第21話 星暗寺 三

 食堂から出た二人は、倉庫らしき建物の裏を通って、東の塔の脇に出た。

右手に見えるのは、正門。左手に本堂が見える。角度的には見えないが、たぶん広い境内の向こう側には、西の塔があるはずだ。ちょうど正門からたくさんの人間が入って来たところで、僧達の意識はそちらに向けられており、初音達に気づいた様子はない。

 全員が入ったところで、門はゆっくりと閉じられた。

 装束から見ても狩りに訪れた領主の一行だというのがわかる。ただ、領主の玄治は馬ではなく、駕籠のようだ。騎兵が数騎、歩兵が二十ばかり。かなり少ないが、お忍びの狩りということで、人数は最低限ということなのだろう。

 家臣団は慣れた様子で、境内にしかれたむしろの横に整列していき、馬は僧たちの手によって、門から入ってすぐの建物に連れていかれた。どうやら、厩舎がそこにあるようで、とりあえず、すぐに狩りへ向かうわけではなさそうだ。

 豪奢な駕籠はぐるりと大回りをして、本堂の前の酒樽の脇で止まった。

 重々しく僧たちが頭を垂れて並ぶ。その先頭のひときわ豪奢な法衣をまとった僧が駕籠へと歩み寄る。

「計都だ」

 初音と雷蔵は、塔の陰に潜みながら、盗み見る。

 年齢は、四十代くらいだろうか。剃髪してはいるものの、かなり脂ぎった印象を受ける男だ。

 計都は腰をかがめ、扉に手をかける。すると中から男がよろめきながら出てきた。狩り用の装束でありながら、見るからに具合いは悪そうだ。随分と痩せていて、目だけが大きく感じられる。

「お館さまですか?」

「そうだ。かなり記憶と違うがな。前に病に伏した時よりも体調はよくなさそうだ」

 雷蔵が呟く。

 玄治は計都に支えられながら、ゆっくりと本堂へと入っていった。

 それが合図だったのであろう。僧達が木槌を振るって酒樽を開けた。

「皆々さま、お役目ご苦労さまです」

 僧のひとりが前に歩み出て、頭を下げた。

「これは妖魔除けの般若湯であります。出陣前に、ぜひ一口、お口にお含みくだされ」

 僧達は柄杓で大きな盃に酒樽の液体を満たして、それを家臣達へと手渡した。

「厄除けの縁起物じゃ」

「気合いを入れて行こうぞ」

 口々に手を伸ばし、家臣達は盃を回しはじめた。僧たちは、何度も盃に液体を注ぎ足す。よほど味が良いのだろう。中には何度も手を伸ばしている者もいた。

「おかしい」

 賑わいの中、潜みながら雷蔵が呟く。

 日は高く昇り晴れているというのに、辺りにモヤのようなものが出てきた。空気がどことなく重くて、息苦しい。太陽の光がどこか遠くに感じる。首筋がチリチリと痛む。モヤはどんどん濃くなっていく。

「え?」

 初音は思わず声を上げた。突然、家臣達が大きな欠伸をしたかと思うと、膝をつき、パタリパタリと地面に倒れ始めたのだ。

 周囲の人間が倒れ始めた事に不審を感じるひまもなさそうなほど、ほぼ同時の出来事だった。

「狩りのことは覚えてないのはこういうことか」

 雷蔵が呟く。

 水森家の人間が狩りでの出来事を覚えていないと言っていたのは、狩りの前にこうして眠らされてしまっていたからなのだろう。

 しかし、山中で銃の音がしていたのは事実だ。ということは、家臣達が参加することはなくても、狩りそのものは行われていたとは思われる。玄治ひとり、もしくは僧達がともに、ということか。いずれにしても、普通では無い。

