4.7. 計画

 アカネと〈アーカイバ〉たちは、二世紀もの間行われなかった事業を復元しようとしている。素材は弾道ミサイル、トライデント2。全長十三メートル、直径二メートル。三段式の固体燃料ロケットで、航続距離は一万キロ。搭載されているのは475ktの威力を持つW88核弾頭で、搭載重量は360kg。当然だが普通のロケットのように先端のフェアリング内部に人間を搭載することはサイズ的に不可能だ。


 アカネは最初から、ペイロードとしてピピを想定していた。〈娘たち〉の全員を地球に誘き寄せるとはいえ、アカネも施設の全てを把握しているわけではない。想定外の防御装置があったとしてもピピがいれば安心だし、気密も保たれている。だからピピにミサイルを括り付ければ楽勝だろうと思っていたが、問題が二つあった。


 一つは、単純に重量バランスが悪いのだ。特にレールガンの砲塔が厄介で、これでは真っ直ぐに飛ぶことすら難しい。当然ピピにカウンターウェイトを載せてバランスを取る事も出来たが、そうなると当然可搬重量が減ってしまう。


 この辺の計算は理論天文物理学が担当のトキコが行っていたが、ずっと眉間に皺を寄せっぱなしで皮膚に跡がついてしまっているほどだ。パソコンでシミュレーションを行い、搭載位置を変更し、制御プログラムを変更し、再度シミュレーションを行う。数日かけて辛うじて飛べるような配置を編み出しはしたが、トキコは到底満足しなかった。


「第一段はいいのよ。でもそれを切り離して第二段、第三段と燃焼させようとしても、どうしても重量バランスが崩れる。どうしたらいいのかしら」


 トキコが頭を悩ましている間、アカネは別の悩みを抱えていた。謎のプロテクトだ。明らかにピピは、何らかの手段によって意識を束縛されている。しかしセレネの力を借りて散々分析してみたが、どこにもそんな物は見当たらない。粘菌自体が何かしらの化学処理を施されているのではとも思ったが、ガラス玉の中の粘菌と〈アーカイバ〉が保持している物では違いが見つからない。


 どういうことだろう。アカネは悩んだが、トキコはあまり気にしていない様子だった。


「元々、それが粘菌の性質だということじゃないかしら」


「そうかな。原因が明らかにならないと、とてもピピを信用出来ない。いざ月に辿り着いたら裏切られるとか、そんなのたまんないよ」


 アカネの懸念に、トキコは微笑みで答えた。


「もしそれが〈娘たち〉のためのプロテクトなら、ということでしょう? でもそれなら、元々彼女たちを裏切った4番目のアカネをご主人様なんて呼ぶと思う?」


 確かに。とすればプロテクトには全く別の目的があるのだろう。アカネは諦め、次の仕事に取りかかることにした。


 パークスは機械電子系の人員を集め、ミサイルのリストアに取りかかっていた。〈アーカイバ〉たちはミサイルのメンテナンスを代々欠かさず行っていたが、それが本当に機能するかは誰も知らない。分解し、手元にある設計図と構造を照らし合わせ、全ての部品の機能を改める。これも相当に時間がかかる作業だった。いざ通電させてみたら駄目になっている部品もあり、それはまた別のミサイルから移植する。結果として五本中二本は部品取りに使ってしまいそうな勢いだったが、とりあえず試験機の点火は出来そうだという所まではいく。問題は推進剤だ。これは可燃金属と酸化剤を練り合わせたコンポジット推進薬で、液体燃料に比べて安定しているとはいえ二百年が経過している。どの程度使えるかは実際に点火してみるしかなかった。


 化学担当のエスパルガロはプロジェクトに加わることはなかったが、一通り亥の街の難民たちを〈連合〉や辰巳に送り出すと、次に新たなドーフ・ワゴンの製作に取りかかっていた。〈娘たち〉の脅威が和らいだとはいえ、最大の敵が潜んでいる。ロッドだ。彼女の襲撃は十分に予測できる。〈連合〉の兵士はセレネが取りまとめる事になったが、その数は三十人にまで減っていた。この程度ではロッドが怪物たちを引き連れて現れたら防ぎようがない。音響抑制装置の効果は未知数だったが、打てる手は多いに超したことはない。


