6. 魔女の技

 トキコの宿屋は裏通りにあり、二十ほどの貨物コンテナで作られた代物だった。内部は仕切られて二部屋になり、窓もちゃんとくり抜かれている。風呂トイレは共用だがシャワー付きだし水洗になっていて、裏では古びたポンプがうなり声を上げていた。


 食堂兼ロビーは中庭に日除けがかけられただけの素っ気ない代物だ。テーブルごとにLEDのランタンが置かれ、月明かりよりも白々とした光を放っている。食事は堅いパンと塩辛い干し肉の類いだったが、空腹には十分だった。油っぽいスープを銀色の皿ごと口に運んで飲んでいると、それを眺めるトキコは苦笑いして頬杖をついた。


「いい食べっぷりね」


「うん。昔から良く言われるの」アカネは皿を置いて、頭を下げた。「ごちそうさま。助かったよ。お腹いっぱい」


「それは良かった」


 差し出されたお茶のような飲み物は、苦すぎてアカネには合わなかった。それでも我慢してチビチビと口にしている間に、トキコは尋ねてきた。


「それで、本当はどこから来たの?」


 何もかも騙し通せるとは思っていない。アカネは素知らぬ風を装って答える。


「本当、って?」


「午の街の南なんて、山を越えたら海しかないわ。そんなことも知らないなんて。それにどうして私の名前を知っていたの?」


「この街に、トキコって日本語話せる人がいるって聞いた覚えがあってさ」


「酷い。本当に一瞬で適当な嘘を考えつくのね。私は何年も日本語なんて使ってなかったわ」別に気分を害した風もなく、むしろ楽しそうに目を輝かせて言った。「ってことは、流浪の詐欺師? それとも〈連合〉の賞金首かしら」


「一つ聞きたいんだけどさ。トキコって名前、誰に付けてもらったの?」


「え? トキコは名前じゃないわ。名字。私はエリザベス・トキコ」


「つまり私は、あんたの親御さんを知ってるってわけ。顔が良く似てたからさ」


 彼女は大笑いしてテーブルを叩き、涙を拭いながら言った。


「ほんと、あなたの頭の中ってどうなってるのかしら!」


「つまり外れ? 親御さんとは、あんまり似ていない?」


「どうかしら」ストールで顔を拭い、ようやく息を落ち着けてから続けた。「それであなた、名前は?」


 少し躊躇したが、まさか自分の名前が歴史上に刻まれている事はないだろうと思い直した。


「アカネ・ミズサワ。十七才」


「へぇ、私も十七なの。ミズサワさん。よろしくね」


 延ばされてきた手を握り返しつつ、アカネは言った。


「アカネでいいよ」


 時子と知り合ったのはクラスで席が前後になったからというだけだったが、仲良くなったきっかけの会話は今のとよく似ていた。確か後ろを向かれ自己紹介された時、茜は天性の天邪鬼と人見知りで適当な事を言ったのだ。彼女はそれに大喜びし、何かにつけて仲良くすることになった。どうやら彼女は育ちが良くて、あまり奇人変人という類いと付き合った事がないらしい。それで茜は興味を持たれ、茜は茜で彼女の面倒見の良さに甘えてしまっていた。


 この時もそうで、どうやらトキコは得体の知れない同い年のアカネに興味を持ったらしい。やっぱりトキコと時子は遺伝的に繋がりがあるような気がしてならなかったが、それを詮索するのはまだ早すぎたし、だいたい何と説明していいかわからない。満腹になったアカネは時々止まるシャワーを浴び、ゴワゴワするが必要十分な寝床に倒れ込むと、あっという間に寝入ってしまった。


 眩しさに目を開くと、翌日の日の出らしかった。いい香りに誘われて外に出てみると、トキコが中庭で鍋をかき混ぜていた。この世界のエネルギー源は徹底的に電気化されている――あるいはそれ以外にはない――状態のようで、鍋の下では加熱コイルが赤々と輝いている。


