第4話 海猫

 初音は、自分が思った以上に、疲れていたらしい。

 雷蔵が出かけて行って、横になると、早々に寝てしまった。久しぶりに畳の上で寝ることができた、というのも大きい。

 目が覚めると、店の使用人の女性が、藍染めの小袖とたらいとお湯を持ってきてくれた。雷蔵が、多兵衛に頼んでくれていた『着がえ』だろう。

 身体を拭いてから着替えた初音は、久しぶりに、自分の髪をくしけずった。

 普段、若衆のように結い上げているので、髪を下ろすと違和感がある。ただ、小袖があまりにも綺麗で、珍しく乙女の装いをしてみたくなったのだ。

 しかし、火鉢を持ってきてくれた使用人が、髪を下した初音を、びっくりしたような目で見つめていたので、あまり似合ってはいないのかもしれない。

 夕刻。

 行灯に火が入るころに雷蔵が帰ってきた。

「初音……どの?」

 髪を下しているせいか。雷蔵は、戻ってくると初音を凝視し、そのまま固まってしまった。

 見つめるばかりで、何一つ言葉が出てこないように見える。

「……そんなに、変ですか?」

 初音は思わず、肩を落とした。

 初音とて、いつも男のように剣を振り回しているわけではないのだけど、やっぱり、『らしく』ないのだろう。

「いや、変ではない……変、というより、その……」

 雷蔵は言葉を濁して、顔をそむける。どう言えば良いか、困っているようだ。

 せっかく、綺麗な着物を着たのに、と、思う。

 そう思ってから、初音は、雷蔵に褒めてほしかった自分に気がついた。

――ちょっと綺麗な格好をしたから、褒めてほしいなんて、私ってば、なんて子供なのだろう。

 初音はうつむいて、手で太ももをつねった。

 少し離れた位置に座り、横を向いた雷蔵の顔の表情は、行灯から遠いこともあって、よく見えない。こんな時にめかしこんでいる初音を見て、呆れているのかもしれない。そう思うと、胸がほろ苦くなった。