「とはいえ、他に出来ることは偵察くらいね。袁山に偵察しに行くわ。どれだけ化け物が残ってるか確認するために。それに私のMMWが回収出来るかもしれないし――」


 セレネは提案したが、アカネは即座に頭を振った。


「駄目だって。ロッドはあそこにいる可能性が高い。無事に戻ってこれる可能性は万が一くらいだよ」


「じゃあ、中には入らない。遠目に見てくる。それでも状況はわかるわ」


 街を離れたいのだろうと察し、アカネは不承不承承諾する。街には身内を〈魔女狩り〉に殺された住民が大勢いる。アカネはそういう視線は耐えられる――というか元々無視出来てしまう性格だったが、圧倒的な劣勢下で針のむしろになっているような状況はセレネには耐えがたいのだろう。


 アカネはピピを改造する作業を進めていた。元々バイクのシートに二人乗っていたようなものだから、ロケット打ち上げの加速を受けたら耐えようがない。そこで変形機構に干渉しないよう背もたれを取り付け、シートベルトを括り付けた頃だ。辰巳回廊の方向から地震に似た轟音が響きはじめ、アカネは慌てて〈アーカイバ〉の第二施設に向かった。


 治具に固定されたロケットエンジンが、巨大なエネルギーを放出していた。パークスはサングラスをしてその炎の塊を眺め、他のメンバーはパソコンで出力をチェックしている。大丈夫だろうか、とアカネが見つめている間に、エンジンは何度か苦しそうに息継ぎをした。不完全燃焼だ。しかしその度に炎は息を吹き返し、最後の燃料が燃え尽きるまで放出され続ける。


 パークスは結果の分析を行い、夕方のミーティングで説明した。


「固体燃料ロケットの限界だ。劣化した燃料部位に行き当たれば、燃焼が停止する。それは変えようがない。あのミサイルで安定した飛行は不可能。以上だ」


 簡潔ではあるが的を射る報告だった。ロケットと大層に言うものの、固体燃料ロケットの仕組みはロケット花火と原理的には変わらない。一度火を付けたら燃え続けるのに任せるしかなく、液体燃料と違い推力の調整が殆ど利かないのだ。


 参ったな、とアカネは背もたれに寄りかかり宙を仰いだが、暗い顔の面々の中でトキコだけは鋭さを失っていなかった。テーブルの上で手を組むと、おもむろに発言する。


「それは丁度いいわ。私もピピを乗せたロケットで垂直飛行出来るようTVC制御を試みていたけれど、どうしても一段目から二段目に移る時に不安定になる。それに最大の問題は、推進じゃなく減速よ。ロケットで重力の中間地点まで行ったとして、そこからは月の引力に引かれての自由落下になる。月面では時速一万キロを超えるわ。これを何とか減速しなきゃいけないんだけど、とても逆噴射用のロケットなんて積める訳がない。でも別に、それでもいいんじゃないかって気がしてきたの」


 疲れすぎて頭が回っていないのだろうか。意味不明だ。


「トキコ、大丈夫?」


 思わず尋ねたアカネに、彼女は笑みを浮かべる。そして黒板の前に歩み出ると、チョークを手に取って水平線を引いた。


「地球」そして上の方に円弧を描く。「月。今の私たちは、安定して長時間飛ばすことは難しいし、減速する事も出来ない。でもこれがある」と、円弧と地球を、一本の線で繋いだ。「お話は簡単よ。私たちは空を飛ぶんじゃなく、〈ミハシラ〉の上を走ればいい。それなら多少不安定でも、姿勢制御を失って墜落したりする恐れはなくなるし、摩擦を利用すれば減速も可能」


 誰からともなくうなり声が上がる。アカネもその中の一つとして、「えぇー」と声を上げてしまっていた。


「いやトキコ、話は簡単だけど簡単じゃないよ。そもそも〈ミハシラ〉の構造がよくわからないし、フックか何かを付けるにしても強度がわからないし――だいたいミサイルを担いで袁山の頂上まで行く? それ可能?」


「難しいのは二段目以降よ。だから第一段で飛べるだけ飛んで、〈ミハシラ〉に取り付く」


「えぇー」どうしてもその声が出てくる。「でも固体燃料の不安定性はどうしようもないでしょ。違う?」


 ふむ、とパークスは腕組みして唸った。


「その作戦なら関係ないんじゃないかな。〈ミハシラ〉に届けばいいだけだろう」パークスは立ち上がり、トキコの描いた絵に線を加える。丑寅から飛び立ったピピは袁山に向けて飛び、そこから〈ミハシラ〉に沿うよう垂直に移行する。「こういう姿勢制御は可能か?」


