2. 目覚め

 目を見開いた途端、何もかもが奇妙だという感覚に襲われた。


 何だろう。何が妙だ?


 辺りや暗闇で、まだ日が昇っていないのがわかる。


 変な夢でも見ただろうか。トイレにでも行きたかったんだろうか。


 とにかく無意識に身を起こそうとしたが、ベッドについたつもりの手に鋭い痛みを感じ、途端に目が覚めた。


 一体何だ? 普段のベッドの感覚と違う。そもそもベッドじゃない。どうして私は砂利の上に寝ている? ここは何処だ? 私はどうなってる? というか、私は何だ? 私はツクヨミ――


 その名前が不意に浮かんできたが、すぐに違うと悟った。ツクヨミは何か夢の中での名前だ。SFっぽい、宇宙空間での妙な夢。私はアカネだ。ミズサワ・アカネ。高校生で、昨日イグノーベル賞のノミネート連絡を受けて――


 そうだ。私はアカネだ。何か混乱しているが、それだけは確かだ。


 暗闇の中、そろそろと身を起こす。周囲は霧に包まれているようで、判然としない。それでも靄の奥の方に黄金色の光があって、濃霧が緩やかに流れている事だけはわかった。


 アカネ自身は、夢の中で着ていた宇宙服のようなものを身に纏っていた。全身に密着した、皮のような、化学繊維のような、奇妙な感触のするスーツだ。白と灰色に塗り分けられていて、腰や各所に金属質の物が埋まっている。だが腕に付いているパネルは光を失っていて、触れてみたが何の反応もない。


 その時、鋭い痛みが額を刺した。指で拭ってみると、べっとりと血がついた。だが周辺は乾きかかっていて、それほど深い傷ではないらしい。


 一体、何がどうなってるんだろう。


 我に返って最初に覚えたのは、全身の痛みだった。体育祭の後のようだ。節々が固まり、まともに曲げられない。次いで気づいたのは、寒さだった。霧だと思ったのは、ひょっとしたら雲なのかもしれない。全身を覆うスーツは相当に防寒性能がありそうだったが、すぐに髪も顔も濡れ、背筋に寒気が走る。ヒュウヒュウとした風切りの音が、寒気を更に加速させる。


 思い通り動かない身体を無理に曲げ、半ば這うようにして立ち上がる。地面はささくれ立った暗褐色の礫で覆われていて、霧は数メートルの速さで流れている。視界は二、三メートルほどしかなかったが、頭上のずっと奥では弱々しい日の光がある。


 いや、日の光だろうか。それにしては大きい。


 怪訝に思いながら足腰を伸ばし、少し周囲を探ってみる。緩やかな斜面だった。数メートルはある岩が散らばっていて、霧の中に恐ろしげな影となっている。


 地面も岩肌も硬かったが、脆かった。ブーツの足を進める度にザクザクと砕け、粉のようになっていく。火山岩のようだ。


 するとここは火山だろうか。


 思いながら岩の一つに上ってみると、向こう側には異質な物が転がっていた。


 筒に、クランクに、バネにネジ。何らかの機械類が、ある物は折り重なり、ある物は広範囲に散らばっている。殆どの物は霧に濡れて黒々としていたが、所々は錆び付いていた。比較的原形を留めていそうな物を手に取ってみる。武器なのは明らかだった。映画で連射されているような類いの銃だったが、どこか形が違う。試しに引き金を引いてみたが、何の反応もない。


 マッドサイエンティストの卵として分解してみたい欲求にかられるが、今はそんなことをしている場合じゃない。次いで見えてきたのは戦車のようだった。無限軌道があり、巨大な砲塔がある。しかしこれも、アカネが多少知っている現代武器とは何処か違う。更に目の当たりにした代物で、その違和感の正体に気づいた。


 ここは未来なのか?


 そう直感した原因は、岩肌によりかかるようにして座り込んでいるロボットにあった。立ち上がれば全長三メートルくらいありそうだ。アニメや映画に出てくるロボットのような装飾類はなく、明らかに戦闘用に実用的に作られた代物らしい。頭はつるんとした兜のようで、上半身はボディービルダーのような形態の金属に覆われている。配線や関節の露出はなく、アカネはそのどことなくレトロフューチャー的な外見に好感を覚えた。


 何か現状を知るための手がかりはないかと細部を改める。戦闘があったようで微細な傷は無数にあり、側頭部に人差し指ほどの直径の穴が空いていた。周囲が溶けて固まっている。きっとこれが致命傷となり、稼働停止したのだろう。機構を把握し胸郭を開いてみると、想像に反して内部はからっぽだった。ひょっとしたらこれはロボットではなく、パワードスーツの類いかもしれない。


「だとしたら、これを着て戦えるってことよね」


 途端にわくわくしてきた。何処かに電源スイッチでもないかと探ってみたが、どうにもアカネの知る電子回路とは違う。殆どがモジュール化されていて、配線の類いが一切ないのだ。科学技術というより、設計製造技術に現代との数段の差が窺える。アクチュエータらしき物もこのサイズの金属を動かすには小さすぎるし、外殻も戦闘用にしては軽すぎる。相当高度な素材だ。


 やはりここは、未来らしい。


 そう確信したのは、モジュールの一つの装甲に刻み込まれた英語の文字列からだった。


 聞き覚えのないメーカー名らしき物が記されている。だがそれはどうでもいい。問題は、製造年だ。


「2109年」呟き、アカネは胸郭に突っ込んでいた身を起こした。「百年も未来に来ちゃった」


 しかしこのロボットは、遺棄されてからそれなりに時間が経っているように見える。ひょっとしたらそれ以上、二百年や三百年くらい経っていてもおかしくないのだ。


「いやいや、参った。面白いけど参った」


 それが正直な感想だった。得体の知れない事態に怯えている自分もいれば、喜んでいる自分もいる。


 さて、どうしたもんか。


 急激に疲れと空腹を感じ、ロボットの傍らに座り込む。先ほどから頭痛が酷い。傷のせいというよりは、更に奥の方が痛む。ひょっとしたら脳しんとうでも起こして、それで記憶を失っているのかもしれない。


 そこでアカネは、必死に記憶を辿った。思い出せるのはやはり、時子と話していた所までだった。イグノーベル賞にノミネートされた報告をして、それで彼女から祝福だか馬鹿にされてるんだかわからない言葉を受け、それでもアカネは楽しくて――


 そこから、何があったろう。


 幾ら考えても思い出せない。時子の丸い顔、古風に三つ編みにした髪が輝き、机の上には代数の教科書が開かれていたのまで覚えている。確かにあれは留数のページだ。だというのにそこから数コマ先に進めようとしても、脳内の映像は凍り付き、頭痛が酷くなってくるばかりだった。


 あのとき、何かを見ていた。何かを指し示していた。そんな気がする。


 だがそれが限界だった。今では目を覚ます前に見ていたSFチックな夢の内容も、殆ど思い出せなくなっていた。アカネは大きく息を吐き、頭痛を忘れようと頭を振る。髪にまとわりついていた水滴が飛び散り、ロボットの胸に水滴を作る。


 何ということもなく、アカネは虚ろにその水滴を見つめていた。それは霧がもたらした雫を集め、大きくなり、遂には重力に逆らえず表面を伝っていく。そして大きな水滴が地面に落ちたとき、アカネは何か低く唸るような音を聞いた気がした。


 耳を澄ます。そして再び同じような、それで先ほどよりも大きな音を捉え、すぐに身を起こして音源を見つめた。

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