11. 砂漠の中の廃船

 トキコは足代わりに使っているマウンテンバイクで併走する。こちらはそれほどジュール容量がないので、所々にあるオアシスで充電しなければならない。


 アカネが袁山から街道に出てくるまで何事もなかったのは、随分幸運だったらしい。トキコは街道の内側を相当恐れていて、可能な限り街道沿いに行きたがった。おかげでミルの乗るバギーを見たという情報は得られたが、早朝から昼までかけて袁山が真西に見える地点までたどり着くと、そうも言っていられなくなる。堅く踏みしめられた街道から、凹凸の激しい礫が広がる不毛地帯へ右折していく。


 〈月下〉の気候は、殆どが晴れだった。風は必ず袁山に向かって吹き、雲がかかることも希だ。気温は日の出と共に二十五度くらいまで上がるが、〈昼の夜〉と共に二十度くらいまで下がる。そして再び二十五度くらいまで上がり、夜になると氷点下まで下がることもある。赤道直下にしては異常だが、それも全てあの巨大な月のせいだろう。定位置にある低気圧と放射冷却。今の人類はその仕組みをどれほど理解しているのだろうか。


「そういえば言ってたけどさ。袁山の化け物って、何なの?」


 尋ねたアカネにも、トキコはよく知らないとしか答えられない。


「砂漠のおかげで、殆どが街道に出てくる前に死んじゃうみたいだけど。たまに生きてたどり着くのがいるわ。緑色の目をしていて、凄く凶暴なの。〈魔女〉の僕だって言われてるけど、どうなのかしらね」そこでトキコはリヤタイヤを滑らせ、礫砂漠の真ん中で停まった。「見て、これ」


「三輪バギーのタイヤ跡だね。新しい」


「ミルはこっちで間違いないわ」


 早速跡をつけはじめる。しかしミルが残した地図上の点は、GPSもないこの世界ではあまりにも大雑把すぎた。見渡す限り砂と岩のような影ばかりで、何かがあったとしてもいちいち近づいて調べていられない。


「ミルも、そのお父さんもだけど。どうやって目的地を見つけるつもりだったんだろ」


「サルベージャの人には独特の勘があるらしいわよ。昔の建物が埋まってそうな地形だとか、そういうの」


「ふぅん。例えば、あんなの?」


 砂丘の向こう側に、尖った三角形の影があった。逆光でよく見えないが、何かの錆びた人工物のようにも見える。ミルの残した車輪痕を追っていなければ、ただの岩と見逃していただろう。しかし近づいてみると稜線は真っ直ぐで、錆の下に何かの文字が記されている。


 砂丘の上にたどり着くと、ようやくその正体がわかった。


 これは明らかに貨物船だ。しかもでかい。全長二百メートルはありそうだが、その殆どは砂に埋まっている。アカネが見とがめたのは船の艦橋部分で、未だに殆どのガラスが無傷ではまっていた。


「うわぁ、これって凄いお宝よ? これだけ大きな船なんて、見たことがない」トキコが感嘆の声を上げる。「しかも手つかずみたい」


 船のある場所は蟻地獄の巣のようになっていた。とてもトキコのバイクではたどり着けないだろう。アカネは彼女をピピの後ろに乗せて、慎重にアクセルを開け、そろそろと斜面を降っていく。


 赤茶けて傾いた船体には、甲板に向かって綱が投げかけられていた。側にはミルが盗んだバギーがあったが、ジュール切れ寸前だ。


 少し離れた場所を探っていたトキコに呼ばれ、向かってみる。どうやら別の車が、頭から砂に飲み込まれつつあったらしい。バンパーの一部だけが露出していて、誰かが掘り起こそうとした痕跡がある。


「ミルのお父さんの車よ。たどり着いていたのね」


 気の毒そうに言うトキコに、アカネは首を傾げながら応じた。


「しかしたどり着いたのに戻ってこれなかったって。船の中で何かあったのかね」


 二人は揃って、綱を掴んで甲板に登っていく。地表に露出しているのは船橋部分が殆どで、これでは貨物が無事だったとしても掘り出すのに相当苦労する。


 船内に続く扉は、随分前に破壊されていたようだった。これはミルの父親の仕業だろう。通路には砂が薄く積もっていて、真新しい小さな足跡が奥に続いている。斜めになっている床に苦労しながら足跡を追っていき、次第に迫ってくる暗闇にライトを灯そうとした時だ。壁に突いた手が、妙な粘り気を感じる。


