7. 天舌

 偽の落雷と言ったが、この時はそんな事は微塵もわかっとらん。まさに青天の霹靂で、何事かと見まわすと、防風林を透かして見える水平線にな、伸ばしたソバ粉のようにとした、黒い雲がかかっておった。

 見たことのない雲だが、雲が光ればいちおう遠雷が届くし、理屈にゃ合わんがさっきの音もあの雲からかと勘繰った。

 空気も急にんやりしてきて、風も出て来た。こりゃ嵐の気配だ。嵐がくるなら浜へ行って舟を陸に上げなきゃならんし、もし大風たいふうなんだとしたら家の守りも固めにゃならん。どっちに行くか考えとったら


「笠の神様すごいなぁ。でも困ったな、まだなんの準備もしてないや」


 眉尻を下げて娘が言った。そりゃあ嵐は困ったもんだが、娘が言ったのはどうもそういう意味ではなかった。

天舌てんぜつに見合う対価、この村にあるかな」

 娘は右目を手で覆って、ヒトの左目で雲を見ておる。

 儂はどういうことなのか尋ねた。

 また、どかん、と肝が冷えるような落雷の音がする。


「これ、モノの怪の声なんだ。天舌てんぜつっていう、嵐のふりをする龍だよ。わたしはあれに用がある」


 だんだんに空も陰ってくる。 

「わたしのお腹には厄介な居候がいてね、そいつを追い出すために天舌てんぜつの舌が欲しい。翡翠の海に住む龍の、何もかも吸いあげる舌が。だけど、わたしたちが勝とうと思ったら、それなりに準備がいるんだ」

 娘は不愉快そうに口の端を歪め、こう続けた。

「モノの怪の王様だからね、龍は強いよ。ふさわしい対価を受け取って、仕事として背負えばこっちも強くなれるんだけど、あっちが来るのが早いね」

 言い終わるなり、娘が儂の手を取ってやまぱらへ引いていく。何をするつもりなのかと、儂は手を振り払った。

「何って、逃げるんだよ。きみには『明日も生きる』って選ばせちゃったし、今日死なせるわけにいかないもん。天舌てんぜつは人の住処すみかを狙って舌をのばすから、山に隠れれば安全だよ」

 それは飲める話ではなかった。嵐になれば、みな家に籠もるにきまっとる。おっ父様とさやおっ母様かさや、村の連中をほっとく訳にはいかん。

 そうこうするうちに、ひゅうひゅうと風も鳴り出してくる。あまり時間があるようにも思えん。

「対価がありゃ勝てるんだな!?」

 娘は訝しげに頷いた。儂はこのときに作ったのだな、化け猫に百年の借りを。


「そんなら、あんたを神様にしてやる!」

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