自分は自分が見えない


「真彦くん、私明日から東京に住むことになったの。短い間だったけどありがとう」


僕の返事を待たずに体を翻した彼女は、最後の通学路を凛々しく歩いて行った。

彼女の歩いたところだけが瞬くように輝いていた。それはまるで天の川を思わせた。

古びた田舎の校門には僕と彼女の淡い匂いだけが残り、

僕の時間は止まった。





中学1年の7月、学校生活が始まりようやく心の壁が溶けてなくなりそうな頃合いに彼女は突然いなくなった。

お父さんの転勤で東京に居住することになったそうだ。

本人がいなくなっても話題に上がるほど、彼女は人気者だった。



彼女の名前は時道詩織(ときとうしおり)。

容姿端麗、有智高才。非の打ち所がない彼女はクラスいや学年の人気者で、常に生徒に囲まれていた。

休み時間になると、他クラスから一目見たいとぎらついた視線のレーザービームを送る生徒もいた。

そんな彼女と僕はなぜ友達になれたのかというと、

たまたま席が隣だったからだ。


僕は1人でいる時間を好み、休み時間は読書に耽っている。

ある日のことだった。帰りのホームルームが終わった後、本の続きが気になりすぎて家に帰るのも忘れ、本の世界に没入した。


読み終わった時には生徒は誰もおらず、窓からは朱を含んだ光が差し込んでいた。虚無感に陥りしばらく眺めていると、後ろのドアが古ぼけた歯軋りを鳴らした。




「矢追くんまだ残ってたの?もう帰る時間よ」


「あっ、うん。本に夢中になっちゃって」


「そう、先生に怒られるわ。早く学校を出ましょう」


「そ、そうだね。ありがとう」


まだこの世に感覚が戻りきっていないのに、彼女の声によって強引に身体という箱に戻された。本を学生バックにがさつに突っ込み、時道さんの半歩後ろを歩いた。



「あっあの、なんで時道さんは残ってたの?」


「体育着忘れちゃったから取りにきたの。それよりさっきは何の本読んでたの?」


「神様の願い事」


「あら奇遇ね。私もそれ最近読んだわ。とっても心温まるいい小説だった」


「そうだよね!この本何回も再読するほど好きなんだ。この本の話ができる人初めてで嬉しい」



それから校門で別れるまで何を話したのかは正直覚えていない。大好きな本の感想を言い合えたこと、クラスの人気者である時道さんと話せたことが化学反応を起こし、僕の頭の中で沸騰していたからだ。

時道さんとまさかこんな形で話せることになるなんて思ってもいなかった。

本を読んでいて良かった、本を好きでよかった。



次の日から時道さんは挨拶をしてくれるようになった。授業が始まる前の先生が来るまでの時間には話しかけてもくれた。ほとんどの話は僕の読んでる本についてだけど。

彼女と一緒に遊んだことはないけど、この一般の人から見たら些細な会話でも、僕の中ではきらきら輝く宝物になっていった。

話していて緊張がようやく顔を出さなくなる頃、突然彼女はいなくなった。

失って初めて気付かされる。という言葉があるが、正にこのことだろう。




僕は恋をしていた。

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