メッセージ

 丘を渡る穏やかな風が吹いていた。

 バイオレットはたてがみを風になびかせ、さくさくと音を立てながら、一歩一歩ゆっくりと草の地面を踏みしめ歩いていく。

 アイリはその背中に揺られ、前を行くフローレスの背中を見つめていた。ふと視線を逸らすと、丘の向こう、森に向かって逃げていく竜の姿がかろうじて見えていた。

 フローレスとアイリが馬を進めていくと、そんな竜の姿を追っていた兵士たちのいく人かが気付き、左右に分かれて道を作った。その道の先、兵士はみな甲冑で全身を固めているが、それとは対照的に、ほとんど防具を付けず、身軽な格好をした、見るからに屈強そうな数人の男たちがいた。彼らはそれぞれ馬を従え、逃げ去る竜の姿を口惜しそうに眺めていた。

「お、やっとお出ましだ」

 最初にフローレスたちに気付いた男。子供の背丈ほどもある大きな剣を背中に背負っているのは、第1兵団のルイ。国王の右腕と呼ばれている男だ。

「遅いですよ、アイリ。竜ならあの通り、もう逃げてしまいました」

 切っ先の鋭い長い槍を手にしているのは、同じく第1兵団のダレス。沈着冷静、それを体現しているかのような落ち着いた口調。

「それなら丘の上から…」

 アイリが答えようとすると…。

「アイリ聞いてくれよ、もう少しでオレがあいつを仕留めるところだったのに、まだ様子を見ろだとか何とか、ルイが水を差したせいで、みすみす取り逃がしちまったぜ…。あ〜、また腹が立ってきた!」

 腰の両側に差した剣をガチャガチャいわせ、地団駄を踏んで割り込んできたのは第2兵団のレイモン。彼は血の気が多くなにかと感情的になりやすい。

 そして彼らの隣には、先に到着していたザハドの白銀シルバーの甲冑の姿もあった。彼は長らく不在だった第2兵団の副長になっていた。

「レイモン、わしは当然のことを言ったまでだが? まぁ、自分の運のなさを呪うんだな」

「ルイ、あんたが余計なことさえ言わなければ…、今日という今日は…」

「おいおいおい、仲間割れもいい加減にしろ! そもそも今日はお前たち第4兵団の出番はないはずだろ。勝手なことをされると困る」

 フローレスは馬から降りながら男たちをなじった。

「まあ、いつものことじゃないですか、王子。そうピリピリしてるとまた白髪が増えますよ」

「その通りだ。次期王様には、わしのようにもっと堂々としてもらわんとな! わっはっはっはっ!」

「お前たちなぁ…」

「そもそも、オレたちは兵団の代表なんだから、兵士をこんなに大勢集めなくても、オレたちだけに任せた方がいいんじゃないか?」

 レイモンのやり場のない怒りの矛先はフローレスに向かった。

「おいおい、ひとりで何十人、何百人の力を持っているつもりにでもなってるのか? たまたま演習でこれだけの兵が揃っていたんだ。不幸中の幸いだとは思わないのか」

「あんな竜、オレたちだけで、いやオレだけで十分だ」

「まあ、レイモンに任せるわけにはいきませんが、半分は同意しますね」

「王子には悪いが、わしも半分は否定できないな」

「そんなの結果でしかないだろ。何が起こるかわからないんだ、あらかじめ…………もういい」

 毎度毎度のことではあったが、フローレスが彼らとのやりとりにうんざりしはじめた頃、横からアイリが口を開いた。

「みんな、遅れてごめんなさい。みんなの活躍は、さっき丘の上から見ていました。今回もお疲れさまでした。竜を取り逃がしてしまったのは残念だけど、森に向かって逃げたみたいだし、これで当分街も襲われることはないと思う。みんなのおかげです」

