2.4. マーティン

 〈アーカイバ〉の施設は徹底的に偽装されており、階段は崩壊したビルの瓦礫に紛れるよう設置されている。その上蓋を薄く開いて四方を確認してから、エスパルガロは地上に身を這い出させる。アカネもそれに続くと、左手に見える丑寅の街に異常が起きているのがすぐにわかった。


 丑寅は〈月下〉の環状街道と、盆地の外に通じる数少ない回廊の一つ、丑寅回廊の接続点にあった。道としては南東にある辰巳回廊の方が広く通りやすいようで、辰巳回廊を使うのは悪路に慣れたキャラバン連中だけだと聞いていた。


 しかし今は北東の山脈から続く道が、三十台ほどの特殊車両で埋まっていた。


 〈月下〉では見たことのない類いの車ばかりだ。巨大な八輪トレーラーというだけでも初めてなのに、それが三十メートルくらいあるキャリアを引いている。乗っているのは、無骨な金属で作られた機械だった。十メートルほどの長い筒が数本、天に向かって林立している。しかも同じようなトレーラーが五台はあり、衆目を集めていた。


 何だろう。自走砲だろうか。それにしては仰角が妙だ。


 思いながら、エスパルガロと共に街の中に入っていく。フードとストールで顔を隠し混雑の先へと向かっていくと、回廊から街へと通じる廃材のゲートの前に、トラックや装甲車のような物がずらりと並べられていた。きっと住民を威嚇するデモンストレーションなのだろう。驚くべき事にそれらはゴロゴロと懐かしい音を鳴らしていて、ガソリンの甘い香りも漂ってくる。奥の方にはタンクローリーのような丸い貨車もある。〈連合〉が未だに内燃機関を使っているという噂は本当だったらしい。車両の周囲には特殊部隊のような黒い戦闘服に身を包んだ男たちが十人ほど整列していて、こちらも旧世界の遺産らしい黒光りするライフル銃を手にしている。


 やがて不安げに額を寄せ合う人々の前に、黒いスーツを着た男が姿を現した。


 まるでそこだけ、2020年に戻っているかのようだった。コーカソイド系の顔立ちをした三十代半ばくらいの男で、金色の髪は綺麗に整えられ、深い二重まぶたの奥には青い瞳が輝いていた。


 しかし、どうも様子がおかしい。彼は自信に満ちた顔で装甲車の上に登ろうとしたが、綺麗に磨かれた革靴が滑ってなかなか乗れない。すぐに見かねた部下数人が現れた。彼らは男に完全に服従しているようで、何事か詰られながらも男の腰を押し、ようやくボンネットに登らせる。


 男は部下たちを追い払うと、何事もなかったかのようにスーツの埃を払い、ネクタイの位置を直し、声を上げた。


「あぁ、諸君! 私はマーティン。〈連合〉の〈月下〉監督官だ。これまで〈連合〉はこの地方の統治に時間を割く余裕がなかったが、ようやく諸君に〈連合〉の庇護を及ぼす事が出来るようになった。どうだ凄いだろう、喜べ!」


 民衆は何を言われているのか、理解できない様子だった。それはアカネもエスパルガロも同じで、顔を見合わせて首を傾げる。しかしマーティンという男は反応の乏しさが意外だったらしく、あからさまに怪訝そうな表情を浮かべた。


「なんだ。妙だな。どうした喜べよ。まぁいい。それより! 先日ここに〈魔女〉が現れたらしいじゃないか。それで〈魔女狩り〉が返り討ちに遭ったとか? 誰か、知ってるか?」


 見渡すが、こんな妙な連中に関わりたがる者などいるはずがない。それで誰も声を上げなかったが、やがて一人が輪の外に歩み出てきた。トキコだった。


 普段ならまだしも、〈魔女〉に興味を持っている相手だ。余計なことはしなければいいのに、と思うのだが、こういう時に責任感を覚え黙っていられない性分なのは時子と同じらしい。


「私はこの街の商業組合の代表の一人です。こんにちは。何かお話があるのなら、こちらにいらっしゃいませんか? 貧しい街ですから、たいしたおもてなしも出来ませんが――」


「あぁ! いいね。行こう行こう」


 マーティンは応じてボンネットから飛び降りようとしたが、部下の中から一人の女が歩み出て裾を掴んだ。彼女は特別な立場らしく、妙な格好をしていた。パンクだ。膝に穴の空いたジーンズ、ボロボロのブーツ、汚れた肌着の上に編み目のタンクトップを被り、髪はなんだかわからない不可思議な結い方をしている。


