第一章3 『神風』

「ちっ、俺様の堪忍袋の緒が悲鳴を上げてるぜ。なあ、のっぽよぉ」

 スサノオは男の胸倉をつかみ、軽々と持ち上げた。

 男は足をばたつかせて抵抗を試みるが、じぶんよりもデカく力の強い相手には一切の効果がなかった。


「人間ってヤツぁ、いつから自分の身の程を弁えなくなったんだっけなあ? 上位なる存在である俺様達神を神さんなんて舐め腐った呼び方をしやがるようになったのは、どういう原因があったけか?」

「ゆっ、ゆる……じ……」

「そうだ、字だッ!」

 男の体を汽車の車体に勢いよく叩き付け、スサノオは怒鳴る。男の喉から出てはいけない声が響いても気にせず、彼女はまくし立てる。


「字なんてもんを発明してから、人間は神を見下すようになりやがったッ! 自分達は知識ある賢い存在だとか勘違いして思い上がるようになったんだッ!! ふざけた文章を書くようになって、嘘塗れの神話をでっちあげ、あまつさえ宗教とかいう俺様達を利用して権威と金を得ようとしやがるようになった!! ざっけんじゃねえ、神は人間の道具なんかじゃねえんだぞッ、この畜生どもがッ!!」


 何度も何度も叩きつけられ、男はとっくに意識を失っている。それでもスサノオは男への暴行をやめない。

「寝てんじゃねえッ! なんとか言ったらどうだゴミヤロォオオオオオッ!!」


「――やめいッ!!!!!!」

 あしの一喝でスサノオは黙し、こちらを見やってきた。


「……なんだお前?」

「あしのことはどうでもええ。それより、その男をざんじ放してやれ」

「ざんじ? はっ、何言ってんだ」

「今すぐという意味じゃ。土紗弁はわからんか?」

「方言以前に、言ってる意味が一切わからねえよ。人間の分際で、どうして神に口で命令できると思ってんだ?」


「おまんこそ、無辜(むこ)の民に害をなすことが許されると思うちょるんか?」

「さっきからわけわかんねえこと言ってんじゃねえぞこの畜生がぁッ!!」

 怒号と共に黒雲から雷鳴が射出され、一瞬の内に眼前の地面を焦がした。異臭を漂わせて黒い煙がゆっくりと立ち昇る。


 スサノオが身を反らして高笑いを響かせ、嘲るような目線をよこしてくる。

「どうだ見たか、俺様の力を。お前を消し炭にすることなんて、指一本動かさずともできるんだぜ」

「確かにおっかないのう。その雷に打たれたら、ひとたまりもなさそうじゃ」

「ははっ、わかってんじゃねえか」


「じゃけんど、スサノオ。おまんの雷がいかに強力じゃろうと、それは胸を打たん」

 あしの言葉にスサノオは頬をぴくっと震わせ、目をすがめる。

「はあ? お前何言ってんだ?」

「力に任せて振るうている、空しいだけのもんだと言うてるんじゃ。そんなの赤子がほたえているのと変わらん」


「……俺様が、赤子だと……っ!?」

 ベキッ、やっこさんは骨を鳴らして息を荒く舌。

「どうやら死にてえようだな?」

「いいや、あしが言いたいのはそがやない」


 あしは和装本を開いて、真っ白な紙面に筆を走らせた。

 墨汁の飛沫が飛び散るほどに素早く動かした筆は、荒々しく力強い線を残していく。

あっちゅう間に書き上がったある一字、それをあしはスサノオに見せつけてやった。

「おまんには、これが足らんってことぜよ!」


 途端、スサノオは顔を歪めて拳を震わせる。

「……文字、文字だとっ……!?」

「どうしたが?」

「このヤロウ……ッ、よくも文字を……、文字を俺様に見せたなぁッッッ!!」

 黒雲が白い光を発し、轟きと共に一撃の落雷をあしに向かって射出した。


 一瞬のことであしはその現象をただあっぽろけて眺めちょるしかできんかった。

 落雷が迫ってくる中、あしはげに短い生涯じゃったなとぼんやり考えちょった。不思議なぐらい落ち着いていて、これから死ぬってわかっちょるんに不思議と怖くなかった。


 そして目の前が真っ白になった瞬間、一陣の風が吹いた。

 強い風じゃった。体がどこかに吹っ飛んでいきそうなぐらいの、凄まじい強風。

 気付けば光は治まっていて、あしは依然変わらずその場に立っとった。


 つい今しがた落ちたはずの雷はどうなったがかと周囲を見やると、かなり遠く離れた地面の一ヶ所が無残にも砕けていた。

 どういうつもりじゃとスサノオを見やったら、そいたぁ自身も目を丸くしちょった。

「……な、何しやがった?」

「さあのう。神風でも吹いたんやか?」

「この優男がっ、とぼけてんじゃ……」


「ええ、まさしく。神風は吹いたのよ」

「誰だッ!?」

 スサノオとほぼ同時にあしは声の方を見やった。

 そこには扇子を手に立つ、一人の少女がいた。

 彼女は毅然とした表情でスサノオを睨みやり、閉じた扇子で風を切り先端をヤツへ突きつけた。


「暴虐の権化となりし邪神、スサノオ。あんたをあたしが成敗してやるわ」

「はっはあ、威勢だけはいいじゃねえか。だがそんな華奢な体で俺様にかなうとでも思ってんのか、小娘?」

「あんたの雷はあたしには通用しないわ。雷雲なんかまとめて全部吹き飛ばしちゃうんだから」

「雷なんか小手先の攻撃に過ぎねえ。俺様の真価は、この怪力よッ!」


 スサノオが振りかぶった拳を機関車の車体に叩き付けると、それは厚紙でできていたかのようにめきっと凹み。次の瞬間甲高い音を立てて砕け、穴ができた。