「うぇっ、何か嫌なの付いた」


 愚痴るとすぐにトキコがライトで照らしてくる。緑がかった何かの粘液だ。指でなぞると壁全体を薄く覆っているのがわかる。何かの地菌類だろう。


 ミルは内部を無闇に探っていた。船室に入り込み、トイレに行き当たり、階段を上ったり降ったり。


「ミル! トキコお姉さんよ! 怒らないから出てらっしゃい!」


 トキコは繰り返し叫んでいたが、アカネは愚策だとしか思えなかった。他人を平気で脅すような餓鬼だ、素直に出てくるどころか逃げ隠れされるのがオチだ。


 しかし狭い通路を反響するトキコの声以外にも、アカネの耳は何かを捉えた。何かを引っ掻くような、かさこそとした音だ。あまりに覚えがありすぎて、人でないのはすぐにわかる。


 すぐ、その姿は闇の向こうに現れた。ライトの光が届かない奥に、小さな光がちらちらと瞬き、行き来する。


「まったく、相変わらずしぶとい生き物だねぇ」


 呟きつつ背負っていたコイル銃を手にしたとき、光の中に一匹の生物が現れた。


 茶褐色の齧歯類、ネズミだ。しかしただのネズミでないのはすぐにわかった。光源を不思議そうに見つめるその瞳は、緑色に輝いたのだ。


「アカネ、ゴーグルを。口と鼻も何かで覆って」


 トキコが言って、自らも額にずりあげていたゴーグルを装着し、首元のストールで顔半分を覆う。


 同じくゴーグルはあるが、マスクなんてない。それでどうしようかとまごついている間に、ネズミの数は二匹、三匹と増えていった。トキコは片手で合図し、少しずつ後退させる。しかし光の届かない暗がりの中にも無数のエメラルドグリーンが現れるに至って、彼らはこちらに向かって一斉に飛びかかってきた。


「下がって! 下がって!」


 トキコは叫びつつ、腰に構えたコイル銃の引き金を引く。途端に大きな銃口からは散弾が放たれ、数匹のネズミを吹き飛ばした。しかしコイル銃は一発ごとに電磁力のチャージが必要だ。アカネは彼女に続いて発砲しようとしたが、トキコはその腕を掴み、一目散に逃げ始める。


「ちょっとトキコ!」


「いいから!」


 太ももや腰のあたりに、何匹か食いつく感触がする。それも無視してトキコは駆け、船室の一つに飛び込んだ。そしてアカネのことを引っ張り込むと、錆び付いた扉を一息に押して閉じる。


 それで大方は防いだが、数匹が侵入していた。トキコはチャージの済んだコイル銃を再度放ち、アカネは踏んだり蹴ったりして追い散らす。


 ようやく動く物の気配がなくなると、トキコは大きく息を吐きながら体中を改め始めた。


「アカネ大丈夫? どこか噛まれてない?」


「待って。どういうこと?」


「袁山の怪物は菌を持ってるの。傷口や口鼻から入り込むわ」


 そんなことは初耳だ。


「大丈夫、このスーツは結構丈夫だから」応じながら周囲を探る。ここは小さな会議室だったらしい。腐りかけた椅子とテーブルがあるだけで、他に出口はない。「それで? どうするの。閉じ込められた感じがするけど」


「袁山の怪物は夜の間に活発になるの。〈昼の夜〉は特に。だからもう少し待てば、きっと走って逃げられるわ」


「で、ミルは?」


 当然、そこまで考えての発言だったのだろう。彼女は悲しげに目を伏せ、答えた。


「ここが怪物の巣になっていた時点で、絶望的だわ。きっと彼のお父さんも、連中に襲われてしまったのよ。これ以上、私たちに出来る事はない」


 トキコ、いや、時子らしいなと思いつつ、アカネは言葉を聞いていた。時子は決して薄情ではなく、むしろ人情深い方だった。しかし状況的に手に負えないと考えた場合、躊躇なく諦める。身の丈を実際以上に小さく見積もってしまっているきらいもあったが、十分に賢い大人の判断の出来る友人だった。


 しかしアカネは、諦めが悪い質だった。


「でも、生きてるかもしれないじゃん。相手はたかがネズミだよ? 火でも持てば逃げてくんじゃ?」


「ただのネズミじゃないわ。袁山の菌が身体に入り込むと、すぐに高熱を出して倒れてしまうの。ミルには申し訳ないけれど、逃げるしか手は――」そこで彼女は、アカネの手に目を落とした。「何か光ってるけど?」


 言われて気がついた。スーツの充電は完了していたらしい。左腕にはめ込まれたパネルに何かが映し出されている。どうやらスマートウォッチのような物らしい。心拍数が表示されている他、温度や湿度といった情報、他にはネットで何かが出来るようだったが、こちらはオフラインとなっていて操作を受け付けない。


 目を引かれたのは〈装備〉という項目だった。ヘルメット、というメニューを叩くと、唐突にスーツの襟から何かが放出された。息をのんでいる間にそれはアカネの頭全体を覆い、硬化する。


「内蔵されてたんだ。形状記憶硬化樹脂かな。それともナノマシン?」驚き、指先で叩いてみる。重さは殆ど感じなかったが、相当に強度がありそうだった。「凄いや、仮面ライダーみたい」