 どうやらトキコは、弱冠十七才でこの宿屋を切り盛りしているらしい。彼女は数人の使用人にてきぱきと指示をし、忙しそうにしていた。邪魔するのも悪いと思い、アカネはそっと外に出て行く。


 街は早くも動き出していた。パンか何かを焼く煙が立ち上り、キャラバンの男たちがボロ車に荷物を積み始めている。


 アカネが探している物は、二つあった。


 一つは書店か図書館のような施設。もう一つは仕事だ。


 元の世界、あるいは元の時代に戻れる可能性は、科学者としてのアカネが否定していた。マッドサイエンティストのアカネは可能性を考えてはいたが、望み薄だとは思っている。時間は不可逆、一方向にしか流れないのだ。未来に行くことは出来ても過去に戻れないのは相対性理論が証明しているところで、アカネはそれを覆すだけの理論を持ち合わせていない。仮にここが仮想現実空間で、アカネがゲーム世界に閉じ込められているのならば話は別だが――ここが確かに現実なのであれば、ここで生きていく方法を探るのが前向きというものだ。


 だいたいアカネは、この世界がそこそこ面白いと思い始めていた。巨大な月、得体の知れない軌道エレベータ、異常な気候、独特の文化、目が緑の怪物、そして親友とうり二つの娘。その裏にどんな歴史が潜んでいるか、どんな悪役がいて、どんな悪巧みをしているのか。考えるだけでもわくわくする。


 この世界がどうなっているか?


 誰にも怪しまれずに調べるには、図書館が一番だ。


 そう思ったが、どうにもそれらしい設備は存在しない。何かしらの報道機関があっても良さそうなものだが、と見回していて、ふとキャラバンの男二人が端末をケーブルで繋いで何かしているのが目に入った。画面を覗き込んでみると、何かのデータの交換をしている。その古いニューズネットの形式を見て、なるほどと思った。ネットが存在しない代わりに、彼らは自らが伝送プロトコルとなって各地の情報を共有しあっているのだ。


 そうなれば、まずは端末を手に入れるのが第一だ。しかし目に入る端末はどれも数ギガジュール、数万円程度の価格がして、とても手に入らない。そこでアカネはこの街の何処にでもあるジャンクの山から使えそうな代物を拾い集め、宿に戻った。


「あ、アカネ! 勝手に出てっちゃったのかと思った。ご飯よ?」


 エプロン姿のトキコに呼び止められ、そういえばと問い返す。


「ね、精密ドライバーとかない?」


「え? あるけど――」


「貸して!」


 彼女が持ってきた物を奪い取るようにして手に入れると、早速部屋に戻って拾った端末を確かめ始める。二つは電源が入るが起動せず、残りは通電すらしない。デバッグモードに入れて起動しない端末に幾つかコマンドを投げかけると、思った通り、起動イメージが破損していた。誰かが手を入れようとして失敗したのだ。


 誤った文法を修正してみたが、片方はやっぱり起動せず、もう片方は起動するがスイッチ類が反応しなかった。開いてみると接点が潰れている。仕方がなくハズレの端末を分解していき、適合しそうなモジュールを探す。結果として元のケースには収まらず基板剥き出しの状態ではあったが、なんとか一台は正常に起動し、操作もできる状態になった。


「やった! 文明の利器ゲット!」


 早速キーボードを繋いで、即席のLinux端末として使えるようにする。次いで銅線をぐるぐると巻き付け、反対側を金属の筒に突っ込み、四方に向ける。Wifiの電波は街の至る所から出ていたが、全てP2Pでホストサービスは存在しなかった。きっとサーバを立てる技術は失われてしまっているのだろう。仕方がなく繋げられそうな相手に繋ぎまくってみる。音楽や映画といったものを共有している相手が殆どだったが、キャラバンのニューズネットデータを発見できた。早速ダウンロードし、アプリに取り込む。


 ニューズネットを動かすには各端末で時刻が同期されていなければならない。やっと今の西暦がわかると喜んだが、すぐに期待外れだとわかった。最新メッセージのタイムスタンプは、1992年となっている。きっとアプリが二千何百年なんて時刻に対応しておらず、適当なタイミングでリセットしてしまったのだろう。


