第10話


 雨の降りしきる中。15分程度の短い時間だが、鳴海と二人きりという状況。

 柊は、緊張でどうにかなりそうになっていた。



「あ、あの。鳴海先輩」

「何?」

「……雨、凄いですね」

「そうだね」

「…湿気も、凄いです」

「…うん」

「きっと、湿度も高いですよっ」

「……柊。話題無いのに無理してないか?」

「ぎくっ」

「とりあえず、もう少し近づいて良いか? 肩、濡れてるから」

「あっはい」



 ぐいっと近付く距離に、心臓が一際高鳴る。

 桐原にアシストしてもらったこの状況で、鳴海との距離を縮めたいと考えていた。

 いざ実際になってみると頭が真っ白になって何を話したら良いのかもわからなくなってしまう。

 生返事をしているのは自覚がある。でも、頭が回らない。

 そんな柊の口から出てくる言葉は、素直な感情だけだった。



「──好きです、鳴海先輩のこと」



 と。零れ出たのはそんな言葉。

 しばしの沈黙。

 お互いに何も話さず、少し歩いて。

 柊は、はたと思う。



 待て。私は今何を言った? と。


 すきです、なるみせんぱいのこと

 ─スキデス、ナルミセンパイノコト

 ──好きです、鳴海先輩のこ───



「わ、わああ!? あ、いや! あれ、なんで私こんなこと、このタイミングで!? お、おっかしーなぁーっ! や、今のはなんていうかそのー、あの。あれですよ、あれ!」



 反芻しているうちに、自分が仕出かしたことを自覚する。

 慌てて誤魔化そうとするも上手く言葉は出ない。

 それもそのはず。彼女の好きだという感情は嘘ではないから。

 だから、肩がぶつかった拍子に鳴海の持つ傘の外に出てしまったとしても、中に戻れないと思ってしまう。

 だって、戻れば説明しなきゃいけないから。

 柊自身の感情から出た、今の言葉の意味を。


 雨に濡れ、俯く柊はそのまま逃げ出そうとした。

 しかし──



「──っ」

「え…?」



 それを許さないと言わんばかりに、鳴海は柊の手を掴んだ。

 勢いよく走り出そうとした柊の手を掴むために傘も落ちてしまったが、それを気にする様子は無い。

 思わず跳ねたように顔を上げた柊の目に映った、鳴海の表情は。

 いつもの無表情、それに付け加えて──眉間に少しの皺が。

 その様相を見て、柊は思う。

 ──あれは、何か悔やんでいるときの先輩だ、と。

 そこから推測する次の言葉は、あれしかないだろうと諦め半分で考えた言葉は。



「──すまん。柊」



 寸分違わず、的中してしまった。

 …いけない。

 目頭が熱い。きっと涙がこぼれてしまっているだろう。

 雨のせいだと先輩は勘違いしてくれないだろうか。

 くしゃりと歪んだ表情だけは、見て欲しくないから直ぐに下を向いた。

 これからの毎日、どう顔を合わせて行けばいいんだろ。

 なんて、もう今後の保身について考えてしまう自分が嫌になる。

 あれだけ幸せな気持ち半分、緊張半分だった感情も。

 重く冷たい胸の中では、思い出すことも出来ない。



「そこまで思い詰めているとは、考えが及ばなかった。申し訳ない」

「………」

「柊にはつらい役をさせた。改めて確認するけど、今のは本心?」

「……………」

「…柊?」

「…え? あ、なんですか?」

「いや、今の好きって自意識過剰かもしれないけれど、告白と捉えて良い?」

「………それ以外に、ありますか? 他の意味で好きなんて」

「…そうだよな。重ねてごめん。なら、とりあえず俺の話も聞いて欲しいから、何も言わず付いてきて」



 後悔で頭が回らない。

 そんな柊の様子に気が付かない鳴海は、そのまま彼女を車に乗せ。

 そして────。












「──柊。着替え、棚の上に置いとくから」

「あ、はい。ありがとうございます」



(───え。あれ。なんで私、先輩の家でお風呂借りてるの…?)



 あれよあれよという内に、彼女は鳴海の家に来ていた。

 茫然としていた柊は状況に流されるまま連れてこられてしまったが、ようやく今までの流れを振り返ることに成功した。

 柊の告白を受け、鳴海は自分の話を聞いて欲しいと言った。

 しかし、お互いに雨で濡れてしまって風邪をひくかもしれない。

 そのため、一旦鳴海の家で服を乾かす間に入浴し身体を温めた後に、落ち着いて話が出来る状態にしたいということだった。



(え、いや。全く落ち着かないですけど!? なんでこんなことになっちゃってるの!?)



