第26話 ドアの鍵、ゲットだぜ!(残虐描写)
壊れるのではと思うほどドアノブが乱暴に跳ねる。レバーが回らないように押さえていたが、おかしなことにあの細腕に力負けしてしまう。
ドアノブを回しきったかなおは、押し開こうとドアに全体重を掛けてくる。タガが外れた狂人の力は、ドアを軋ませるほどに強い。三人がかりで押さえているので流石に大丈夫とはいえ、そのうちドアごと破壊されそうな勢いだった。
「ねえ、思い出したんだけどさ……」
「急に何?」
そんな危機的状況にあって突然、真尋が世間話をし始めた。ドアが鳴らす耳障りな騒音に掻き消されぬよう、顔を近づけてくる。そんな場合ではないというのに。
「虐待といじめの仕返しで両親とクラスメイトの合計五人刺し殺した女子高生の話。テレビじゃすぐに報道されなくなったらしいけど」
「それって、まさか……」
「分かんないよ? でもその事件って、酷いリストカットの痕とか、多すぎるいじめの目撃情報とかで同情の声がほとんどだったんだよね。んでも、クラスメイトっぽい子によるネットの書き込みじゃその子、滅多刺しにしてるとき楽しそうで、復讐のためとはとてもじゃないけど思えなかったって」
「いじめられてたのは人を殺したいから……ってことッ?」
パーツが揃い始め、浮かび上がる可能性。
かなおは人を殺したがっている。
加虐を誘い、被害者になる。そのことで関心を引くのが目的ではなく、本当の目的はその先。正当な人殺しなのかもしれない。殺人に正当性を持たせることによって、さらに重く深い関心が集まる。
正当性といっても法的な話ではない。感情的な話だ。
あんな奴は殺されても仕方がない。そう思われている相手を殺す。人を殺してしまったが、被害者はあの子の方だ。そんな筋書きを和泉は想像した。
憐憫を得られ、殺人衝動も満たす。
「じゃあなんで懐いてる和泉を襲おうとしてんの!」
「そんなの分かるわけないでしょ!」
すると、ドアが押される力がふと消えた。力づくでは開けられないと悟ったとしても、諦めるはずがない。そう思った次の瞬間、ドアの小窓が叩き割られた。包丁の柄で殴ったようだ。
三人は反射的にしゃがみこみ、喉奥からは勝手に悲鳴が飛び出た。
割れたすりガラスが頭に降りかかり、散らばった破片は足元灯に照らされキラキラと輝く。
「誰でもいいから早く助けてほしいんだけど!」
真尋の叫びももっともだ。このままでは次に何をされるか分かったものではない。
かなおは小窓から腕を伸ばし、こちらを斬りつけようとしてくる。こちらがしゃがんでいることもあり、ちょっとやそっとじゃ届きはしない。それでもかなおは、がむしゃらに腕を振り回す。
頭上を幾度も凶刃が閃く。
「なんで逃げるんですかー? 和泉さんも、茨戸さんが悪いって思いますよね……? 殺されても仕方ないって……」
窓枠に残ったガラス片に腕を刻まれながら、かなおは涙声で同情を求める。
同情を得ようとする相手を襲う。言動がまるで一致していない。
「とりあえず落ち着いて!」
かなおがこの施設に来たばかりの頃は、まだ茨戸に殴られていれば被害者面できていた。それが和泉たちが流した噂のせいで、誰もが被害者という立場を濃くした。
自分だけ特別な『被害者』でいられなくなったかなおは、ただでさえ不安定だった精神状態が悪化し、欲望が歪んだ形で現れたのだ。もはや本人にすら、自分が何をしているのか理解できていない。
斬りつけるのを諦めたかなおは、再びドアをこじ開けようと力を込める。今度は体当たりをするように、何度も何度も断続的に体重を掛け始めた。
このままでは蝶番が壊れ、かなおが侵入してくるかもしれない。そう思ったときだった。
「大丈夫ですか!」
廊下の奥、遠くから庭瀬の声が聞こえてきた。騒ぎを聞きつけたらしい。
「流石に大人の男の人ならなんとかしてくれるよね?」
「父親も殺してるんでしょ?」
「そうだった……」
成人男性が来たとはいえ、刃物を持った人物相手にどこまで対処できるのか。あまりあてにしない方が良さそうだ。
最悪の事態を想定して、和泉は頭を巡らす。
そして和泉は、ある作戦を思いついた。この危機的状況を切り抜け、なおかつ脱走に繋がる作戦を。
「ねえ、私にいい考えがあるんだけど」
「いい考えって?」
「ドアから離れよう」
「はあ! なんで!」
「私を信じて。さん、にー、いち……今!」
