番外編 草間仁の場合7 優秀賞

「コンクールに出す絵は草間の絵にする」


清川先生は翌日の部活でそう発表した。周囲の「やっぱりな」という空気に素直に安堵してよいのだろうか。俺は戸川澪を見た。


最初は「自分じゃなかったのかぁ」と肩を落としているようだったが、すぐに気を取り直した様子だった。俺の絵をきらきらした目で山田と見ている。不機嫌そうなのは山田だった。


「僕が選ばれたけど、三年生はもうすぐいなくなるから悪いけど我慢してくれ」


部長の面子を保つための言葉だ。お調子者の美術部二年生、田代は「三年生を追い出す会をしようぜ」なんて言っている。祝賀会か。

もう皆が俺の作品が何らかの賞がとれることを想定して部は和やかになっている。


しかし、俺は内心穏やかでなかった。コンクールに出す絵は「最優秀賞」以外、有り得ない。戸川澪に勝った以上、相応の賞をとる必要がある。


しかし、結果は残酷だった。

コンクールに出した絵の結果は「最優秀賞」ではなく「優秀賞」。一名限りの「最優秀賞」ではなく、「優秀賞」には他の五名も選ばれている。俺は「大変よく出来ました」ではなく、「よく出来ました」止まりだったわけだ。


暗鬱でしかない祝賀会で俺は皆とはしゃぐ気にもなれず、清川先生のいる教員室にいた。同級生で美術部員である来栖の実家の酒屋から差し入れられたジンジャーエールを先生と傾けていた。

俺には清川先生に不満があった。コンペで一晩悩むといった先生は何らかの思いがあったのだ。


「先生が悩んでいたのは戸川さんの絵でしょう?」


単刀直入にそう聞いた。清川先生は目を下に伏せた。サングラス越しでもそれははっきり分かった。


「戸川の絵を選んでいたら……もしくは、な」

「最優秀賞をとれたというわけですか?」


自分の口調が思わずきつくなる。戸川澪を選んでいたら。それは、俺にとって最悪のケースであった。しかし、自分でも思うのだ。戸川澪を選んでいたら、最優秀賞がとれたのではないのか。


清川先生は押し黙っている。俺は無性に怒りが湧いてきた。


芸術に挑戦するような、戸川澪の絵。黙った清川先生は暗に俺より戸川の絵を選びたかったに違いない。卒業する三年生だから、という理由で選んだ気持ちが少しでもあるなら、俺は清川先生を許せない。


「草間部長、どこ行ってたんですかー?」

サイダーなのに雰囲気で酔っぱらった田代が話かけてくる。田代は美術科美術部員として次期部長を狙っている。そうか。「部長」だ。俺にはそのポジションの権限がある。今の怒りをぶつける先が、今、わかった。


「皆、聞いてくれ」


俺は壇上に立って宣言するように皆を見回した。


「次期部長を発表する」


ざわっと部室内がどよめいた。

予想通りだ。そして次の発言は皆の予想外だろう。


「戸川澪さん。

 彼女が次期、美術部部長だ」


ざわめきは収まるどころかますます大きくなるばかりだった。


戸川は「無理です!」と皆の視線を浴びながら必死に抵抗している。


俺は「コンペの二位は戸川さんだ」と周囲を黙らせた。しかし、皆が納得したわけでは決してない。美術部創設以来、ほとんど美術科の生徒が部長を努めてきたのである。しかも、部長に指名されたのは一年生よりも部歴の短い戸川である。


誰も俺の考えは読めないだろう。そう、これは純粋な嫉妬なのだ。

戸川の才能に嫉妬し、何より清川先生の関心をかっていることに嫉妬している。

目に見えて戸川は困惑している。それまでの和気あいあいとした祝賀会は一変した。


戸川は泣きそうな顔で、しかし真っ直ぐに俺を見つめた。


「……私より部長にふさわしい人はたくさんいます!もし、私を部長にするなら……」

「するなら?」


俺は黙り込む戸川を見下ろしていた。


「しょ、勝負してください!私が勝ったら、部長は撤回してください」


その発言に周囲はどよめく。

勝ったら戸川は部長辞退。そんなことはどうでもいい。

そう、俺はもう一度、戸川と勝負するように仕向けたかったのだ。


「受けてたとう。卒業まではまだまだのようだ」


俺の宣言に皆がしん、となった。祝賀会は俺によって寒々しくなってしまった。

三年生の卒業まであと三ヶ月。俺はもう一度、戸川澪に勝ちたい。

清川先生に力があると認めさせたい。

お前は間違っている。それは俺自身が一番分かっているところだった。

ただ、番狂わせをしないと俺は美大進学までに駄目になってしまうだろう。


これは単純な動機ではない。

俺は、冷静になった戸川澪の顔に一筋の涙が光るのを見たような気がした。

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