夢と現実の狭間で

 アイリの目の前に広がる真っ白な世界。手探りをしても何もつかめず、まるで雲の中にふんわりと浮いて漂っているようだったが、いつからか体中を突付かれるような感覚をおぼえ、ぼんやりとした頭のままうっすらと目を開けた。

 すると、すぐ目の前に彼女の愛馬バイオレットの顔があった。バイオレットも主人が目を覚ましたことに気が付き、喜んだように顔を揺らすと、鼻息がアイリの首筋にかかった。

「ふふっ、バイオレット、くすぐったいよ……」

 あたりには不自然な静けさが広がっていた。

 アイリはしばらく夢うつつのまま愛馬の顔をなでていたが、ふいに人々の気配を感じ周りを見回すと、多くの兵士に囲まれているのに気が付いた。頭はまだこの状況に付いていけなかったが、いつまでも寝ているつもりもなく、地面に手を付きゆっくりと体を起こそうとした。

「痛っ……!」

 その時、これまで経験したことのないひどい頭痛に見舞われた。

「頭が痛いことなんてなかったのに、どうしちゃったんだろ、わたし……」

 片手で頭を押さえ、苦悶の表情を浮かべながらようやく上半身を起こした。

 兵士のひとりがフローレスに声をかけると、彼はあわてて駆け寄ってきた。マウロも一緒だった。

「おお、アイリ、気が付いたか」

「フローレスさん、すみません。わたし意識を失っていたみたいです…。金色の竜はどうなりましたか?」

「心配するな、あの竜なら逃げていったぞ。ほら、あそこ。まだ見えるだろ」

 フローレスが指差した方には、小さくなってはいるが確かに竜の影が見えた。

「それより体はどうだ。立てるか?」

 心配そうに覗き込んだフローレスが手を差し伸べてきた。

「はい、もう大丈夫です。ありがとうございます」

 アイリは手を借り立ち上がると、服に付いた草の葉を払った。いまだ夢から覚めやらず、白い麻のワンピースではなく、黒い甲冑を身に付けていることに違和感を感じながらも、乱れていた髪を後ろでひとつにまとめ、ひもで縛った。

「フローレスさん、わたし、どれくらい気を失っていたんですか?」

 胸元の緑竜石の輝きを感じながら尋ねた。

「そうだな、ずいぶん長く感じたが、たぶん5分くらいのものじゃないか?」

「そうですか…。それで、竜はなぜ……」

 気を失っている時に何があったのかを聞こうとしたところに、命をかえりみず竜に向かっていた男たち、ダレス、レイモン、ルイが戻ってきた。

「アイリ、大丈夫でしたか?」

「突然びっくりしたぜ。その緑の光はどうなってんだ? 魔法か何かか?」

「あの竜、アイリの光を浴びて引き返したようだったな」

 男たちは馬から下り、アイリに向かって荒い息のまま次々に声をかけてきた。

「みんな心配かけてごめんなさい。わたし何も憶えていないけど、何があったんですか?」

 めずらしくマウロが最初に口を開いた。

「あの竜にはわたしの矢が効かなかった…」

 話を繋いだのはレイモンだった。

「そうそう、マウロの矢があんな風に折れるなんて初めて見たぜ。そんで、これは普通じゃねぇと思って、オレたち3人で向かっていったんだが、これがまた、まったく歯が立たないときた。しかもあいつはオレたちのことなんてお構いなしで、脇目もふらずここへ向かって行きやがった。あれはどう考えてもやばかったよな」

「ああ、わたしももうダメだと思った。あの竜は尋常じゃない」

 今度はフローレスが続けた。

「いくらか応戦したんだが、飛び道具はまったく役に立たなかった。そのまま竜は一直線にこちらに向かってきて、今にも炎を吐き出そうという時、アイリを包んでいた緑の光が太陽のように眩しくなり、竜を目がけて飛んでいったんだ。光が飛んでいくなんてありえないが、まさにそんな感じだった。するとその光に包まれた竜は苦しそうな叫び声を上げて引き返していったんだ。あのまままともに戦っていたら、おそらく今ごろここで息をしているものはいなかっただろうな」

「そんなことがあったんですか…。わたし、ずいぶん長い夢を見ていたみたいなんです。確か金色の竜が出てきて、金色の竜と戦って……あれ? 金色の竜が2匹なんておかしいわ……痛っ!」