「父の行方は、わかりましたでしょうか?」

 少しの沈黙の後、ようやく初音はその質問をすることができた。

「まだわからぬ。とりあえず、杉浦家の様子は見てきた」

「杉浦家をご存知なのですか?」

「俺が知っている杉浦家と、初音どのの言う杉浦家が同じという確証はないが、佐奈町さなまちの杉浦家であれば、役人が見張っているようだった」

 佐奈町であれば、たぶん、同じだろう。杉浦という家が何軒もある可能性もあるが、役人が見張っていたとなれば、四谷の親せきの杉浦家とみて間違いはない。

「杉浦家の方は?」

「一応、普通に過ごしてはいるようだ。役人どもも、左門が訪れるのを待っているのかもしれない」

「……そうですか」

 なんにしても、見張りがいるとなれば、初音が頼っていくわけにはいかない。

「これからツテを使って、杉浦家の人間と連絡は取る。初音どのは……」

「私も連れて行ってください」

 初音は雷蔵のそばに、すり寄って袖をつかんだ。

 自分を逃がしてくれた茂助との約束もある。

 何より、父を捜したい。

「しかし……」

「ただ解決を待つのなら、最初から逃げません」

 身を潜めていても何も解決しない。

「邪魔になるなら、私は私一人で行動します」

 雷蔵は何も言わずに、初音を見つめる。

「かなわないな」

 ふっと、笑みを浮かべる。

「頑固で一徹なのは、左門にそっくりだ」

 言いながら袖を持つ初音の手に、雷蔵の手が伸びる。

「わかった。でも、出かけるのは明日だ。今日は休め」

 雷蔵の硬い手のひらの感触に、初音は思わずドキリとした。

「とりあえず、食事を頼もう。待たせて悪かったな。腹が減ったであろう?」

「はい」

 なんとなく、顔が熱くなるのを感じて、初音はうつむく。

「……二人きりの時に、そんな顔をしてはダメだ」

 雷蔵は小さく呟いて、立ち上がった。

「あの?」

 何を言われたのかわからずに、初音は問いかけたが、雷蔵はただ、首を振っただけだった。




 翌日。

 初音は雷蔵と共に町へ出た。

 港町だけあって、潮の香りが強い。

 初音は、借り受けた藍染めの小袖を着て、雷蔵に同行することになった。

 雷蔵は、浪人風の着流し姿である。髪はいくぶん、整えたものの、無精ひげはそのままだ。

 初音自身は、刀を帯びていないことが、不安でもあったが、普通の娘の格好のほうが目立たないのは、間違いない。

 役人にしても、初音の顔を見知っている者でなければ、わかりにくいだろう。

 もっとも、紅をさして、髪を下している初音の姿は、見知っている者ですら気づかないかもしれない。

 紅は、木蓮の若い御新造が貸してくれた。鏡を見た時、気恥しい思いがした。

「何か、私、変でしょうか?」

 初音は、小さな声で雷蔵にたずねた。

 目立たぬように娘姿で歩いているというのに、妙に視線を感じる。いつもより多いくらいだ。

 いつも袴で歩いていることを考えると、歩幅や、歩く速度がどうしても落ちてしまうから、動きが不自然なのかもしれない。

「変ではない」

「……ならいいのですけど」

 一番気になるのは、雷蔵の様子である。

 初音に合わせて歩幅を合わせてくれているのだが、先ほどから視線が全くぶつからないのである。

 もちろん、敵がどこにいるかわからない状態なのだから、辺りに気を配っているのは当たり前なのだが、視線を明らかに合わせようとしないのだ。

 昨日までは、このようなことはなかっただけに、初音としてはなんとなく、心がもやもやとした。

 佐奈町はやや小高い場所となり、役所や武家の家が中心になっている。

 交通と貿易の要所であるから、軍事拠点としての役割もあるため、商人だけでなく、武家の人間も多い。

 一番高台には櫓が組まれていて、港の様子を監視している。青い空は高く澄み渡っており、港には、漁船や商船の姿が見える。

 取り立てて、騒ぎが起こっているような気配はなく、いたって平穏な風景に見えた。

「杉浦家はこの先にあるのだが」

 雷蔵は、ふらりと『海猫』という名の小さな食堂に入った。

客層は庶民が多い印象だ。二本差しもいるにはいるが、少ない。

「二階を借りる」

 よく来る店なのだろう。雷蔵は、初音を伴って二階に上がった。

 二階は小さな部屋がいくつもの襖で区切られた、個室のようになっている。

 開け放たれた窓から、海が見えた。

「座って」

 雷蔵に促され、外から見えぬ位置に初音は座った。

 ほどなくして、階段を上ってくる足音がした。

「雷蔵さま」

山里やまざとか」

 すらりと、襖が開き、若い侍が頭を下げて入ってきた。

 年齢的には三十代くらい。細いが鋭い目をしている。

 いかにも生真面目という感じの雰囲気が漂っている。

「そちらの方は?」

「左門の娘の、初音どのだ」

 雷蔵に紹介されて、初音は頭を下げた。

「初音どの、こちらは山里源八やまざとげんぱち。元、俺の部下、だな」

「山里です。左門さまのご息女であられますか」

 山里は、丁寧に頭を下げた。

「様子は?」

「変わらずです。杉浦はずっと見張りが張り付いていて、ほぼ動きが取れませんね」

 山里が腰を下ろすと、階下から使用人がやってきて、注文を聞いていった。

 足音が去るのを待って、雷蔵は口を開く。

「左門の行方の手がかりはどうだ?」

「ありません。どうやら、彼奴等の話から推察するに、左門さまは、何かを奪って逃走したらしいです。左門さまの行方というより、その奪われたものを捜している、と思われます」

 話を聞きながら、初音は、屋敷に入ってきた役人たちを思い出す。

 そういえば、かなり熱心に家探しをしていた。初音を連行するとは言ったものの、初音の方は 『ついで』扱いだったように思う。

「左門がこちらで、最後に探っていたのは何だったのかはわからんか?」

「廻船屋に話を聞きに行ったところまではつかみました」

「廻船屋?」

 そういえば、木蓮の多兵衛も地図を見て、同じことを言っていた。

「我らは、ずっとさらわれた人間が異国へ連れて行かれたものと思っておりました。しかし、左門さまは、異国ではなく、ご城下へ連れて行かれたのかもしれぬと思われたようで」

「組織だけでなく、すべてが国内ということか。つまり、佐奈川を上っていったと」

 雷蔵は顎に手を当てて、考え込んだ。

 ちょうど階段を上る足音がして、注文した品が運ばれてきた。

 あぶった魚に、汁物と青菜がそえてある定食だった。

「何件か怪しい積み荷はないか、もしくは怪しい船は見かけなかったかと、聞いてまわられたようです」

「なるほど」

 城下と白浪の交通は、佐奈川の水運が主となっている。陸路は、山道のため運搬には、あまり使われない。人をさらい、城下へ運ぶとしたら、佐奈川を使ったと考えてもおかしくはない。

「ただ、何かをつかまれたのは確かなのですが、詳細まではわかっておりません」

 山里は申し訳なさそうに頭を下げた。

「なにぶん、横目奉行が不在の状態で、捜査は止められているも同然。思うように調査が進みません」

「父は、一人で捜査を?」

 初音の疑問に、山里は頷いた。

「左門さまは、表向きは、あくまで『剣術指南役』。相談役というのは、あくまでも名誉職扱いなのです。我らと共に行動しては、目立ってしまいますから」

「実際は、じっと待っていられない性分で……これは、俺も人のことは言えないが」

 雷蔵が口をはさむ。

「左門は、立場上、家中全体に目が届く。情報網も広い。俺達の見えぬものが、見えることが多くて、頼り切っていたところがある」

 すまなそうに雷蔵は、初音に頭を下げた。

「神隠しにあっていたのは、若い女性が多かった。左門としては、他人事にはできなかったのだろう」

「そうですか」

 それこそ生真面目な左門らしい話だ。

「左門は、白浪から、決定的なものを見つけたかもしれない、とだけ報告してきた」

「詳細を書いてくれればいいのに」

「その通りだな」

 初音の言葉に、二人の男から思わず笑みが、こぼれた。

「おそらく、書けない内容だったのだろう。万が一、その手紙を他人に見られると、まずい内容であった可能性が高い」

 雷蔵は、大きくため息をついた。

「謀反の疑いをかけられたということは、この国の中心の闇に突っ込んだのだと思う」

「早く、左門さまを見つけませんと」

「わかっておる」

 初音は、視線をおとす。

「父は、無事なのでしょうか」

 わかっていることは、まだ捕らえられてはいないと、いうことだけだ。

「無事だと信じている」

 厳しい雷蔵の表情に、初音は膝に置いた手を握りしめ、無言で頷いた。

「真実に追いつけば、左門はそこにいる」

 自分自身に言い聞かせるように、雷蔵は呟く。

 今は信じて進むーーそれしかないのだと、初音は唇をかんだ。


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