「問題ないわ。何しろ元がミサイルだから」と、トキコ。


「ふむ。残り四本の燃料の劣化部位は非破壊検査で突き止めていて、〈ミハシラ〉までたどり着ける程度まで問題なく燃焼させられる物はあった。あとは飛べるだけ飛べばいい」


「えぇー。でも確か今の計算だと、最大で時速一万キロになるんでしょ? とてもピピの車軸は――というかどんな車軸だって耐えられないよ。他の手を考えるにしてもミハシラ〉の細かい構造がわからないと――凸凹だったらとても走れないし――ひょっとして誰か、知ってたりする?」


 一同は違いを探り合う。そこで末席にいた人物が、戸惑いながら片手を挙げた。


「えっと、何の話か全然わかんないんだけど。〈ミハシラ〉がどんな形になってるか知りたい? 細かいところを? そういうこと?」


 最初から、どうしてそこにいるのかわからなかった。マーティンだ。呆れて目を向けるアカネに、トキコは目を輝かしながら頷いた。すっかり忘れていた。トキコも結構変わり者なのだ。とてもアカネでは思いつけないような突拍子もない計画を立てて、自分で喜んでいる。


 マーティンは馬鹿だったが、〈ミハシラ〉の構造は良く覚えていた。ひょっとして粘菌のおかげで知能が低下してしまっているのかもしれない。自分が寄生される以前の事は良く覚えていて、悩みながらも細かいスケッチを描いて見せる。


 望遠鏡で見れば、〈ミハシラ〉が網の目状のフラクタル構造をしているのはわかる。大まかなサイズもわかる。しかしこの計画には、些細な表面構造を知ることが必要だ。その点、マーティンの情報は非常に役に立った。


「登って遊んだ。風が上に向かって吹いてるから、舞い上がるように登れた。楽しかったよ」


 虚ろな瞳で呟きつつ、紙に鉛筆を走らせる。彼の父親は〈ミハシラ〉の構造を詳細に調べていたらしい。そのメモの内容も克明に覚えていて、アカネの疑問に次々と答える。そしてその構造に適合する滑走方式を検討した結果、一つの結論にたどり着いた。


「ミニ四駆だよ」言っても、誰もわからない。アカネはしまったと思って、黒板に簡単な構造を描いた。「〈ミハシラ〉の主構造体――幅が二メートルくらいある板状の構造物――の両脇には、必ずスリットの入ったレール状構造物が走ってる。だからピピの両サイドにレールガイドダンパーを付けて、レールを擦りながら飛ぶ。これなら車輪を使う必要もない。マーティン曰く、表面は相当に均一化されていて整ってるそうだよ。滑り台のようだったって。それが本当なら、共振さえ抑えられれば問題ない気がするけど――どう思う?」


 トキコは小首を傾げて小さく唸り、自分の手元にあるメモに目を落とした。


「全てが想定通りなら、最大時速一万五千キロ。重力中間点まで一時間半でたどり着ける計算だけれど、それだけの摩擦に耐えられるかしら」


「そんな速度出るのか。よっぽどの素材を使わないと溶けちゃいそう。むしろピピは二人分で十時間の空気を蓄えられるから、もっと遅くても――というか構造上遅い方がありがたいんだけどな。燃焼速度を下げられないかな」


「いくらパークスさんでも、そこまでは無理でしょうねぇ」


 アカネは腕組みして唸りつつ、天井から覗く月を見上げる。そしてふと思いついて指を鳴らした。


「そういや地球と月は同じ慣性系だから、脱出速度なんて考える必要はないじゃん? なら第二段を燃焼させて、惰性で行けるところまで行って、止まったら第三段を噴射させる。それなら最高速度は落とせるよね?」


 トキコも指を鳴らした。


「それを忘れてたわ。早速計算しなおしてみる」


「じゃあその方向で」


 そうしてアカネがレールガイドの設計と製作に取りかかった頃だ。施設前に〈連合〉の車両が飛び込んできて、盛大にクラクションを鳴らす。何事かと思い向かってみると、運転席からセレネが飛び降り、アカネの両肩を掴んだ。


「袁山から化け物の集団が現れた。一直線にこちらに向かってる。何かした?」


 一瞬混乱したが、すぐに原因に思い当たった。


「エンジンの試運転」


「前みたいに狂った状態じゃなくロッドが制御してるから、あまり速度は出てないけど。あの調子なら二日くらいで来るはず」


 二日。四十八時間か。


 アカネは残ったタスクを次々と思い浮かべ、舌を打った。相当に時間が足りなすぎる。

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