炎に消える

『なんだ、この感覚は…?』

 馬を走らせるフローレスは、背筋に冷え切って錆びついた鉄板を差し込まれたような、とても嫌な感覚に襲われたが、それを振り払うように大声を上げ、先陣を切って愛馬を走らせた。

「この身は民とともに! 竜のご加護を我らに!」

 あとに続く者たちもときの声を上げた。

「竜のご加護を!!」

 街の人々はこの尋常でない様子に不安そうな眼差しを投げてきた。その中には多くの子供の顔もあった。

『彼らを守らなければ…』

 しかし今回は街の人々を守る以前に、自分の身を守りきれるのかどうかさえもわからない。民とともに逃げたほうが得策なのではないか。いや、けれどももうそんな時間はない。民を守るなどということはまだ自分には荷が重いのではないか。こんなことを考え過ぎてしまうとどうしても判断が鈍ってしまう。今となってはもう竜との戦いだけを最優先に考えるべきだと、フローレスは子供たちの無垢な笑顔をあえて頭の中から追い払い、一心に馬を走らせた。


 街はずれまでやってきた。

 フローレスの感じる嫌な感覚はよりいっそう強いものになっていた。

「アイリ、いるか?」

 そこにはフローレスの後ろをつかず離れずして愛馬バイオレットにまたがるアイリの姿があった。

「はい!」

 フローレスは馬のスピードを緩めアイリと並走した。

「アイリ、そなたが初めてここへ来た時、一緒に竜を退治しに行ったな」

「はい」

「その時にお前を助けたのを憶えているか」

「はい、もちろんです」

「よくここまで成長したもんだ。それにこれまでの働きに感謝する」

「感謝だなんて…」

「だが、今回ばかりはいつものようにはいかないかもしれない。われわれのうちの多くの者が死ぬかもしれない。いや、かなりの者が死ぬだろう。ひょっとするとわたしも死ぬかもしれない」

「はい、承知しています」

「だから、自分の身は自分で守ってくれ。他の者のことは考えなくていい。わたしのことも考えなくていい。ただ自分だけを守れ!」

「はい!」

「そなたは死ぬにはまだ早すぎる。生き残って故郷へ帰れ。これは命令だ!」

 フローレスはアイリを見ることなく、まっすぐ前だけを見つめてそう言った。

 彼の瞳はこれまで見たことのない光を湛えていた。例えてみればそれは竜が宿っているようだとアイリはそう思った。


 やがて到着した緑の草原の丘の上。

 眼下には先に出発していた第1兵団を中心とした兵たちがすでに陣形を整えていた。コンパクトにまとまり、一歩も引く気配を感じさせることのない、攻撃のみを目的とした陣形。それも敵の総大将を討つことだけに特化したものだ。攻撃をやんわりと受け流し被害を最小限にとどめ、かつ敵陣の中心をえぐっていくように突き進む。

「指揮しているのはルイだな。さすがいい読みをしている。この総力の差ならこうするしかないだろうな。わたしもそうしただろう」

 彼らは陣形を保ったまま、すでにゆっくりと前進していた。

 そして、視線を地平線に移すと、細長く黒い雲のようなものが浮かび、それはだんだんと横に広がっていくようだった。

「あれか、竜の群れというのは…」

 フローレスはため息を吐くようにつぶやいた。

「それにしても50キロールか、よく見つけたものだな」

「はい。例の竜使いと称する者がどうしても気になるというので、ずっと監視を続けていたのです」

 隣りにいた兵士が答えた。

「そんなやつがいたのか」

「はい。あ、いえ、てっきり王子もご存知かと…」

「グリプトにはいろんなやつらがいるからな」

 双眼鏡を覗いていたレイモンがフローレスと兵士との会話に入ってきた。

「レイモン、お前知ってたのか?」

「オレは変なやつに惹かれるたちでね。でもさすがにただの妄言だとしか思わなかったけどな」

「まあいい。それで、どうだ、見えるか?」

「ああ、なかなか壮観だぜ。今の距離は15から20キロールといったところか。こんな竜の大群を見たのは初めてだぜ。その手前にいるのは…と。あんなでかい旗なんか振りやがって、やっぱりアルベル国のやつらに間違いねぇな。数は2、300といったところか…。ん? あれは…?」