 アカネは彼女の顔を見た途端、無意識に言葉が出ていた。


「ロッド」


「知り合いか?」


 エスパルガロに問われたが、答えられなかった。


 あんな顔の女、知っていたら必ず覚えているはずだ。痩せて色白で、骨がそのまま動いているような印象を受ける。しかしその顔は異様だった。眉毛が毛羽立ち、額に皺が寄っていて、目は――なんとも言いがたい恐ろしさがあった。人を殺したことがあるような目をしている、という慣用句が、初めて自然と浮かんでくる。鋭く、強い意志の籠もった瞳。唇も薄く尖っていて、彼女の神経質さに拍車をかけている。


 見たことがあるなら、絶対に覚えているはずだ。


 でも、覚えにない。


 しかしアカネは、彼女の名がロッドだと知っていた。


 これは一体なんだろう。デジャヴュだろうか。


 不安にかられてロッドという名に集中すると、途端に頭痛が襲ってきた。〈月下〉で目を覚ましたときと同じ痛みだ。それでも必死に記憶を探ろうとしていたところで、何者かに手首を掴まれた。


「おい、聞いてるのか? 落ち着け。怪しまれる」


 エスパルガロに窘められるほど、何か動揺していたらしい。アカネは頭を振って気分の悪さを忘れようとする。


 当の彼女はマーティンという男に何事かを囁きかけ、そのまま一緒にトキコの元に向かっていった。人混みの輪は一同を遠巻きにし、トキコの宿に動いていく。


 アカネとエスパルガロも、当然彼らを追った。そして裏口から宿に入ると、食堂兼中庭のカウンターに身を潜める。


 やがて一同は大勢の野次馬をひきつれ現れた。マーティンは通された食堂を見るなり、あからさまに不快な表情を浮かべた。頬に空気を溜め、音を立てて吹き出す。


「〈月下〉は酷い所だって聞いてたけど、格別だなぁここは。あの、えっとさ、みんな、風呂とかトイレとか、どうしてんの? まさかその、砂で拭いたりとか?」


 トキコは冷静だった。マーティンの言葉を無視し、中央にある広いテーブルに促し座らせる。


「それで、ご用件は? 先ほどのお話、よくわからなかったんですが」


「え? わかりやすく言ったつもりだったんだけどな。だから要はさ、これからこの辺全部、俺が面倒見てやるってこと。〈魔女〉とか、〈魔女狩り〉とか、そういう連中も片付けてやる。そうすればもう、凄いよ? あんたらもこんなしみったれた生活からおさらば出来て、もっと文化的? 文明的っていうの? そういう生活が送れるようになる」


 トキコは眉を顰め、問い返した。


「〈魔女狩り〉を片付ける? とてもそんなことが出来るとは思えませんが」


「でも、ここで〈魔女〉が〈魔女狩り〉をやっつけたんだろ? 〈魔女〉なら何度も狩ってる。なら〈魔女狩り〉も余裕だろ?」答えないトキコに、彼は首を傾げた。「あれ。何か変な事言ったかな。計算間違ってないよね。で、どうだったのよ実際。何があったのここで」


 トキコは慎重に言葉を探し、答えていた。ただ修理屋をしていた余所者が〈魔女〉だと噂が立ち、〈魔女狩り〉が現れた。〈魔女〉は〈魔女狩り〉を殺し、何処かへ去った。


 話の最中、マーティンはずっと、馬鹿のように口を開きっぱなしにしていた。全然話がわからないという様子で、何度も首を傾げ、眉間に皺を寄せる。


「え。ちょっと待って。結局〈魔女〉って、どうなったの?」


 散々行方不明だと言ったのに重ねて問われ、いい加減にトキコも苛立ってきたらしい。


「ですから言ったように、何処に行ったのかわかりません」


「いやでも、すんごい戦闘があったんでしょ? それでいきなり、ぱっ、と消えちゃったの? それこそ〈魔女〉みたいに」


「いきなりは消えてないでしょうが。気がついたら姿がなくなり、誰も何処に行ったのか見ていないということです」


 ようやくわかった、というように、マーティンは慎重に言った。


「つまり、こういうことか。誰も、何処に行ったのか、見ていない」


「その通りです」


 マーティンは自分の解釈に満足していたようだったが、すぐに顔を悲しげに歪め、言った。


「わお、駄目じゃん全然。全然駄目じゃん。何処に行ったかわからない? つまりそれって、追えないって事じゃん。駄目駄目」


「わざわざ追おうと? どうしてそこまで」


 尋ねたトキコに、マーティンは机に寝そべりながら答えた。


「いやだって、〈魔女〉ってすんごい技術を持ってるじゃん? ほら、武器とか。エネルギーとか。そういうの、ポイント高い。〈連合〉は凄いポイントで引き取ってくれる。それでポイントがあれば、何でももらえる。それこそ役職とか。豪邸とか。美女の集団とか」ニヤけ顔で含み笑いし、ようやく相手が女だと思い出したらしい。咳払いし、背筋を伸ばしながら続ける。「いや。〈魔女〉は危険な連中だ。だから追ってる。それだけだ。それでえっと、もうちょっといい所ないかな。一応、事務所? 司令所? って言うの? なんなそういう、威張れる場所がいるじゃん?」


