コドラ――2話

 暗い部屋にろうそくの明かりが一つ。開けたままの扉からは月明かりが忍びこんでいる。

 皺の深い男はやけに華奢な白い着物の女に言った。


「よいな? 神山の社に赴き、立ち込めし霧を晴らせ。これは神々の怒りによるものである。その命を持ってお怒りを鎮めてもらうのだ。よもや逃げ帰る事のなきように」


「承知しております」

 女は涙の一つも見せずに返事をする。

「うむ。お前の帰る場所は神山の外にはないと心得よ」

「はい。必ずやこの国に平穏を」

「では、出立は明日の日の出とともに」

 男はかさ高に言って部屋を出て行った。女はただ着物を握りしめ、きつく前を見据える。

 そして次の朝、女はまるで雲の中にあるような白い霧の立ち込める島に渡っていく。


 小舟で岸に着くと、漕いでいた二人は立ち上がり口々にお礼を言った。

「あなたのおかげで国は救われます。ありがとうございます」

「どうか、あなたに長閑やかな来世のありますことを」

 女は整えられた木の桟橋に立ち、一つお辞儀をした。そして一人きりで、真白い雲の中へと入って行く。

 小舟は女が雲の中に消えるのも待たずに川を戻っていく。


 身震いするような冷たさがそこにはあった。生き物の声のたった一つさえ聞こえず、凍り付いた草木を踏み女は迷わずに進む。

 やがて赤い湖のほとりにある地下への階段の前まで来ると、女は跪きその身に魔素を纏わせる。


「静まりませ。静まりませ。私は声を聞く者。招き入れられませ」

 そうして三つの水晶の鳥居をくぐり長い階段を下りきると、広い空間に出た。

 湖の真下に広がる高い天井の空間には本殿や神楽殿、神池などを有する神社があった。神社は白に赤と金で装飾が施されており、厳かな雰囲気になっている。


 けれどそこには、たった今来たばかりの女が一人きり。

 女は神楽殿で舞を舞うと、息が上がるまで続けた。女の纏う光は舞うごとに輝きを増す。

 そして本殿に向かい祈り始めると、その輝きは神社の全てを包み込んだ。

 一日、二日と祈り、ひと月、ふた月、そして一年が経った頃に変化が起きた。島の全てを覆っていた雲が女の放つ光を纏い話しかけて来たのだ。


「汝は何者か?」

「アズマ国の巫女で御座います。あなた様にお怒りを鎮めて頂くために参りました」

「私が怒りを抱いていると? 可笑しな事を言う。私はただそこにあるだけだ。雲なのだからな。少し魔素の酒にて大きくなりすぎたが、それだけだ」

「そんな……⁉ では、私のしてきた事は……」

 女は失意を隠しきれず、ガクリと膝から崩れ落ちた。


「いや。ここは魔素が湧き、淀みの集まる地。合わさればただ暴れまわり壊すだけの魔物が生まれるだろう。汝は確かに、その祈りにて人々を守っている」

「よかった……」

「しかし、長く留まれば毒になる。立ち去るがいい」

 雲は言うけれど、女は首を横に振り涙を溢した。

「帰る場所など、ありません……」

 それから雲は「哀れな者よ」と呟いて女の話し相手になった。

 そのうち島を覆う地上の雲は晴れ、祈りの力を借りて地下の神社へ集まり姿を得る。その姿は白く輝く龍だった。



 夢から覚めるとキビキは土砂の上に寝ていた。辺りは未だに青く染まり、炎の中にいるのだと分かる。息苦しいほどに濃い魔素溜まり。

そっと体を起こしてみると、青い炎の光の中に二体の龍の姿があった。

 牙を剥いている見た事もない大きな龍と、見た事もないほど大きなコドラだ。コドラはキビキに気付くと話しかける。


「起きたか、キビキ」

「コドラ……お前、お前ってこんなに大きかったのか」

 それはキビキが本体だと思っていた体の倍はありそうに思えた。

「すまぬな。これが本当の本体だ。ずっとここに居ったのだ」


 コドラはそう答えながら、青い龍を押さえつけている。魔素はこの青い龍が、炎と共に生み出しているようだった。

「聞きたい事があり過ぎて何を聞いたらいいのか分かんねぇよ」

 キビキが言うと、コドラは「そうだろうな」と答える。それから聞いた。


「炎の中で何かを見たか?」

「あぁ。巫女がここに下りてきて祈る夢を見たよ」

「その巫女がこの青炎龍だ」

 コドラの言葉に驚き、キビキは青炎龍を見る。その瞳は悲しみに揺れ、苦痛に牙を剥く。夢で見たあの女には似ても似つかない姿だ。

 けれどコドラは「千年かけて変わってしまったのだ」と言う。

 そして何が起きたのかを、青い炎の中で話してくれた。


 女はいつか腹が減らなくなり、水だけを欲するようになった。そうすると祈りにかける時間が増え、外に出なくなった。

 その頃から女の祈りは青い炎を生むようになり、青い炎は人の心の淀みを焼いた。

 けれどそれから百年も経つと、女は自分が死ねないのではないだろうか? と気付いたのだ。それはとても恐ろしく、終わる事のない未来は絶望を促した。


「それでも彼女は人々の為に祈り続けたが、それは心の拠り所であったのだろう。彼女の体はこの地下の社に縛られてしまったのだ」

「出られないのか?」

「出られないのとは少し違う。出れば自制心を失い暴れまわるのだ。その矛先は人々に向かう。人々の為に祈りながら、自分は淀みを溜めてしまうのだろう」


 コドラの話によれば、巫女は夢で見たあの日から千年もこの社で祈り続けているらしい。

 酒に溶けて流れだす心の淀みを青い炎で焼き、死を目前にした苦しみを焼く。けれど自分自身はどこにも行けず、どこにも帰れず、ただ終わらない未来に恐怖し続ける。

 その溜めた淀みが百年周期で溢れ出してしまうという事だ。


「けど、それなら言ってくれたら良かっただろう!」

 キビキは千年という年月に驚き叫んだ。


「あぁ、本当にそうだな。けれどこれが起きた後は必ず青い炎によって忘れてしまうのだ。事が起きる前は彼女の炎の勢いが増し、私の記憶はいつもおぼろげなのだ。すまんな」


 キビキは、やっとコドラがここに近づくなと言っていた理由が分かった。嘘を吐いていたわけでも何でもなく、ただそうとしか思い出せなかったのだ。


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