第12話 山の上の修道院

 山は急峻きゅうしゅんだが、難所ではない。

 歩きやすいよう道が踏み固められているので、登るのは楽だ。


 最初は飛んでゆく予定だったのだが、どうにも術式が安定しなかった。普通の魔術であれば力づくで展開してしまう程度のぶれだが、飛行に関しては細心の注意を持って臨まねばならない。


「今回は飛ばないのかな?」

「強引に展開しようと思えばできますけど、途中で術式が破綻するかもしれないです。破綻したら即落下、頭が潰れたトマトみたいにくしゃってなりますよ」


 トマトみたいになりたくないでしょ? とネムが凄むと、瑠依さんは素直に頷いた。わざわざハーネスを持参したのに気の毒だが、あたしたちは片道三時間の道のりを歩いて行かざるを得なくなった。


「飛ぶの、好きなんだけどな。残念」

「そうなんですか? 誰かに乗せてもらったことがあるんです?」

「私の故郷ではね、鳥と人のあいのこみたいな精霊がいるんだ。天狗って言うんだけれど、彼らによく乗せて貰っていたんだよ。小さい時の話だけれどね」


 テング。寝物語にばあちゃんが語ってくれた覚えがある。


「カラスの羽をもつ、綺麗な生き物なんですよね」

「そうそう! よく知ってるね。カラスの濡れ羽色って言葉が私の国にはあるんだけれどね、日の光を受けると玉虫色に輝いて、本当に綺麗なんだよ」


 極東の生き物で、霊気というパワーを源として、魔術のような不思議な力を行使するのだと瑠依さんは嬉しそうに教えてくれた。


「好きなんですね、その天狗のことが」

「うん。大好きだ。……相思相愛ではないのが少し寂しいけれど」


 ふっと笑った瑠依さんは、眩しそうに空を仰いだ。まだまだ登山は始まったばかり。道のりは未だ遠い。


「こんなに離れていても術式が安定しないということは、神性案件は確実だろうね」


 呟く瑠依さん。

 そう言えば神性を帯びた本ってどんなものなんだろう。金ぴかなんだろうか。はたまた勝手に動き出す? 真夜中に金ぴかの本が床をどたばた這いずっていたらちょっと迷惑だ。いやいや、勝手に動く神性本なら、人食いはやってのけるかも知れない。ベッドの下から這い出てくる神性本。叫ぶ少女。そのほっそりとしたくるぶしに噛みつくページたち……。


 小休止をいくつか挟みつつ、益体もない話をぽろぽろと交わしつつ、しょうもない妄想をたくましくしているうちに、ぽっかりと開けた場所に出てきた。薪割りの台や、まとめられた薪が整然と置かれてある。


「あ、あそこじゃないですか」


 ネムが指差したのは山の中腹部分にあるシンプルな煉瓦造りの屋根だった。僧院としては悪くない大きさだと思う。少なくともオルトラの僧院よりは大きくて立派だ。

 建物は古びているけれど、綺麗に手入れがなされていた。薄らとコーヒーの香りが漂ってくるのもなんだか面白い。あたしたちは僧院の裏手に回り、ノッカーを叩いた。

 すぐに一人の少年が出迎えた。


「サー・トキワですね」

「サーではないかな。常盤瑠依です、院長はおいでで?」

「もちろんです。そろそろお着きになる頃かと思いましたよ、さあどうぞ」


 僧院の中は薄暗い。あちこちに蝋燭が灯っていて、僧侶たちが何か書き物をしたり小声で話したりしている。

 渡り廊下を過ぎ、離れに通される。その廊下から、焼け落ちた図書館が少しだけ見えた。聞いていた通り、建物の輪郭が保てない程の大火に見舞われたようだった。


「こちらです。院長、トキワ様がお見えになりました」


 通された部屋は本だらけだった。

 壁据え付けの本棚にぎっしり、みっちり、所狭しと並べられてある。部屋の真ん中には、入って来た人間を真正面から出迎えられるように、院長のワークデスクがある。黒い木材で作られ、シンプルながら重厚感がある。清貧を旨とする僧院らしく、卓上には筆記用具以外の物はない。


 そして笑顔を浮かべながらこちらに近づいてくるのは、杖を片手に持ちながら軽やかに歩み寄ってくる一人の男性だった。瑠依さんと軽く握手を交わす。彼が差し出す手には、術士であることを証明する指輪が三つ四つはめられていた。