 素手だ。スサノオは素手のただ一殴りで、鉄の車体をぶち抜いたのだ。


「逃げ出すんなら、今の内だぜ?」

「へっ、へ、へー。す、すごいわね? た、大した力だけど、ぜ、ぜ、全然あたしは平気だし? 怖くなんて、な、な、ないんだから!」

「ガタガタ震えながら言われても、頼もしさなんて皆無ぜよ」

「ふ、震えてなんかないわよ! ぜ、全然、へっちゃらなんだから!」


 どう見ても震えちょるし、へっちゃらだとは微塵も信じられない。

 万事休すやと空を仰ぎかけた時、着物の裾をくいくい引かれた。


 この窮地に誰じゃと見やると、絵魔保で口を隠した美甘が傍らに立っちょった。

 ここにおったら危険ちや、そう言おうとしたが先に言葉を発したのは彼女じゃった。


『あの子と書契(しょけい)をしてください』

「しょ、処刑……? 何を言うちょるんじゃ?」

『あなたの想像しているものは多分、違います。書字者の方は、神と書契することで彼等の持つ力を最大限まで引き出したり、さらなる能力を付加したりするそうです。そうすればトウフウさまも、あの荒くれの神に対抗できるかもしれません』


 傍(はた)で聞いていたトウフウが明らかな震え声で言う。

「あ、あたしは、い、今のままでも大丈夫だし? スサノオなんてヤツ、コテンパンにできちゃうし?」

「疑問形になっちょるがな……。で、美甘。書契っちゅうのは、どうやるんじゃ?」

『継愛さまの筆で、トウフウさまの体に何か文字をお書きください』

「文字を? それだけでええのか?」

『おそらく。ただ、書いた文字は継愛さまかトウフウさまのどちらかが死ぬまでトウフウさまの体に残ってしまいますので、慎重に選んでいただいた方がよろしいかと』


 言い終わった直後に間髪入れず、喚き声が飛んできた。

「え、それ入れ墨ってこと!? い、イヤよそんなの! 肌に洗っても消えないのが残るなんて!!」

 自身の体を抱きしめるようにして嫌がるトウフウに、美甘は詰め寄る。

『ですが、この状況で他に打開策はありますか?』

「う、そ、それは……」


 トウフウがちらりと見やった先、スサノオが腕を組んでニヤニヤ笑いながらあし等が話し合う様子を眺めていた。

「無駄な作戦会議は終わったか、ええ?」

 暇つぶしにか持っていた線路の枕木を容易くベキッとへし折った。

 ひっ、と出かけた悲鳴を飲みこみ、トウフウはあしの手を取り早口で言った。


「書契賛成ですっ、今しましょうすぐしましょ、むしろしてくださいお願いしますッ!」

「お、おう、わかった」

 あしは墨を吸わせた筆を手に取り、美甘に訊いた。


「本当にトウフウの体に文字を書くだけでええんじゃな?」

『はい。書極めし者の字あれば、神の御心と契を交わさん。この一節はかつての筆学所通いの子供でさえ知っていたそうです』

「わかった。じゃあトウフウ、書契するぞ……って、何やっちょるん!?」


 衣擦れの音を立て、トウフウはいきなり服を脱ぎ始めていた。

 彼女は頬を赤く染め、肩越しにこちらを振り向いて吠えた。

「だっ、だって、普段見える場所に書かれるのはイヤじゃない! できるだけ目立たない場所に書きなさい、いいわねッ!!」


「目立たない場所っちゅうと……。脇の下とか股の間か? それとも腿に正の字でも書いちゃろうか?」

「あのねぇ~~~ッ……、常識的な場所を選びなさいよッ!!」

「注文が多いのう。じゃあ、背中とかどうじゃ?」

「いいわよ、そこで。ただ、変なもの書いたら許さないからね!」

「その変の基準はどういう感じなんじゃ?」

「それぐらい自分で判断しなさいよッ!」


 なかなか理不尽である。

 あしはトウフウの着物の下から露わになった背中を前に、ちっくとばかし考えた。

 どういう字なら、こいたぁ納得するか?

 じゃがそういう考えじゃあ、ええ字は書けん。


 思考を切り替え、問いの方向性を改める。

 どの字なら、トウフウを満足させられる書ができるか?

 とっさに思いつく字など、一つしかなかった。

 あしは筆を構え、首のすぐ下、背骨が通る真ん中辺りを凝視した。

 その白い素肌を紙面に見立てて筆を落としていく。


 墨色に染まった毛先が触れた瞬間、トウフウはビクッと体を震わせて、「ひゃっ」と声を上げた。

「動くな」

「で、でも……」

「二度は言わん。動くな」

「う、うん……」


 それでも毛先を肌に滑らす度にトウフウは「んぁっ」だの「はぅん」だの鼻がかったような声を漏らした。

 じゃけんどそれもしゃーないのかもしれん。


 書き進めていくと次第にただの墨汁が残した線から不可解な熱が発されてきて、トウフウの肌が赤らんできた。

「はぁ、あぁっ……! け、継愛……。なんか、すごい体が火照ってきて……」

「もうすぐ書き上がる、じっとせい」

「くぅっ、んぅっ……! うぁううんっ、なっ、なんか来る……、来ちゃうゥ!!」


 最後の一線、それを命毛を離し、書き切った瞬間。

「あっ、ふぁあっ、ああァアアアアアアアアアアアンッ!!」

 体をのけぞらせ絹の切れたように鳴き狂い。同時に書き上がった文字から紅の焔が迸り墨よりさらに黒々となり、赤らんだ肌に焼き付いていった。

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