涙のカケラ

 アイリの目の前の光景が、ワタシの目に映る光景が、断片的な残像を残して走馬灯のように次々にうつろっていく。

 まるで広い劇場の座席にただひとりぽつんと座り、自分のために作られた影絵を見せられているようだった。それも色の塗られたとても写実的なものを。その描写はとても細かく、建物の窓枠の傷から、人々の顔の彫りに至るまで、微に入り細にわたっていた。

 瞬きをする間にも、目の前で繰り広げられる光景やその背景は、留まることなく次から次へと別のものに変わっていく。しかし不思議なことに、そのひとつひとつの場面、そこで話す人々の言葉は、鮮明にアイリの記憶に刻まれていった。そしてまた、場面が変わるたびに、ワタシの感情はころころと変わり、それはつかみどころがなかった。


 そうやって、いくつも時が流れた。


 街はさらに大きくなっていった。粗末な小屋からレンガ造りの家になり、街の中心部には立派な城ができた。そして貿易で得た莫大な財産を背景に、近隣の国々をも自分たちの支配下に置くようになった。

 街は人々であふれ、そうなると、ささいなすれ違いから人と竜との軋轢あつれきが生じた。こんなことはワタシがルカといた頃には絶対に起きないことだった。竜に対してあからさまな敵意が向けられ、結果として元々警戒心の強かった彼らは街の中での居場所をなくし、ワタシを残して次第に郊外へ、ついには街から離れた森へと追いやられていった。

 ワタシは特別扱いを受けて街に残っていたが、特別といっても実際は国の発展に協力した竜と人とがうまくやっているという対外的なアピールに過ぎず、ワタシにとっては単なる足枷あしかせでしかなかった。時には、人を集めるための見世物にされているのではないかという疑念が湧いてくることもあった。


 時代が進むにしたがい、ワタシは人々の言葉がわからなくなっていった。

 ルカの2代先の街のおさ、その頃にはすでに王と呼ばれていたが、彼の時代まではワタシはまだ人々の言葉もわかり、ワタシの心を理解してくれるものもいた。しかし次の王の代、それは初めての女王だったが、その頃になると、人々が何を話しているのか、いったい何を考えているのか、まったくわからなくなってしまったのだった。人の言葉はもはや単なる雑音にしか聞こえなくなってしまった。

 そうしてワタシすなわち竜と人との意思疎通がはかれなくなるにしたがい、竜はあからさまに迫害され、街の近郊の森に住んでいた彼らは一斉に排除され、竜と人との対立の溝が一気に深まっていった。

 竜の仲間に対する仕打ち、そのほとんどは人間同士の権力や富をめぐった策略、謀略、陰謀、奸計かんけいなどであったが、そんな醜い争いのために竜の仲間たちが利用されたかと思うと、憤懣ふんまんやるかたなかった。

 しかし一方で、ワタシは竜たちから疎まれる存在になっていた。街の中に安住の地を得た人間の協力者だとみなされ、裏切り者だと口々に罵られ、心のうちを理解してくれるものなどいなかった。もはやワタシの言葉に耳を傾ける仲間もいなくなってしまった。

 竜の中からはついには人に対して危害を与えるものも現れてしまった。その行動が、人間のうぬぼれを増長させ、竜をさらに迫害する口実を与えるだけだというのに…。

 やがてワタシの心は人と竜のどちらに対しても疑心暗鬼になり、闇の感情が多く支配するようになってきた。


……嗚呼あぁ、ワタシは多くを知りすぎたのかもしれない。

 あれだけ鮮明だった視界は霞がかかるように徐々に白く濁っていき、すべてのものが胡乱うろんで、ぼやけたものになってしまった。


 ある日、ワタシはいつものように城の敷地内で休んでいたが、突如として女王が玉座より進み出て、高らかに宣言した。

『本日、ただ今、この時点より! 竜が街から半径30キロール以内に入るのを禁ずる! 例外はいっさい認めない!』

 女王はそう言ったのだったか。

 ワタシはもはやその言葉が何を意味するのか理解できなくなっていたが、突然体が鎖で拘束され、その意味を知った。ワタシを縛り付ける力はさらに強くなり、地面に組み伏せようとしてくる。彼らはいったい何をしようとしているのか。

 ワタシは鎖を振りほどこうと体を大きく揺さぶった。鎖にしがみついていた人々が悲鳴を上げながら地面に叩きつけられ、そのたびにさらに鎖を引く力が強くなる。そのうえ、もりの付いた鎖を体に打ち込んできた。


やめろ! やめてくれ!!

