獣の還り水――3話

 そこへ短い悲鳴が聞こえてきた。

 キビキが声のした林の方に目を向けると、そこには先ほど薬をもらったばかりの若い魔剣士が立っていた。

 しかしその表情は先ほどまでとはまるで違う。

 目を吊り上げ、刀に手をかけ、今にも飛びかかりそうな形相でキビキを睨み付ける。

 辺りの魔力が凄い勢いで水晶が埋め込まれた彼の刀に集められている事も、キビキには分かっていた。


 見られたか? とキビキは焦り、どう動くかが決められない。

「大丈夫ですか?」

 シラハナがそう言いながら、キビキと男の間に降り立った。

 それを合図に男が刀を抜いて走り出す。その切っ先が天馬の左翼を狙っていると気付き、キビキは男に飛びかかった。

 今のキビキは鬼の姿だ。人間なんかに負けはしない。

 キビキは男を地面に押さえつけながら訴える。


「こいつが何をした……。俺が何をしたって言うんだよ!」

 今も俺が必死に力を加減して、骨を折らないようにしている事も知らないで、とキビキは腹立たしくて奥歯を噛み締める。

「はぁ……」

 何も答えないのか答えられないのか、男が黙ったままなのでキビキは溜め息を吐き、シラハナに「行け」と言う。


 シラハナがその場を離れると男が絞り出すような声で言った。

「少年をどこへやった」

「少年?」

「あの外套を羽織っていた少年がいたはずだろう! とぼけるな!」


 そうか、とキビキは思う。

 この男は今、自分の為に怒ってくれているのだ。そう思うと、姿が変わる瞬間を見られていなかった事に安堵しながらも、キビキは複雑な気分になった。


「忘れものだ。森の方へ走って行った」

「信じると思っているのか! 人の言葉を操る凶悪な鬼め!」

「はぁ……」

 キビキはもう一度、大きな溜め息を吐く。

「なんとか言ったらどうなんだ! お前が食ったんだろう!」

 男はキビキに押さえつけられながらも叫ぶ。

「俺の食いもんは石だ。人間なんか食うかよ」

 キビキはそう言って懐から手の平ほどの紫の石を取り出し、組み敷いている男に見えるようにボリボリと食って見せた。


「本当に食べているのか……って、ん? お前! これは紫水晶じゃないか! こんなの食べるなよ! 高いんだぞ!」

「美味いもん食って何が悪いんだよ」

「それ一つで何か月も生活できるってのに、非常識だ!」

 男は悔しそうにうな垂れる。

 その顔の横の地面がボコボコと動いた。キビキは片手でそこをまさぐり、中から魔物石を取り出した。それを握りつぶして粉々にする。


「なんだ。今のは食わないのか?」

「食うわけないだろう。魔物石だぞ」

 男の発言に呆れながら、キビキは言った。すると驚いた男は目を見開く。

「今のが魔物石だって⁉ こんな所に埋まっているのか⁉」

「何も知らないんだな。魔物石はどこにでもあるよ。自分で動くんだ」


 男は声を失うほど驚き、キビキの下で身じろぎする事も忘れている。

 しかし魔物石は憑りつける生き物を探して動くはずなのに、どうしてこの男を狙ったのだろうか、とキビキは首を傾げる。

 まさかピンピンした青年に憑りつく事はできないだろうし、と口には出さずに考える。


 感情かもしれないし、あるいは諍いの気配かもしれないとキビキは思う。

 どういう理由かは分からないが、酔いどれ森も魔物石も感情に反応する事が多いのだ。

 感情を流す酒、想いを焼く青い炎、生き物を暴れさせてしまう魔物石。


 さて、この男をどうしたものか、と思っていると空から嘶きが聞こえてきた。

 見上げると天馬の群れ。先頭を飛んでいるのはシラハナだ。天馬たちは渦を巻くように回りながら湖の周りに降りてくる。

 その美しい光景を眺めていると、シラハナがカポカポとキビキたちの元に走ってきた。その後ろを凛然とした姿で歩いてくる天馬が一頭。


「丁度そこまで群れが来ていたので案内してきました。さぁ人間、神の風たる我ら天馬の群れを率いる副長がお相手しましょう」

 シラハナはそう言ってキビキに笑いかける。

 天馬は風を操る力を持っており、その姿から神の風と呼ばれているのだ。

 そうなのでキビキが男の上から降りると案の定、男は天馬の副長が鎖のように変化させた風に捕縛された。


「あれ、長は?」

 キビキは聞きながら周りをキョロキョロと見渡す。すると副長が答えた。

「長はかえりに参った。シラハナの事、感謝しておられたぞ。もちろん我ら一同とて同じ気持ちだ。ありがとう」

「そうか……」

 キビキは寂し気に返事をする。


 還るとは、水となり世界の大きな流れへと還る事。

 森の生き物たちは、長く生きると最期にはその体が水となり天へ舞い上がる。

 骨すら残らず水と変わり、最後の一滴まで舞い上がってしまうと今度は雨が降る。優しく包み込むような霧雨だ。

 それを還る、あるいは獣の還り水と呼ぶ。寿命だ。

 寿命を迎える前に命を落せば還る事はないので、魔物たちは還るのは幸せな事、と思っている者が多い。

 確かにそうなのだろうが、とキビキは俯く。


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