ヨネジの事情――3話

「キビキ。年寄りの昔話に付き合ってはくれんか?」

 霧で相手の表情も窺えない中、ヨネジが硬い声でそう切り出した。

「ん? おぅ。いいけど」


「ワシはサン国の出身でのぉ、その中でも最も酔いどれ森に近く、力を持つシッコク城に勤めておった。ワシはその城で護衛騎士をしておったのじゃが、引退してからこの森に住むようになったんじゃ」


 サン国とは、酔いどれ森を囲む五国の中で最も広い領土を持つ大国。

 緑の美しい山々、広大な草原。そんなサン国は大型獣の住まう国だ。人間は自然や獣たちと共存し、エルフやドワーフも多く暮らしているという。


 キビキが頷くと、ヨネジは続ける。

「シッコク城は昔、シラハ城という城だったのじゃ。それが百五十年前の大戦で落ち、新たな城主の元でシッコク城と名を変えた。ワシのご先祖様はそのシラハ城に勤めておったそうなのじゃが、その人の書いた日記が見つかったのじゃ」


 日記は何重にも布をかぶせてから石で固められ、龍の置物の台座にされていたと、ヨネジは言う。

 偶然にもドジな侍女が落として壊してしまったので見つかったらしい。


「そこに書いてあったのじゃ」

 ヨネジはそこで言葉を区切り、ふぅと息を吐いた。

「シラハ城の城主とその妻に疎まれた息子の事がな」

 悲痛な声のヨネジの話を、キビキは黙って聞く。

 ふと風が吹き、光を纏う霧が流れる。


 サン国には女神伝説があった。

 それは銀の狼を従えた娘が戦乱の先頭を駆け、サン国に勝利をもたらすという物だ。

 普段はただの伝説であったが、いざ戦が始まるとどの城も、どの城がその女神を見つけだすのかでギクシャクし始める。

 そんな時にシラハ城の城主たちの元に生まれたのは、息子だった。


『この子が女だったのなら』


 そんな腹立たしさをぶつけるように、二人は息子につらく当たった。

 代わりにその息子は、城に勤める者たちが育てたのだと、日記には書いてあった。

「日記には、騎士や侍女たちは溢れえるほどの愛情を注いで育てたと書いてあった」

 ヨネジの言葉がまた止まる。

 キビキは、何となくヨネジが自分の事をじっと見ている気がした。

「それで、その子供はどうなったんだ?」

 キビキが聞くと、ヨネジが続ける。


「シラハ城に戦火が迫っておりましたのじゃ。それに加え、当時の戦の先陣を切っていたシラハ城を蹴落とそうと他城の手が伸びて来ており、落城は目の前。騎士たちは主よりも何よりも、幼い息子を不憫に思ったそうでのぉ……」


「それで、どうしたんだ?」

「安全な場所などどこにもありはせんが、唯一戦火の及ばないであろう場所に息子を隠したそうじゃ。この酔いどれ森に」

「え……?」

 キビキは心臓が跳ねるのを感じた。けれどこれがどんな感情なのか、キビキには分からない。怒りとも違う、喜びとも違う。

 そして、ヨネジは続ける。


 戦は領土を広げるためのもので、とりわけ酔いどれ森に接する面積を広げようとどの国も躍起になっていたという。

 けれど誰も酔いどれ森には入らない。森に戦火を持ち込めば魔物たちを怒らせてしまうから。青い炎に焼き尽くされてしまうから。


「日記はそこで終わっておった。どういうつもりで日記を隠したのかは分からん。けれど、ワシは気になってしまってのぉ。何か少しでもその子供の事が分かりはせんかと、酔いどれ森に来たのじゃ。日記には葡萄酒の湖のほとりの神社に隠したと書いてあったから探しもした。しかしどれだけ探しても、神社の跡すら見つからん」


 突然の話に、キビキは言葉を見つけられずに俯いた。

「のぉ、キビキ。お前さんは人間だったそうじゃな? 百五十年前、六歳でこの酔いどれ森に連れて来られたと言うておった。お前さんが、ワシの探しとる息子じゃないかのぉ?」


「そんな事……急に言われても……」

「そうじゃろうな。しかし謝罪はさせてくれんか? お前さんを知る者が一人も生き残らんかったのか、何か別の思惑があったのかは分からんが、本当に長い間すまなかった」


 いたずらな風がそこだけ霧を掻き分け、キビキに向かって頭を下げるヨネジの姿を見せた。

「俺は……」

 何を聞けばいいのか、キビキは想いを解すように言葉を探す。


『家族に嫌われていたのか?』

『本当に城の人たちに愛されていたのか?』

『捨てられたわけではなかったのか?』

『なぜ誰も迎えに来なかったのか?』


 そのどれもが本心で、そのどれもが答えの分からなくなった問いだとキビキは分かっている。

 そしてキビキは自分の手を見た。

 煌めく石に覆われた鬼の手だ。頭も、日本の角を生やした鬼の頭だ。


「でも……もう遅いよな。だって俺、こんな姿だし」

 キビキは縋るように呟く。


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