 仕方がなくそれは投げ捨て、次の工作に取りかかる。一番気になっていたのは、やはり月と軌道エレベータだ。いや、そもそも軌道エレベータなのかどうかもわからない。アカネは端末を治具に固定し、背面カメラの先にジャンク置き場にあった一眼レフのレンズ部分を固定する。そして中心を合わせ拡大していくと、一本の線にしか見えなかった代物は、実は複雑な幾何学構造を持っているのがわかってきた。


 幾何学模様とはいえ、なんとも形容しがたい代物だった。あまり工学的でも数学的でもなく、強いて言えば生体的だ。暗褐色の細い構造材が編み目のように結われていて、上に行くに従って全体が太くなっていく。


 一体直径はどれくらいなのだろう。


 計算式を立ててカメラの倍率を取り、液晶に映し出されている太さを目分量で把握し、代入する。約五十メートルという結果が出た。


 アカネは唸りつつ、その隣に柱の構造をスケッチしていく。


 最初はあれは人類が何かしらの理由で作った物だと考えていたが、次第に疑問に思えてきた。アカネの知る建築技術の延長ではない。何かしらのブレイクスルーがあったのならば話は別だが、そうした技術発展があれば、もう少しマシな遺産がこの街にも遺されていてしかるべきだ。もっと高度な携帯端末、もっと高度なEV車。そんなものだ。


 わからない。何かの事情がありそうだ。


 とにかく詳細を観察するにしても、もう少し拡大率が必要だ。そこでアカネは一度光学系を全て分解し、ベースからしっかりと作っていこうとする。


 3Dプリンターでもあれば、こんな治具は簡単に作れるのに。


 そう思いながら精度もネジ穴もまちまちな廃材を組み合わせていこうとしたが、すぐにこれじゃあ無理だと諦めた。もっと正確に長さを測れる装置がいる。アカネは再びジャンク置き場に取って返し、使えそうな部品を拾い集める。レーザーポインター、鏡、それに光学センサーに使えそうなパーツ。ここまで来ると、集積化されている2000年代のパーツよりも、トランジスタやキャパシタが剥き出しになっている1980年代頃の電子機器の方が扱いやすい。それらをお手製の半田ごてで分解し新しい基板に乗せ、とりあえずレーザーポインターを光らせるところまでたどり着く。


「うおー、やってみると結構大変だ!」


 そう両腕を振り上げた途端、鈍い感触がして小さな悲鳴が響いた。振り向くとトキコが鼻を押さえて呻いている。


「あっ、ごめん! いると思わなかった」


「ずっと見てたのに」そう鼻をさすりつつ、何か恐る恐るといった様子でアカネの手元を覗き込む。「って、これ――一体何を作ってるの?」


「えっと、色々やろうとしたら、まず正確に距離を測れなきゃなと思って。レーザー距離計を作ってるところ。きっと売ってるんだろうけどさ。お金もないし。それで」


 心なしか、トキコの顔は強ばっていた。窓、そして開け放たれた扉の外を改めると、扉を閉じてカーテンを引っ張る。


 何事だろう、と思ってたアカネに、彼女は難しそうに言った。


「あなたが来た所じゃ、そう難しい技術じゃないのかもしれないけど――ここ、〈月下〉では、そういうの止した方がいい」


「そういうの? どうして?」


「良くない噂が立つから」そこで無理に表情を変えて、笑みを浮かべた。「さぁ、そんなのしまって、お昼にしましょ? もう残り物しかないけど――」


「ちょっと待って。教えて。こんなのただの電子工作だよ? 外じゃ端末の修理とかやってる人も――」


「違うわよ。修理屋さん、部品の交換が精々で、こんな凄いこと出来ないもの。この辺では、それは〈魔女〉の技だって言われている。そして〈魔女〉は恐れられている。今度は本当に月を落とし、世界を終わらせるんじゃないかって。だから、悪いことは言わないから、その技は仕舞っておいて。ね?」


 真に迫った顔で懇願され、アカネは頷くしかなかった。

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