってきたのう」

「なんか男着みたいだけど、色合いは女性っぽいわね」

『はい。トウフウさまに着ていただけらと』

「えっ、あたしに?」


「はい。十二単ではどうも動きにくそうだと思いまして」

「言われてみれば、確かに」

「よう考えたら、日中はずっとその恰好じゃったのう」


 しげしげと眺めたが、トウフウの着とる着物は今しがた仕立て終わったかのようにきれいじゃった。

「色々あった割には、全然汚れとらんのう」

「でしょー。日々の手入れの賜物(たまもの)よ」


『……手入れでどうこうなる域を越えてる気もしますが、一旦置いておきましょう。それでどうでしょうか、着ていただけますか?』

「ええ。せっかく用意してくれたんだもの。やっぱり晴れ舞台にはその場にふさわしいおめかしをしていかないと!」

「勝負服ならぬ、武将服だね!」

「ふっふーん、そういうことよ」


『では、あちらのお部屋に行きましょう。お着換えはお手伝いさせていただきますので』

「ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えるわ」

「もなかはどうすればいいの?」

『継愛さま、よろしければしばらくの間、もなかの相手をしていただけませんか?』

「おう、かまん(構わん)ぞ」

「わーいっ、お兄ちゃんと遊ぶー!」


「ではトウフウさま、参りましょうか」

「継愛、あたしの新しい魅力を見せてあげるから! 目ん玉を洗って待ってなさい!!」

「……目ん玉洗うって、どうすればいいちや」

 すでにトウフウの耳には届いておらず、彼女は鼻歌を歌いながら美甘の背に続いて裏手に去ってしまった。


 残されたもなかはあしに身を乗り出して訊いてくる。

「ね、ね、何する? 何して遊ぶ?」

「そうじゃな、もなかが好きなことでいいぞ」

「じゃあこれしよ、これ」

 もなかは帯の背中側に差していたもんを抜き取った。

 ほりゃ、折り紙の手裏剣を棒の先につけたようなもん。


「風車か」

「お兄ちゃん、知ってるの?」

「ああ。ちっちゃいころよう風の強いところで回しとったな」


「そうなんだー。でもねでもね、実は風が吹いてなくても回す方法があるんだよ」

「ほほう。どうするんちや?」

「口でね、ふーってするの。そうすると、くるくるーって回るんだよ」

「なるほど、ほりゃえらい(すごい)のう。実際にやってみせてくれんか?」

「うんっ、見ててね」


 もなかは口をすぼめて、風車の羽の部分にふーっと息を吹きかけた。

 すると風車は勢いよく回転を始めた。思った以上によう回っとる。まるで強風に吹かれたみたいに。

 もなかが息を吹きかけるのをやめてもひさに羽は止まることなく、視界が歪むんやかというぐらい見続けた後に、ようやく回転の勢いが衰えてきた。


「どうどう、すごいでしょ?」

「そうじゃな、もなかは風車を回すのが上手いんじゃな」

「えへへー。ね、ね、お兄ちゃんもやってみせてよ」

「おう。貸してみ」


 受け取った風車をちっくと観察してみる。

 何か特別な細工がしてあるわけじゃない。ごくごく普通の玩具じゃ。

 果たしてこれが、幼子の肺活量であんなに回るもんなんじゃろうか?


 ……負けられん。

 あしの胸中で、熱き闘志がめらめらと揺らめき始める。

 こんな年端もいかぬ少女に、負けて堪るか。もしもここで無様に敗北したら、師匠に笑われる。いや、情けなさに憤慨して、土紗の地をもう二度と踏ませてもらえんかもしれん。

 負けられん。


 あしは大きく息を吸い込み、ふっと羽に息を吹きつけた。

 羽が吐息に押され、車輪のごとく回転を始める。

ええ回りっぷりじゃ。けんど、無風の店内ではすぐに勢いを失ってしまい回転をやめてしまう。

「わぁっ、お兄ちゃんも上手だねー」

 もなかの賞賛を受けながらも、あしはがくっと肩を落とした。


 ……負けた。

 明らかにもなかがやった時の方が回転の勢いがよく、持続時間も長かった。

 何がいけなかったんじゃろうと、内心で考察する。

 やはり力みすぎたんじゃろうか? それはあるかもしれんが、勢いをつけるには強い押し出しが必要不可欠なはずちや。あるいは最初まったく(弱く)、徐々にがい(強め)にするとかコツがあるのかもしれん。


 じゃとしても、まだ十分に体もできとらん子供の肺活量で健康体の大人に勝てるとは到底思えんのじゃが……。

「どうしたの? 具合、悪いの?」

「いや、ちょっと落胆というか、自信の喪失がのう……」

「辛いことあったの? よしよし、よしよし」

 こんまい手が頭の上に載せられ、優しく撫でてくれる。


「お姉ちゃんね、もなかが落ち込んでると、いつもこうしてくれるんだよ」

「……ほうか。ええお姉ちゃんじゃな」

「うんっ!」

 一片の曇りもない笑顔。そこには純粋な善意が輝いとる。


 感謝すべきなのかもしれんが、今のあしには逆効果で。屈辱は一撫でごとにどんどん雪だるま式に膨らんでいっとる。けんど幼い女の子が好意でやってくれとることを無下にもできるはずもなく、あしは緩慢な責め苦にじっと耐え続けるしかなかった。


『もなかー、もなかー』

 店の奥から聞こえてきた美甘の呼びかけに、もなかは「なーにー?」と返す。

『トウフウさまにお風呂入ってもらうことにしたけど、もなかも行くー?』

「お風呂!? 入る入るー!」

『じゃあ、こっち来なさーい。外着に着替えさせたげるからー』

「はーい!」

 もなかは風車を机に置き、駆け足で美甘の元へ駆けていった。


 あしも声を張り上げ訊いてみる。

「銭湯は近いんかー?」

『戦闘試験には間に合いますよー』

 かくしてあし等は近くの銭湯に行くことになった。

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