第9話 茂助

 山中を抜け、ご城下に入ったころには、夕刻になっていた。

 街道の入り口に役所はあったが、特に何の取り調べも受けず、すんなりと入ることができた。

 見たところ、四谷左門は手配書が回っているようだが、初音までは追いかけていないらしい。

「つまり、まだ、左門はどこかに潜んでいるということだ」

 にやり、と雷蔵が口角を上げる。

「どこか、心当たりはないか?」

 雷蔵にたずねられて、初音は首を傾げた。

 親類、縁者では、手配の手が伸びているだろうから、違うだろう。遠く離れた佐奈町の杉浦家にすら伸びていたのだから。

 初音は、父の交友関係をあまり知らない。そもそも、父は城と家を往復するだけの仕事人間のように思っていた。

「茂助なら、何か知っているかも」

 茂助は四谷家のことを初音より、よほど知っている。

 山里からもらった伝言によれば、茂助は城下に戻っているはずだ。

「茂助の居場所を知っていそうな人と言えば、茂助の妹夫婦がやっているという、小間物屋くらいでしょうか……」

 屋敷、親類、城。それ以外で、茂助と会えそうな場所は思いつかない。

「それはどこだ?」

しずく町です」

「まだ、時間的には、大丈夫かな」

 雷蔵は空を見上げた。小間物屋は、夜遅くまで商いをする店ではないが、なんとか店が終わる前に着きそうだ。

 城下町の様子は、特に変化はなかった。

 屋敷に帰れば、日常に戻れるのではないのかというほど、いつもと変わらない光景だ。

 雷蔵を案内しながら、初音は、今、この時間が幻なのではないかと、ふと思う。

 自分や父が、役人に追いかけられるなどと思ってもみなかったし、傷を負い、痛みを感じている今でも、窮奇が実在したというのは、信じがたいことだ。

 夕日に染まる町を雷蔵と歩きながら、初音は、自分の知っていた世界があまりにも小さかったことに気づく。

 そして、左門は、その世界とは違うどこかに潜んでいるはずだ。

 雫町は、いわゆる下町で、商店が軒を並べている界隈である。

 飲食を扱う店は少ないため、夕刻には暖簾をしまってしまう店がほとんどである。

 路は、それほど広くないこともあり、この時間だとあまり人通りはない。

「おりんさん」

丁度、暖簾を仕舞おうと出てきた女性に、初音は声を掛けた。

「お嬢さま」

 おりんは、驚いた顔をして、慌てて辺りを見回す。

「ひとまず中へ」

 促され、初音と雷蔵は、店内に入った。

 おりんが入り口の戸を閉めたこともあり、店内は、薄暗い。入ってすぐは広い三和土になっていて、一段高い座敷に、簪などの小間物が並べられている。買い物客は、土足のまま商品を選び、店主は座敷の上で応対するという形の店だ。