 どこまで本気で言っているのか。しかしマーティンは当然の権利のような姿勢を崩さない。一方でロッドは、入り口近くの柱に寄りかかり腕組みしていた。どうやら襲撃者を警戒している様子だったが、その割に銃器の類いを携えていない。しかし彼女ならば素手で大男をも絞め殺せるだろうという確信を抱かされる。


 そしてやはり、トキコも彼女の存在が気になるらしい。向けられた視線を受けて、マーティンは彼女を指し示す。


「あぁ、ごめん、言ってなかった。彼女は護衛のロッド。もう、彼女は凄いよ? いきなり殺す」楽しそうに噴き出した。「そう。だからその、彼女は怒らせない方がいい」


「それはあなたも?」


「俺は意味もなく殺さない。そう、殺すとしても、使えるのは精々、外にいる三十人と、今こっちに向かってる百人だけ。彼女に比べたら屁でもない。だからその、無駄な抵抗っていうの? そういうのは、なしで。ね?」


 トキコは思案げに沈黙した後、顔を上げた。


「ですが、私の一存ではなんとも。一応この街の事は何事も、亥の街の議会に意向を伺う事になってますから」


「えっ、そうなの?」本当に知らなかったらしい。椅子からずり落ちそうなほどに驚いて、腰を上げ身を乗り出した。「つまりその、この街は亥の街ってとこに支配されてるってこと? それ何処にあるの?」


「街道を北に、六百キロほどです」


「六百キロ? こっちはろくに道もないような山ん中を、一週間もかけて来たんだよ? それで今度は砂漠を六百キロも行けって? 冗談だろ!」


「マーティン!」


 様子を窺っていたロッドが初めて声を上げた。苛立ちに包まれた、嗄れた声だった。アカネはその声にも聞き覚えがあるような気がしてならなかった。


 でも、何時、何処で? それを探ろうとすると、またしても頭が痛くなってくる。


 とにかく彼女に呼びつけられたマーティンは不安そうに彼女の元に行き、何かを言い含められる。そして何事もなかったかのようにトキコの元に戻ると、胸を張って言った。


「いいだろう。その亥の街とかいう所に行く。けどさ。俺たちもだいぶ疲れてるから、何日かここで休ませてもらっていいかな。ほら、風呂に入ったり、飯を食ったりとか」


「それは構いませんが、ジュールは戴けるのですよね?」


「ジュール? あぁ、そうだった。この辺は電気で払うんだった。悪いけど俺たち、そういう文化っていうの? そういうの、なくってさ。代わりに何か、物々交換的な事は出来ると思うよ。その辺はほら、うちの事務官的な? のがいるから。それと話してくれる?」


 そこでアカネは裏口から抜け出し、元来た道を戻って〈連合〉の部隊を調べに行った。


 マーティンが言っていた通り、総勢は三十人ほどだった。彼らは銃を携えて丑寅回廊を封鎖し、通ろうとする者を逐一尋問している。装備はやはり旧世界のライフル銃らしく、手入れは十分に行き届いているようだった。とてもコイル銃程度では相手にならない。万全の状態のピピですら怪しいだろう。


 それよりアカネが気になっていたのは、トレーラーに積まれた十数本の金属の柱だった。


 遠目には、やはり長距離砲の類いに見える。しかしそれにしては砲身が長すぎるし、基部に装填装置のような物も付いていない。


 加えて怪訝なのは、砲身が空――月を向いている点だ。


 あれは一体、何を狙っているのだろう。ひょっとしてトレーラー自体が九十度倒れる仕組みなのだろうか。


 アカネがあえてそれに考えを巡らせていたのは、ロッドという少女の事を意識から飛ばそうとしての事だった。彼女の顔を見、声を聞くと、得も言われぬ不安と恐怖に包まれる。一体彼女の何がそうさせるのか、まるでわからない。


 とにかくあまり出歩いていて自分の存在に気づかれても不味い。それで街の外に出ようと裏路地を抜けていったが、不意に何者かに服を掴まれ物陰に引きずり込まれた。


 咄嗟に身体が動き、相手の首に右腕をねじ込もうとする。しかし相手はそれを予期していたかのように、アカネの首にナイフを突きつけていた。


 お互いに身動きができなくなる。やがて彼女は――ロッドは異様な瞳を光らせ、口を楽しげに歪ませ、器用にナイフを回して腰の鞘に収めた。


「ようツクヨミ。なにビビってんだよ」


 嗄れた声で言われ、アカネは気が遠くなった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る