 アイリはふたたび頭痛をおぼえ頭を押さえた。

「アイリ、ずいぶん顔色がよくないようだから、今は帰ってしっかり休め。話はあとからでいい。それにしても、夢か……この状況も夢だといいのだがな………」

 フローレスはそう呟き、遠く飛んでいく竜のほうに顔を向けると、それにならうように他の男達も竜を見た。

 竜は背中を見せながら、長くて太い尾をしなやかにくねらせ大空を上昇していった。そして、そのままくるりと宙返りをすると、一度だけギラリと強く体を輝かせ、空の中へ吸い込まれるように消えて見えなくなった。

「行ったか………。アルベル国の兵士も……どうやらいないみたいだな。ひとまず当面の危機は去ったといっていいのかどうか。みんなどう思う?」

「そうですね。もしまた襲って来るにしても、態勢を整えるまでは時間がかかるでしょうね。こちらも一度引き返すのが賢明だと思われます」

「まあ、そうだろーな」

「わしも同感だ」

「うむ………」

 フローレスは腕組みをしてしばらく遠くを見つめていた。

 ずっと落ち着きのなかった馬たちも、今は穏やかに草をんでいる。

 風が吹き、草がさらさらと揺れた。

 とても静かだった。


「さーてと、いつまでもここにいても仕方ねーよな」

 しびれを切らせたレイモンが横目でフローレスを見ながら言った。

「そうですね」

「そうだ、お前たちに伝えておかないといけないことがある」

 フローレスは急に思い出したように言った。

「なんでしょう」

「面倒な仕事ならお断りだぜ」

「そんなことじゃない、いい知らせだ」

「給料を上げてくれるのか?」

「レイモン、お前の場合下げてもいいくらいだがな。いや、そんなことじゃない。今日からアイリが正式に第4兵団、お前たちの団長に任命された。国王の命令だ。これからはちゃんと彼女の指示に従うように」

「アイリが? おー、そりゃーめでたい! さっそくお祝いしなくちゃな!」

「王に認められるなんて、すごいじゃないですか、アイリ!」

「すげーな! さすが、オレたちのアイリだ!」

「アイリ、おめでとう」

「すごいとかそんなんじゃないんです。なぜわたしが選ばれたのかわからないし、それに団長になったからって、これまでと何も変わらないわ」

「いやいや、そう謙遜するなって。よし決めた! わしはずっとアイリに付いていくぞ。わっはっは!」

「アイリが団長ならオレも文句はねえ。それじゃひと仕事終えたことだし、帰って盛大にお祝いだ!」

「そうですね。仕事のあとの酒はなんとやら。そうと決まったら早く帰りましょう! おーいみんな、撤収だ、撤収!」

 そう言うが早いか3人の男たちは馬にまたがり、我先にと草原を駆け上っていった。

「まったく、ついさっきまで生きて帰れるかどうかわからなかったっていうのに、もう宴会気分だとは…。まあ、あれがあいつらのいいところでもあるけどな。アイリ、これから頼んだぞ」

 フローレスは男たちの後ろ姿を見送りながら、肩をすくめやれやれと呆れたように力なく笑い、アイリも苦笑いをして「はい」と答えるだけだった。

 他の兵士たちもやっと緊張から開放され、重い兜を脱ぎ、談笑しながら草原を歩いていく。

 そんななか、ザハドはひとり離れたところで双眼鏡を取り出し、ふたたび暗い森を覗いていた。なにやら真剣な様子で、フローレスが近づいたのも気付かなかった。

「どうしたザハド? 何かあるのか?」

 背後から声をかけられ、彼はずいぶんと慌てた様子でハッと振り返った。

「い、いえ、なんでもありません…。ちょっと気になったものですから…」

「そうか。もし心配なら、丘の上からもう一度確かめればいいだろう。あそこなら眺めもよかったぞ」

「はい、そうします…」

 そう言うとザハドはそそくさと双眼鏡をしまい、森に背を向けたのだった。

 アイリはふたりのやり取りを見ていたが、ほんのかすかだが、森の中で光が点滅しているような気がした。金色の竜が飛びながら太陽の光を乱反射させていたのとは違い、まるでこちらに向かってまっすぐに光を投げかけているようだったが、それもすぐになくなった。

 あれはいったい何だったのだろうと思いつつも、フローレスに名前を呼ばれてそんなことはすぐに忘れてしまい、アイリもまたバイオレットにまたがり草原を駆け上がった。

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