「あんた、お嬢さまが」

 おりんは店の奥へと声を掛けながら、座敷に上がるように勧めた。

「初音さま?」

 慌てて奥から、おりんの夫の仁太じんたが出てきた。やや背は低いが、均整のとれた身体つきで、動きは身軽だ。

 この店には何度か茂助と訪れたことがあって、二人のことはよく知っている。

「そちらは」

「横目奉行の塩見さまです。命の恩人です」

「恩人というほどのことは、していないがな」

 雷蔵がポツリと呟く。

「ご無事でよかったです。兄から話を聞いて、心配しておりました」

 心からホッとしたように、おりんが微笑んだ。

「茂助は?」

「すぐ連絡をとりますので、しばらくお待ちを」

 おりんは、仁太に目配せすると、前掛けを外して出ていった。

「とりあえず、お茶をお入れいたします」

 奥座敷の行灯に火を灯し、裏の台所で仁太は茶の用意をはじめた。

「いろいろ、聞きたいことがあるのだけど、私の家はまだ見張られているの?」

 初音は、その背中に向かって訊ねた。

「まだ、お屋敷にはお戻りにならぬ方がよろしいかと」

 盆に湯のみと茶請けのたくわんを載せ、部屋に戻ってくると、仁太は二人の前に盆を差し出した。

「見張るというより、彼奴等、屋敷中をひっくり返したあげく、居座っております」

 あれでは、役人というより、物取りの所業です、と仁太は眉根を寄せる。

「城の方は、何か変わりはない?」

「四谷家と親しい方が何人か取り調べを受けたとか」

「そう」

 左門は捉えられてはいないが、取り調べは続いているのだ。

 チリン

 小さな鈴の音がした。

「ああ、おりんが戻ってきたようです」

 仁太が顔をあげると、おりんと茂助が入ってきた。

「初音さま、よくご無事で」

 茂助は初音の姿を見るなり、床に頭を擦り付けた。そして、肩を震わせる。

「咄嗟のことで、お守りしきれず、本当に申し訳なく……」

「構わないわ。茂助が囮になってくれたおかげで私は逃げられたのだから」

 初音は茂助の手を取った。

「初音さま」

 顔を上げた茂助は涙でぐしゃぐしゃになっていた。

「それより、父がどうなったか、お城で何が起こっているのか、あなたの知っているだけでいいから教えて」

「はい」

 茂助は止まらぬ涙をぬぐい、話を始めた。




「左門さまの居場所は、まだはっきりしません。あの日の前日、お屋敷を出たあと、城に出仕されたらしいのですが、その後の記録はありません」

「城から帰った記録もないのね?」

 屋敷に役人がやってきたのは、次の日の午後。その間に何があったのか。

 城に泊まることも多かったので屋敷に戻らなくても、初音たちは、父が戻らないことを気にしてはいなかった。

「左門さまの件と関係ないかもしれませんが、同じ日の夜更け、家老衆の水橋みずはしさまの家で、騒ぎがあったようです」

「水橋さま?」

「どうやら刃傷沙汰があったようで、負傷者が何人か出たとか」

「おだやかではないな」

 雷蔵が顔をしかめた。

「水橋さまには、評判の美女の御息女がいらっしゃいます。領主の塩田さまは、足しげくお通いになっているとの噂ですが、その日もお出かけになられたとか」

「聞いたことはある。お館さまは、城にあげたいと考えておいでのようだが、反対するものが多いという話だったな」

「なぜです?」

 雷蔵の言葉に、初音は首を傾げる。

 家老衆の娘であれば、側室に入ることはできるだろうに、と初音は思う。

「くだんの美女は、もともとは水橋さまの血のつながったご息女ではありません。水橋さまにのち添えになられた奥方の連れ子だとか」

 茂助は言葉を切った。

「もちろん、養女であっても、それはかまわないが、水橋家の権力は増す。そうでなくとも、例の病の時、水橋家は計都をお館さまに推挙したことで、勢力を増している」

「つまり、水橋の家は成り上がりで、周囲はこれ以上の権力を持たせたくはない、ということですか?」

「……身もふたもないが、そういうことだ。まあ、異論を唱える者はどんどん排除されつつあるが」

 雷蔵は苦笑しながら、頷いた。

「負傷したのは、娘の周囲の侍女ということです」

 茂助は大きくため息をついた。

「気になるのは、事件を起こした侍女を連れて、逃走した侍がいるとか。それが、左門さまに酷似しているとの話で」

「どういうこと?」

「近所の人間の目撃情報から推察するに、水橋家の侍女が、水橋さまの家から何かを盗み、それを見つかって逃走、侍がそれを助け、ともに逃げたということです」

「それが、父だとは信じられないわ」

 初音は首を振る。まじめな左門が、盗人に手を貸すなどと、信じられるはずもない。

「水橋家から、何かを手に入れるために左門が使っていた忍びの可能性があると言うことだな」

「さようで」

 茂助が頷く。

「忍び?」

「初音どのの言うとおり、水橋家は成り上がりだ。きな臭い噂は絶えん。彼奴等が『何か』を探しているのは間違いない。左門は、水橋家で何かを手に入れたのかもしれん」

 実際に左門は謀反の疑いで捜索されていることを考えると、何らかの重要なものが奪われたことは、推察出来る。

「それで、逃げた二人はどこへ?」

「役人の手が及びにくいとなると、位置的に花街に潜り混んだのではないかと」

 初音は、耳を疑う。

「花街?」

 父、左門と、全く結びつかぬ場所だ。

「心辺りはあるのか?」

「一応は」

 茂助がこくりと頷いた。


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