……ワタシは思わず大きな鳴き声を上げた。

 その場にいた人々は突然の大音響に頭を抱え、あるいは体をよじり苦しみもがいていたが、真正面の玉座には、まったく動じることなく不敵な笑みをたたえて座っている女王がいた。

 アイリは、金色の竜の目に映ったその顔を見て驚いた。それもそのはず、彼女もまたアイリとそっくりだったのだから。しかし、あらゆるすべてのものをさげすむような目つき、いびつにゆがんだ口元は、アイリとは正反対の顔つきだった。

 ワタシはさらにきつく縛り上げられ、反射的に体を力の限り振るい、羽を思いっきり伸ばした。その拍子にぶちぶちと鎖は切れてはじけ飛び、その切れた鎖が当たった人々は頭や体から血を流して倒れ込んだ。

『そら見たことか! こいつらはやはり悪魔の末裔だ! 1匹残らず殺しつくせ!!』

 その言葉を合図に、街のあちこちから空砲が鳴り、いつの間にかワタシに向かって大砲がずらりと並べられていた。そして、ワタシに向けられたのは大砲だけではなく、それよりもおぞましい、敵意と恐怖の入り混じった人々のまなざしだった。


どうしてそんな目で見るのだ…。

いったいワタシが何をやったというのだ…。

やめてくれ……やめてくれ!………やめてくれっ!!


 ワタシは声の限り鳴き、地面を蹴り飛び上がった。

 空中に舞い上がると、森のあちこちから火の手が上がり、飛んで逃げようとする竜の姿がいくつも見えた。しかし地上から打ち上げられた大砲の弾によって、あるものは顔をなくし、あるいは体に大きなダメージを受け、またあるものは羽を破られ、彼らの多くは苦悶の悲鳴を上げながら地面に落とされた。


なんてことを……。


 突如、足元を一発の砲弾が横切った。下を見ると、ワタシの声に頭を抱えながらも、ひるむことなく大砲の砲弾を放ってくる人々の姿があった。ワタシは自分の身を守るため、何度も大きく羽ばたき、あるいは体を翻していくつかの砲弾をやり過ごした。空中で爆発したものもあるが、避けた砲弾はそのまま放物線を描いて街の中へ落ちていった。そして建物の中に吸い込まれていったかと思うと、大きな爆発音に続いて砂ぼこりが舞い上がり、火の手が上がった。ワタシの耳には人々の悲鳴も聞こえてきた。


……嗚呼あぁ……………。


 煙の中から突然現れた砲弾に驚いたワタシは、それを避けることができず、とっさに炎を吐いてしまった。ワタシが炎を吐いたのはこの時が初めてだった。砲弾は火を吹いて爆発し、これがほかの砲弾の爆発を誘発し、街全体を揺るがすほどの大きな爆発となった。

 城を中心にして、同心円状に街の建物が音を立てて崩れていった。壁は軒並み倒れ、天井はことごとく落ち、瓦礫の山が出来上がった。多くの人々が瓦礫の下敷きとなり命を落とした。

 しかし、このような状況にあってもなお、玉座に座り続けている女王がいた。全身に大きな傷を負い、額から血を流しながらも、口元にはいびつな笑みをたたえ、ワタシをにらみつけていた。


こんなものはもう見たくない……!


 人間に対する不信、不安、恐れ、困惑、不満、怖れ、疑念、怒り、あらゆる負の感情が業火のごとくワタシの心の中で燃え上がり、渦巻き、すべての想い出と感情を焼き尽くした。やがてそれはひとつとなって形容しがたいほどの憎しみと怒りに変わり、身体を支配していった。

 しかしながら、心の中のすべての感情が焼き尽くされたあと、一面真っ黒にすすけた灰の中、かすかにキラリと光るものがあった。

 ほんの小さな、あやうく見過ごしてしまいそうな光だった。

 ワタシは無我夢中でむさぼるように溜まった灰をかき分けると、そこには、あの少女との思い出が、涙の形をした小さなカケラになって残っていた。

 ワタシが心から愛した少女。いつまでも続いてほしかった、あの幸せな日々。

 こんなに小さくても、満天の星々よりも多く、どこまでも続く真っ青な空よりも広く感じられる、暖かな感情。

 丘に咲く花々は風に揺れ、その花で冠を作ってワタシにくれた彼女。その優しい瞳とやわらかな表情、よく笑う声、そして手のぬくもりを憶えている。忘れることなどできない。


………知らずのうちに、瞳を流れ落ちた涙とともに、ワタシの心はまっぷたつに引き裂かれた。

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