 大きな指輪には紋章が刻まれてある。林立する樹木の紋章で、上には十三門閥の門徒であることを示す王冠の意匠が輝いていた。


「どうも、わたくしが院長のサハラ・ティアドロップです」

「常盤瑠依です。それにしても見事なコレクションですね。全てきちんと革で装丁されたオーダーメイドですし、稀覯本きこうぼんも幾つかお見受けしますが」

「いやはや、俗世を捨てきれていないようで、お恥ずかしい限りです」

「ということは、こちらへいらっしゃる前は」

「ええ、アルハンゲリスク国立大学に勤めておりました。ですがそれももう昔のこと。今は神学を探求し、神のみもとに我が身を投げ出すただの男です」


 歳は大体五十半ばくらいだろうか。杖を持つにはいささか早い年齢のように思うけれど、顔にいくつも刻まれた皺や、魔術を酷使したせいで節くれだち、傷だらけの手を見るに、象牙の塔も楽ではないらしい。

 さて、とティアドロップ氏はあたしとネムの顔を見る。そこには拭いきれない不信感が浮かんでいた。


「ずいぶんとお若い助手をお連れになりましたな?」

「神性に関しては頼れる助手です。さて! 若い彼らは出走間近の馬のようにはやっています。焼け落ちたという図書館へご案内頂けますか?」

「ええ、ではこちらへ」


 院長の後に続き渡り廊下へ出、そこから埃っぽい細道を踏みしめて図書館の方へ向かう。

 焼け落ちたという図書館の跡地は、瑠依さんが調査する為に後片付けもされず、そのままになっていた。柱が炭化し、何かの墓標みたいに歪んで地面から突き出ている様はどこかグロテスクだ。


「あ……本、ですね」

「本当だ、燃え残ってる」


 燃えかすの体積している地面のあちこちに本が落ちている。まるで砂浜に埋まった貝殻のようだ。手近にあったものを拾おうと気軽にしゃがみこむと「まだ触らない方がいいね」と制止された。


 ティアドロップ氏は図書館の火災後に、自動文様展開盤で軽い防護壁のようなものを作っていたらしい。懐から取り出した星座盤のようなものをくるり、くるくると回し、その防護壁を解除する。

 その工程を見届けたあと、瑠依さんはなわばりを確認する犬のように、焼け跡の周りを歩いていた。

 ややあって、ゆっくりと燃えかすの山に足を踏み入れる。その顔はいつもの余裕ある表情を失っていた。


「……問題は、なぜ、この本に神性が付与されてしまったのか、ということだね」

「やはり、神性を帯びていますか」


 ティアドロップ氏が疲れを滲ませた声で言う。


「実は僧たちの間でも話題になってしまっているのです。神の手が触れた燃えない本について。神のもたらした奇跡を欲しがる者も多い」

「ははあ。だから防護壁を作られたんですね」

「ええ。まともに魔術を展開できないので、ほんの気休め程度でしたが、それでも僧たちを押しとどめるのには十分です」


 どうやら院長が一番警戒していたのは身内だったようだ。僧たちが燃えない本を神の御業と考えるならば、それを手に入れようとする思いは分からなくもない。奇跡をそんな気楽カジュアルに手に入れてしまってよいものか、という疑問は残るが。


「百冊以上はありますか。神性が付与されている本は」

「そのくらいでしょう。いずれにせよ、燃えてしまった本の方が圧倒的に多い。……で、一つお伺いしたいのですが」


 院長は杖を握り直しながら、瑠依さんの方をちろりと見やる。


「あなたは神性簒奪者だと聞いています。あなたが触れれば、この本は……燃え落ちてしまうのでしょうか」

「はい。私の力はそういうものです。内容は写真に撮っておくので、再現は可能です」

「そうですか。いえ、図書館にはもう二度と手に入らない写本も多くあったものですから、内容だけでも確認できるのであれば朗報です」


 言いながら院長は懐中時計を取り出す。古びてはいるが金でできた立派なもので、よく手入れがされていた。大学名と卒業年と思しき数字が刻まれてある。神のみもとに身を投げ出すと言っていたわりには、俗世を引きずるような装飾品を持ち歩くんだなと思った。


「ああ、申し訳ない。午後の勉強会が始まるので席を外します。神性を帯びた本は全て処理してしまってください。目録はきちんと作成してくださいよ」


 そう言って彼はやっぱり意外な素早さで、僧院の中に入って行った。杖を持っているわりにはそれを突いていないのが不思議だが、見た目に拠らず矍鑠かくしゃくとしているということだろう。


 さて残されたあたしたちは、速やかに仕事に取り掛からねばなるまい。

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