 もう一度メニューを叩くと、ヘルメットは瞬時に格納される。次いで右腕にも何かを装備出来そうだった。ブラスター、という項目を叩いてみると、やはり右腕のスリットから繊維とも結晶ともつかない何かが放出され、瞬く間に手の甲まで伸びるラジエターのような物が構築された。手のひら側にはトリガーが現れている。


 さっきから驚きに目を丸くしているトキコに背を向け、転がっている机に向かって右手を握りしめ、バーを引く。途端に放たれたのは圧縮空気のような物だった。それなりの反動があったが、十キロくらいはありそうな机が吹き飛び壁にたたきつけられる。


「わお、こりゃいいわ。トキコ、これでネズミを追い払おう!」


 言いながら振り向いて、思い出した。この手の技術は〈魔女〉の技だと恐れられていたということを。彼女は困惑とも恐怖ともつかない表情でアカネを見つめ、おずおずと口を開いた。


「それ、何なの? 〈魔女〉の服?」


「えっと、実はよくわかんないんだよね。旅の途中に死体が着ててさ。高そうだったから拝借したって具合で」


 とても信じさせられるとは思っていなかったが、彼女もこの際、背に腹は代えられないと踏んだのだろう。


「いいけど、その服は絶対に誰にも見せちゃ駄目よ?」


 アカネは頷き、未だにカサコソと苛立たしい音が響き続けている通路に向かった。腕のパネルを見ると現状の満充電状態で数十発は発射可能らしいが、知らぬ間に一ギガも充電されてたのが盲点だった。一発数百円と思うと悲しくなってくるが、そんなことは言っていられない。パネルを叩いてヘルメットを装着すると、一息に扉を引いてトリガーを引く。床の半分を埋め尽くしていたネズミは方々に吹き飛ばされ、更に襲いかかってくる集団に対し矢継ぎ早にブラスターを放つ。


 一通りネズミを追い払ったところで、ヘルメットにはピピの物とよく似たMR機能があるのがわかった。操作を加えると、床に残された足跡がはっきりとわかるようになる。やはりミルも、この辺でネズミに襲われたらしい。駆け足で右往左往したあげく、一つの船室に飛び込んでいる。


 押し開くと、果たしてミルが倒れていた。彼の上には数匹のネズミが這っている。蹴りつけてそれらを追い払ったが、ミルは完全に意識を失っている様子だった。顔や手に無数の噛み傷がある。


 とにかく背負って、船を出る。丁度〈昼の夜〉が終わりかけている頃だった。ミルを砂の上に横たえると、トキコが具合を確かめ始めた。


「酷い熱」


 そしてミルの瞼を広げる。現れた生気のない瞳は、緑色になっていた。


「え、人も、あぁなるんだ」


 驚いた呟いたアカネに、トキコは当惑した様子で答えた。


「しばらく見てなかったけど」


「治るんだよね?」


「すぐに治療すればだけど――最近じゃ滅多に感染する人も出ないから、街にも薬のストックがないわ」


 つくづく、ミルも不運だ。


「じゃあ、何処ならあるの」


「たぶん、亥の街にはあるんじゃないかと思うけど――」


 亥の方向、袁山を掠める北北西を眺め、次いでアカネはピピのバッテリーとミルが乗ってきたバギーの具合を改めた。


「どうするつもり?」


 トキコに尋ねられ、アカネは電源ケーブルでピピとバギーを繋ぎながら答えた。


「三人は乗れない。トキコはミルを連れて丑寅に戻って。私は亥の街に行って薬を取ってくる」


「残念だけど、とても間に合わない。薬は一日以内に投与しないと――」


「一日か。確かに街道を行けば無理だろうけど、直行すれば間に合うんじゃ?」


「え?」トキコは北北西の方向を眺め、すぐに頭を振った。「無理よ! 袁山を通って行くだなんて、自殺行為よ!」


「実は経験があるんだ。前にも通ったし、何とかなるよ」バギーに十分充電されるのを確かめると、アカネはケーブルを片付けてピピに乗り込んだ。「じゃ、ミルを頼んだよ」


「待って待って!」


 トキコは暴走気味なアカネにどう対応していいかわからない様子だったが、急に色々と諦めた様子でピピに駆け寄ってきた。


「亥の街に行ったら、〈エスパルガロ商会〉っていうジャンクヤードを探して。そこの店主にトキコの使いで来たって言えば、薬を分けてくれるはずよ」


「薬を貰うのに、ジャンクヤード?」


 アカネの疑問には答えず、トキコは一歩、後ずさった。


「もし怪しまれたら、こう言って。『私はあらゆる知識を確保し、保全し、活用するために来た』と」


 いかにも秘密結社らしい合い言葉に、アカネは眉を顰める。だがその時にはトキコはミルの元に向かっており、アカネもアクセルを開けてピピを発進させた。

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