 男たちはおとなしくアイリの言葉を聞いていた。

「あと、わたしもそうだけど、ここにいる兵士の中には、まだ竜との戦いに慣れていない人も大勢いるから、みんなに戦い方を見せてあげて」

「アイリがそう言うなら仕方ない。いや、そもそもわしは最初からそのつもりだがな。おいお前ら、わしの戦い方をしっかり目に焼き付けるんだぞ! わっはっはっ!」

「チッ…言いやがるぜ。自分だけいい子ちゃんぶる気か?」

「王子、またアイリに助けられましたね?」

「うるさい。ほんと、お前たちにはまったく困ったもんだ……。おい、ザハド、こいつらが何をやっていたかはだいたい想像がつくが、他に何か変わったことはなかったか?」

 フローレスは思い出したように、ザハドに声をかけた。

「わたしからは特にありません、が…」

 ザハドは隣にいる男をちらりと見た。

「ん? どうした?」

「なにかおかしい。ひっかかる」

 そうつぶやくのは大きな弓を手にした男、第3兵団のマウロだった。

「マウロ、何か気になることでもあるのか?」

 フローレスが尋ねた。

「こいつ、さっきからこうなんだよな。なんだか竜の様子がおかしいだとか、人の影が見えるだとか。まったく要領を得ないったらありゃしねぇ」

「レイモン、お前には聞いてない。マウロ、続けてくれ」

 マウロはうなずいた。

「あの竜、大きかった。けど、明らかに弱すぎる。今までの竜と比べて。こんなにやすやすと逃げていくの、腑に落ちない」

「このオレから逃げたのは、わざとだって言いたいのか?」

「だからお前は黙ってろって。それから?」

「この感じ、前にも同じようなことがあった。あの時、近くにいた仲間。助けを求めていた」

「仲間が近くにいるってことか? それは考えられないこともないな…。うーん。それで、人の影っていうのはなんなんだ?」

「あそこ。丘と森の境目。竜が逃げていくあたり。人の影、動くのが見えた。今も。ほら、あそこ」

「あそこに人がいると言うのか? 何も見えないが? ザハドどうだ?」

 双眼鏡を手にしたザハドは、人の影が見えるとマウロが言うあたりを見ていた。

「そうですね、どこにも人のようなものは……ん? あれは…?」

「ザハド、何か見えたのか?」

「はい。人が見えます!」

「人だと?」

「はい。断定はできませんが、あの格好…、あれはおそらくアルベル国の兵士だと思われます」

「アルベル国だと?」

 フローレスは声を上げた。その声を聞いた全員がフローレスに視線を集めた。

 アイリは兵士になってからその国の名前を何度も耳にしていた。辺境の土地を根拠地とする小国だが、最近はグリプトに対して不穏な動きをしているという噂がある。

「フローレスさん、それって…」

「ああ、アイリ。なんだか厄介なことになってきたかもしれないな…」

「あの国の奴らがこんなところにいったい何の用だ。しかもそれがほんとだとすると、やつらは竜と一緒に行動しているっていうのか?」

 ルイが話に加わってきた。

「…はい、そんな風に見えます。竜が向かってきても一向に動じていないようです」

 ザハドが双眼鏡を覗いたまま答えた。

「どれくらいいるんだ?」

 フローレスが再び尋ねる。

「ざっと2、30人というところでしょうか」

「どういうことだ…。竜を操っているということなのか? いや、竜を操るなんて出来はしない。強いて言うなら、竜と手を組んでいるということなのか?」

 フローレスは独り言のように言った。

「おいおいそんなばかなことあるのかよ! 王子、あそこはオレたちの国の土地だよな? オレたちに用事があるなら、まずは使者を遣わすのが筋だろ! まさかあの竜が使者だなんて言うんじゃねぇよな」

「…おい、レイモン。お前今なんて言った?」

「え? いや、だから、あそこはオレたちの国だよなって」

「その後だ」

「用事があるなら使者を寄越せと…」

「そのあと!」

「竜が使者だなんてふざけた…」

「それだ! まさか、これはアルベル国の宣戦布告の意思表示じゃないだろうな」

「王子、それは考えすぎではないでしょうか」

「いや、今はまだわからないことが多すぎる。念には念を入れておく。ザハドとマウロはこのまま監視を続けてくれ。他のものはいつでも迎え撃てるように臨戦態勢を整えておけ! 兵士たちにもそう伝えろ!」

「わかりました!」

 一瞬にして兵士たちの間に緊張が走った。

 アイリは兜を深くかぶり直し、バイオレットの手綱を引き寄せ、首を優しくなでた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る