和泉の掛け声に合わせ、三人はドアから飛び退く。すると同時に、ドアがバネ仕掛けの玩具のように開け放たれた。
かなおはガラスの破片の上を素足で歩きながら、ゆっくりと近づいてくる。その様子を、茨戸は廊下の床の上で物言わず見つめていた。
「わたしのこと、信じてくれないんですか? こんなに傷つけられてるのに……」
次第に追いつめられていく。部屋の中に招いた以上、逃げることはできない。
ちょうどそのとき、庭瀬が折よく部屋に飛び込んできた。
「どなたか怪我を――!」
室内の状況を把握した庭瀬はしかし、途端に無表情になり動きを止めた。
かなおはそんな庭瀬の腹部に、振り向きざま、躊躇いなく包丁を突き立てた。
庭瀬は抵抗をするどころか、何の反応も示さない。まるで糸の切れた人形のように、ふつと動きが途絶えた。
突き立てた包丁を引き抜くと、真っ白い服が一気に赤く染まっていく。そしてかなおはもう一度、庭瀬の腹部を深く刺した。
ついに庭瀬は、無表情無反応のまま崩れるように倒れた。
「な、何が起きてんの……?」
恐怖に上ずった声で真尋が呟く。絞り出されたその疑問の答えは、和泉にも分からなかった。庭瀬とひと悶着あると思っていたのだ。
そして庭瀬に意識が集中しているかなおの頭に、和泉は椅子を振り下ろした。鈍い音が、壁に吸い込まれるように消える。
かなおは体をびくんと一度痙攣させ、気を失ってその場に倒れた。頭が切れたらしく、椅子には血が付いていた。
「どうしよう救急車呼ばなきゃ」
「いや救急車とか来ないから」
目の前の惨状にパニックに陥る真尋を、治日は諫めた。
「とりあえず二人とも、上着脱いで。こんな恰好見られたら怪しまれるよ」
「そっか、そうだよね」
言われるがまま、二人は脱ぎ始める。
和泉は上着と巻き付けていたバスタオルを脱ぎつつ、庭瀬のそばに寄る。そして、腹から血を溢れさせる庭瀬に遠慮することなく、上着のポケットに手を突っ込んだ。
「……イズミン、何してんの?」
「何って……、鍵取ってるんだけど?」
手に硬いものが当たる。常に携帯しているのか、運よくエントランスへの鍵がポケットに入っていた。
鍵をポケットから抜き取ろうとしたとき、突然、和泉は手を掴まれた。
庭瀬が生きていたのだ。
「大丈夫……ですか?」
驚くことに庭瀬は死の淵に立ちながら、それでも和泉の身を案じたのだ。
だがそんな庭瀬の腹に突き立った包丁を、和泉は強く捻った。
庭瀬は声にならない悲鳴を上げ、今度こそ息絶えた。和泉を掴んでいた手が、するりと床に落ちる。
「うえぇッ……」
目の前で人の命が消えるという光景に耐えられなくなったのか、真尋はゴミ箱に嘔吐する。顔面は蒼白だ。
「ちょっと、和泉……。それはいくら何でもやりすぎじゃないか? そりゃ放っておいても死んだかもしれないけど……」
咎めてくる治日に、和泉は手にした鍵を突きつけて言った。
「逃げようって最初に言ったの、治日だよね?」
「そりゃそうだけどさ……」
治日は鍵から目を逸らす。
「非情なことでもしないと、死ぬのは私たちかもしれないんだよ」
「…………」
言い返せない治日を尻目に、和泉はタオルを手に取る。
「ああ、もう……。手に血が付いちゃった」
和泉はタオルで手に付着した庭瀬の血を拭き取るのではなく、それを庭瀬の傷口に押し当てた。
「これなら血が手に付いてても怪しまれないよね」
傷口をタオルで押さえ、止血しようとしたという状況を作る。
和泉は他の職員が駆けつける前に鍵はポケットに隠し、何食わぬ様子で必死に救命活動をしているように振る舞う。
遅れて来た職員たちは何も疑うことなく、かなおが犯人だと思い込んだ。
遺体は回収され、かなおも担架で運ばれていった。その後すぐに清掃が始まり、三人はその様子をただただ眺める。血痕はなかなか拭い去ることができず、何度も拭いていた。
ひとりの人間が死んだというのに、清掃する職員たちはあまりにも淡々とし過ぎていて、こういう作業に慣れているのではと思ってしまうほどだった。
後片付けが終わるも、ドアの小窓は割れたままだ。あとでガラスの張り替えが行われるらしく、触らないように注意されるだけだった。
割れた小窓から暖気が逃げ出し、部屋の中は徐々に薄ら寒くなっていく。
和泉は二人と向き合い――
「それじゃ、落ち着いたし逃げ出そっか」
――脱走計画の決行を告げた。
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