3.13. 解かれる封印

 日が昇る。街の惨状は、それこそ目を覆うばかりだった。路地は獣と人々の死体で埋まり、ジャンク様式の建築物は殆どが崩され、一部は焼け焦げ、一部は緑色の粘液で覆われている。


 獣は動く物体を一通り破壊すると、更に攻撃するべき相手を求めて散ってしまったらしい。だが数からいってそう多くはなさそうだ。殆どが四百キロの強行軍で疲れ果て、ここで力尽きてしまっている。傷も何もない死体が数多く転がっていて、そこが粘菌の床になりつつあった。


 絶望的に思っていたが、獣が市庁舎内侵入した痕跡はあまりなかった。それに袁山への遠征に参加しなかった〈連合〉の車両も消えていて、相当の人々が無事に逃げられたらしい。


 〈アーカイバ〉に宛がわれていた二階のフロアを探索するさなか、トキコは窓ガラスに貼られたテープを指し示した。Pのアルファベットに矢印が付けられていて、ローマ帝国の紋章のように見える。


「パークスさんよ。矢印は北東を指してる」


「丑寅に行ったってこと?」


「えぇ。無事だといいけど」


 状況は酷い有様だったが、希望も見えてきた。そしてもう一つ。


「ピピ!」


 〈連合〉が駐屯地に使っていた市庁舎前の広場は瓦礫の山になっていたが、その下に見覚えのあるヘッドライトを見つけて叫ぶと、何事もなかったように光が灯った。そして人型に変形する力でジャンク類を押しのけ立ち上がると、首を傾げて言う。


『あぁ、ご主人様。ややっ! 何ですかこの有様は!』


「何って。あんた何してたの?」


『それはあんまりな言い草です。ワタクシ、急に休眠モードに入れられて気を失っておりました。あれからどれくらい経ったのですか?』


 とにかくもう、この街は安全といえば安全らしい。エスパルガロ商会に集まり、念のためピピを見張りに立たせ、粘菌に汚染されていなそうな食料を見つけて口にすると、あまりの疲労に一瞬で気を失った。


 目が覚めると夜になっていた。電気調理器でトキコがお茶を煎れている。最初は苦手でならなかったが、今はこれがないと頭がすっきりしない。差し出されたカップを口に付け、強烈な苦さに顔を顰める。


「それで?」


 曖昧な言葉に応じたのは、自分のコンテナ倉庫からギターを引っ張り出してきたエスパルガロだ。チューニングを施し、悲しげな音階を奏でながら言う


「この街は終わりだ。完全に隅々まで粘菌に汚染されてる。何日かすりゃぁ、一面が粘菌の巣になっちまうだろな」


「ここの塩害を灌漑で洗い流したのは、五十年くらい前の〈アーカイバ〉だったらしいわ」トキコもカンテラの前に腰掛け、お茶を啜る。「まさかそれが仇になるなんてね」


「こんな状況、読めるはずがない」


「そうかしら。私はなんだか、誰かがわざわざ施してくれていた封印を、知らずに一つ一つ壊してしまっていたような気がしてきた」


「まさかそんな」


「いいの。ただの妄想」しかしトキコはその可能性を、かなり疑ってしまっているようだった。「まずは丑寅に行きましょう。パークスさんたちと合流しなきゃ」


「それしかないな。向こうは塩のおかげで、まだマシなはずだ」


 立ち上がりかけたエスパルガロに、アカネは尋ねた。


「塩っていえば、そこの川は? 確かここから東に抜けて、〈連合〉に行ってるんじゃ」


「そうだな。このままじゃ、向こうも粘菌に汚染される可能性が高い」


「誰か警告しに行くべきじゃ?」


 一同に目を向けられ、隅で完全に呆けていたマーティンは鬱陶しそうな表情を浮かべた。


「もう無理。なんにもわからない。こんな状況、誰にどうやって説明すりゃぁいいってんだ。無理だろうこんなの」


「いいから来い。車とジュールを探しに行くぞ」


 エスパルガロはマーティンの襟首を掴み、外へと引き立てていく。しばらくアカネはトキコと共にカンテラの明かりを見つめていたが、言うならば今しかないと思った。彼女に膝を向ける。


「私は、行かなきゃならない所がある」


「西にあるっていう、何かの施設?」


「そう。こんな状況で自分勝手だと思われるかもしれないけれど――」


「そんなこと思わない」トキコは言って、アカネに目を向けた。「こんな状況だからこそ、頼れるのはアカネしかいない。私たちは何もかも知らなすぎる。エスパルガロさんの言っていた通りよ。二百年も、一体何をしてたのかしら」


「そんなこと――」


「いいから聞いて。私は別に、この状況が最悪だとは思ってない。それは酷い有様だけど――これまで一度もまみえたことのなかった〈娘たち〉が、ここに二人もいる。それに粘菌や、ロボットや――色々な事を知った。全部アカネのおかげよ。だから私たちは、あなたに頼るしかない。この状況をなんとか出来る人がいるとしたら、それはアカネだけよ」


「そこまで言われると、何かプレッシャーだな」


 正直に言うと、トキコは笑った。


「アカネは釘を刺さないと、妙な事ばかり考えるから」


「それはそうかもね」


「本当は私も行きたいけれど、今は丑寅の無事を確かめないと」


「施設のこと?」


「それもあるし、みんなのことも」


 曖昧に濁すトキコを怪訝に思いつつ、アカネは立ち上がって神妙な視線を投げてくるセレネを見つめた。


「そういやその、これも勝手な話だけど。セレネも連れてっていいかな。彼女はまだ、色々と疑ってる。ちゃんと目を覚まさせたい」


「いいわよ。どうせ私らが何を聞いても、答えやしないだろうから」そしてトキコは、顎でピピを指し示した。「行くなら行った方がいい。エスパルガロさんには、私が上手く説明しておく」


「ありがとう。必ず戻るよ」


 そうしてアカネはピピにセレネを乗せ、西に向けて走り出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る