 そんなパニック状態のままでも身体は正直なのか、暖かいお湯に浸かれば、強張っていたのが解れていく。

 そうしていると、鳴海も雨で濡れたのだから順番待ちをさせているのだと思い当たり。

 余りゆっくりさせてもらうのも悪いと感じたため、早々にお風呂から上がり、用意されていた厚手のパーカーとハーフパンツを身に付け居間へと向かった。

 …真ん中にでかでかとアルパカの顔が描かれたパーカーに、呆気にとられたことは、一旦置いておく。



「──あの、先輩。お風呂ありがとうございます」

「ん。…あー。やっぱり大きかったか。我慢してくれ」

「あ、パーカーですか? 確かに袖余っちゃいますね。萌え袖ってやつですよ!」

「作業着のときにも同じこと言ってたよ。…じゃあ次、シャワー浴びてくるから」

「あ、はい。ごゆっくり…」

「いや、なるべく早く出てくる。ほうじ茶煎れといたから、飲んで待ってて」



 そう言って立ち去る鳴海を見送る。

 柊は、この後の展開よりも今の会話で浮かれてしまっていた。



(先輩、あんなくだらない会話も覚えててくれるんだ。なんだか嬉しいな)



 ただの部下との私語を覚えていてくれているというだけで、少し特別感を感じてしまう。

 煎れてくれたほうじ茶も先輩らしいチョイスだなと一口飲むと、ほうと一息吐くことが出来た。

 ソファーに腰掛けた自分の姿を改めて見下ろす。

 よく見ると、大きいパーカーは膝上近くまで裾が来ており、ハーフパンツがギリギリ見えるくらいのところまできている。

 ……これは割と扇情的な恰好なのではと他人事のように考える。

 下着も服と一緒に乾燥機にかけてもらっているため、着用していない状態だ。

 そして、この状況。

 大人の男の人の家に、二人きり。しかも、自分は入浴済みで、相手のシャワー待ち。

 これはきっと───。



「──柊。おーい、柊?」

「ハッ!? 鳴海先輩!? 私は、いつでも大丈夫です、どんとこいですっ!」

「は? 何言ってんだ?」

「あ、や、あはは。何言ってるんでしょう──って先輩、前髪…降りてる」

「ん? 変?」

「いえ! なんかこう、雰囲気違ってて。いつもより穏やかなイメージになりますね」

「褒め言葉として受け取っておく。……じゃ、本題ね」



 勝手に頭の中で突っ走った柊の発言をいつものようにさらりと流す鳴海。

 そんな鳴海の髪型が少し変わっていることに、柊は目がいった。

 いつもは前髪を逆立てている鳴海が、風呂上がりということもあり、前髪を降ろしていた。

 ただそれだけで、ちょっと可愛いかもと思ってしまう柊は重傷だなと自嘲する。

 この部屋一つのソファーに腰掛けていた柊は、端に寄り鳴海が座れるようにスペースを空ける。

 そこに鳴海が座り、真面目な顔をして話し出す言葉に耳を傾ける。



「告白の返事なんだけど、俺の考えを聞いてから判断して欲しい」

「……はい」

「俺は、正直言って柊をそういった対象として見ないようにしてきた。だから、いきなり好きかどうかと言われても応えられないのが現状。好きか嫌いかで言えば勿論好きだし、割と人間的には尊敬までしているとこもある。……ここまでは良い?」

「───え、と。思いの外高評価で、びっくりしているとこ以外は大丈夫です」



 なら、何も問題ないな。といいながらほうじ茶を一口飲む鳴海先輩は相も変わらず真面目な顔のままだ。

 ……耳は赤くなっているが。

 恥ずかしいのを抑えながら自分の考えを教えてくれていることを考えると、嬉しく思える。



「柊のこと、大切にしてるのは間違いない。ただ、それは異性としてというよりも、初めての部下として。男女の仲になるってのは、その真逆。簡単には切り替えられない」

「──それでも。私は先輩のことが好きです。…それに、付き合ってみれば変わるかもしれないじゃないですか! このまま終わるくらいなら、チャンスがあるだけマシですっ!」



 鳴海の話が否定的な方向に向かっていくことに耐えきれず、思わず口を挟んでしまった。

 どんな形であれ、機会があるのと無いのでは天と地ほどの差があると思う。

 そんな意思表示に押され、少し仰け反りながらも言葉を返すことになる鳴海。



「──そ、そうか。なら、わかった」

「…え、わかったって。本当に?」



 目を細めた鳴海は口端が若干上がっていた。

 あれは、苦笑い、だろうか。

 呆けた顔で聞き返す柊は、頭がついていかず、ただオウム返しをするだけにとどまる。



「ああ。俺が柊に惹かれているのは事実だから。──会社の教育担当という立場でありながら、部下にこんなことを言ってしまうなんて、上司失格だと思う。公私混同もいいところだ」



 呆れたように一度目を瞑り、一息吐く。

 次に目を開けた鳴海は真っ直ぐ柊を見て。



「──柊。こんな俺で良ければ。付き合って下さい」



 そう、告げた。

 

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