「本堂から出てきたな」

 境内に立っているのが僧達だけになったのを見計らったのかのように、本堂から人が出てきた。玄治と計都、それから大きな寺男だ。

 計都は、火縄銃を抱えて、玄治の傍らに立った。

 寺男は大きい身体を小さく丸めながら、本堂の前に置かれていた棺桶のような箱のそばへと歩いて行く。

「準備を始めよ」

 計都の合図で、幾人かの僧たちが、倒れた家臣たちをむしろに移動させるように転がしはじめる。むしろに寝かせるというよりは、邪魔にならぬように集めたという感じだ。

 寺男の方は、棺桶のような箱を縛っていた綱をほどき、ふたをゆっくりと開いている。

「あれは……」

 寺男が開いた箱から、何かを取り出して、乱暴に土の上に転がした。

 長い黒髪が、玉砂利に広がる。

 猿ぐつわを噛まされ、手足を縛られた女だ。

「これって……」

 初音は目を見開いた。かねてからの、疑惑が、そのままの光景となったようだ。

「まずい」

 雷蔵が呟いた。

 寺男は、女性を地べたに転がした状態のまま、手足のいましめの縄を切る。だが、状況的に『助けている』ようにはみえない。猿ぐつわは、そのままだ。

「初音どのは裏へ回ってくれ」

 初音は雷蔵に頷いて、ゆっくりとその場から離れた。

 幸い、というべきか。

 もやがどんどん濃くなっていくせいで、初音は簡単に潜みながら移動できた。

 本堂の裏手を回り、雷蔵とは逆側に当たる本堂の西側にたどりつく。もやは濃厚で、もはや、境内の様子もあまりよくわからないくらいだ。

「これより、余興を始めましょう」

 聞こえてきた、計都の声は笑いを含んでいる。何が楽しいのだろうか。

「今日の狩りは、美しい鹿だのう」

 玄治の声は嬉しそうだ。はしゃいでいる、という感じだ。

 このもやの中、どこに鹿がいるというのだろう。目を凝らしても、僅かに人影が見えるだけだ。

「お館さま、そろそろ銃を。鹿は逃げますゆえ」

「おう。そうじゃな」

「早うせねば。鹿は、逃げまするぞ」

 大きな声で、計都はけしかけている。

 初音はゆっくりと忍びながら声の方角へと進む。

 玉砂利の音がした。

 倒れていた女性が立ち上がったようだ。

「そうじゃ、逃げてくれねば、面白うないわ」

 初音の目に、かすれた声で言い放ち、銃を構える玄治の姿が見えた。

 銃口の先には、女性のものと思われる影がある。

 明らかに、そちらを狙っているのだ。

「何をなさろうとしているのです?」

 ゆっくりと玉砂利を踏みながら歩いてくる足音がした。雷蔵だ。

「おや、どうやら猪も、迷い込んだようですな」

 くつくつと計都がわらう。背筋が凍りそうな声だ。火縄に火がつけられる。

「猪は、後々の楽しみにしましょう。金剛こんごう、猪の相手をしてやれ」

 ゆらりと、先ほどの寺男が雷蔵の前に立った。

 寺男は、獣のように咆哮を上げると、むくむくと一回り大きくなりはじめる。みるみるうちに毛むくじゃらの狒々へと姿を変えた。

「ひとではなかったか」

 雷蔵が抜刀し、切りかかり、乱戦が始まった。狒々の動きは、大きさからの想定より早い。雷蔵といえど、かなり苦戦することが予想された。

 初音は刀に差していた小柄を抜き、狙いを定める。

「まずは女鹿を」

 玄治が銃の狙いをつけはじめた。

「させないっ!」

 初音は、玄治の腕に向かって小柄を投げつけた。

 小柄が玄治の左腕に突き刺ささり、銃が傾く。

 轟音がして、銃が火を噴いた。

 狙いがわずかに外れて、女の前の玉石が大きく跳ねる。女はガタガタと震えながら後ずさり、駆け出した。

「ふん。もう一匹おったのか」

 計都が初音を見る。

「仕方ない、相手をしてやれ」

 パチンと、計都が手を鳴らすと、控えていた僧たちが初音を取り囲んだ。

 いや、僧ではない。僧衣をまとっているが、みな、鬼だ。ぎろぎろとした赤い目で初音をみる。初音は柄に手をあてて、間合いを図る。

「ったく、無粋な邪魔のせいで、狙いが狂うた」

 初音の視界の端で、玄治が左腕に突き立った小柄を抜き捨てたのが見えた。

 痛みを感じていないのだろうか。口調は全く変わらない。そして小柄が腕に突き立ったのに、血がにじむようすがまったくない。落ちた刃は、白銀のままだ。

「逃げて!」

 初音の声が届いていたのか。女性は、のろのろと閉まった門の方へと走り出した。

 玄治はまた、火縄に弾を込め始めている。

「やめて!」

 その銃を止めなくては、と思うのに、初音の前に鬼たちが立ちふさがる。長い爪をふりあげて、次々と飛びかかってくる。切っても、切っても、前に進めない。

 女性は閉まった扉を何とか開こうとしているが、重い扉はビクともしないようだ。

 雷蔵も狒々の相手で精一杯で、動けない。

 火縄に火がつけられた。

 ドンドンと、女性が扉を叩いている。

 初音は、必死で刃を振るう。鬼の数が多すぎる。

 そして、火縄が火を噴いた。





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