「どうした?」

「何人かのやつらが馬に乗ってあっちへ向かっているようだ。合流するのか?」

「誰か交渉をしろなんて向かわせたものでもいるのか?」

「いや、たぶんいないだろう…。それにオレたちじゃ時間的にあんな遠くにいるのは無理だ。そんなことができるのは…ひょっとしてマウロたちじゃ…」

「ああ、そうかもしれんな。逃げることまで計画に入れていたんだろう…。ところでレイモン、金色の竜はいるのか?」

「さっきから探してはいるんだが、まだ見えない…」

 けれどフローレスは、ずっと感じているこの嫌な感覚、心臓をつかまれるような見えざる圧力プレッシャーは、あの金色の竜のものに違いないと強く確信していた。

『必ずあそこにいるはずだ』

 そう思うと居ても立ってもいられなくなった。

「我らも続くぞ! 敵は金色の竜だ!!」


「ルイ、ここまでご苦労だった」

「ああ、わしがやれることはやっておいたぞ」

 フローレスたちが陣形の中に組み込まれたころには、アルベル国の旗が肉眼でも見えるようになっていた。

「だいぶ近づいてきたな。いよいよだな…」

 陣の先頭にはフローレスをはじめ、アイリ、ルイ、ダレス、レイモンたちがいた。そしてザハドもこの最前線に連れてこられていた。圧倒的な数の敵を前にして言いようのない緊張が走り、誰もが無口になっていた。

 そして彼らが見つめる前方の空、突然、奥を飛んでいた竜の中から数十匹がアルベル国の兵士たちの上空に来たかと思うと、何の前触れもなく、いきなり地上に向かっていっせいに炎を吐いた。

 その炎の熱で景色はゆらめき、彼らは一瞬にして炎の柱の中に消えてしまった。

「あ………」

 その様子を見ていたザハドは声にならない声を口から漏らしていた。

「なんだありゃ、何が起こったんだ?」

 兵士たちを代表するようにレイモンが口に出した。

 そして、誰もが言葉を失っていた次の瞬間。

「うわっ!」

 兵士たちは突然吹き付けた熱風に顔を覆った。

「なんなんだ。仲間割れか? ひでえことしやがるな…。この様子じゃ、アルベル国そのものもどうなるかわかったもんじゃねぇな。いや、もう灰になってるかもな…」

 レイモンはあきれた様子でつぶやいた。

「そんな………。兄さん! マルロ! みんなぁー!!」

 ザハドは叫びながらその場にくずおれ、両膝をついたまま呆然と前方を見つめていたが、その瞳はただ遠くの炎を映しているだけで、もはや絶望以外の感情は宿していなかった。

「これが竜と契約した人間の末路か…」

 フローレスはそう言うと天を仰ぎ、そしてザハドを見やった。

「くそ、どけっ!」

 ザハドはあっけにとられている兵士たちのすきを突いて、近くにいた馬を奪いまたがった。ザハドのどこにそんな力が残っていたのかわからないが、彼が手綱を握りしめ胴をひと蹴りすると、馬は一目散に走り出した。

「おい、ザハド! 待て!!」

 ザハドはフローレスの言葉を振り切るように、脇目も振らず馬を走らせた。

「あいつ、こんな時に大事な馬を盗みやがって! ちくしょう!」

「追うな! 今行っても無駄死にするだけだ!」

「だけどよぉ…」

「もう時間がない…! 全員、いつでも戦えるように備えろ! 決してぬかるなよ!!」

 ザハドの姿はやがて風にかき消されるように見えなくなった。


「来たか…」

 兵士たちはみな息を殺していた。

 遠くの空にいた数え切れないほどの竜は、今では一匹一匹が見分けられるまで近くに来ていた。青い空を埋め尽くすように飛ぶ竜の群れ。地上はそれらの影で薄暗くなり、鳴く声や羽ばたく音はあたり一面に響き、よりいっそう不気味さを増している。

「いたぞ! 金色の竜だ!」

 誰かが叫ぶのと同時に、フローレスもその群れの一番奥にいる金色の竜の姿を見逃さなかった。

『あんなところで高みの見物とは、いいご身分じゃねぇか…』

 レイモンの口調が移ってしまったのかと思うと彼は笑った。

『わたしにはまだ笑える余裕がある。大丈夫だ。だが兵士たちは…?』

 フローレスは陣の先頭で振り向き馬を止め、そしてその上に立ち上がった。

 そこにはともに戦ってきた仲間たちの顔があった。何度も死線をかいくぐってきた頼りになる仲間。彼らにこの生命いのちを預けようと思った。しかし兵士たちの中には、この絶望的な状況を前にして、すでに生きて帰ることすら諦めかけている者がいることもまた手にとるようにわかった。

「みんな聞いてくれ! 今回の戦いはこれまでで最も過酷なものになるだろう! だが諸君らは決してそんなものに屈することはないはずだ! 何ものにもひるまず向かっていく姿をわたしは知っている! 天と地のあはひに生まれしものたちよ! 竜に愛されたものたちよ! 死にに行くのではない、生きるために進むのだ! 道がなければ切り開け! 武勇を誇り勇名を馳せよ! 愛するものを守れ!」

 そして腰から剣を抜き高らかに振り上げると、それは日の光を受けてまばゆいほどに輝いた。

「われわれに勝利を! 竜のご加護があらんことを!」

 それに兵士たちが応えた。

「竜のご加護があらんことを!!!」

「わたしに続け!」

「おぉー!!!」

『さあ、来るなら来い!』

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