第六節 澪の絵

澪はそれから寝食も忘れ、コンペ用の絵に没頭した。

題材を見つけたからといって、そのまま描くのでは勝ち残れない気がする。

どう表現するか。私の今の技術と、自分では当たり前だと思っていた能力・才能をフルに使って……。


「おーい、戸川。何やってんだ、授業聞け」


澪は国語の授業中ハッと顔をあげた。

国語教師は呆れたように澪の横に立っている。

そして、澪の手元を覗き込んだ。


「なんだ、授業に影響されたのか?綺麗だな」

「え……」


澪は黒板を見る。それまで、全然内容など聞いていなかった。

授業は坂口安吾の「桜の森の満開の下」だった。


澪の広げた無地のノートには桜の花が描きつけてある。

国語の先生はそれを都合よく解釈してくれたらしい。


「ま、絵にもいい話だから授業聞けよな」

「……はい、すみません」


澪は反省しつつ、授業を聞いた。そして、思わぬ収穫を得た。

澪が記憶していた桜は、入学式のときのまぶしいばかりの祝福の桜だ。

坂口安吾の「桜の森の満開の下」は桜の妖しい一面が描かれていた。真面目に最初から聞いておけば良かったと澪は思ったほどだ。実際、見た桜の風景ではなくても、坂口安吾の小説の桜は澪の頭にイマジネーションを起こした。


これも使えるかもしれない……。


そう、澪はそのイメージを心に深く刻み、桜をどう表現するかを試行錯誤した。


そして、ついに澪の絵が発表される日が来た。

澪は描いた絵を後ろ向きに持って、教室の壇上に上がる。

全員が澪に注目している。澪は緊張せざるを得ない。


だけど、この絵でやれるだけのことはやったんだ。

澪はくるりと絵を正面に向けた。


皆がその絵を見て、言葉を失った。

澪は失敗作だったかと汗をかきつつ口を開く。


「タイトルは桜ふぶき、です」


不思議な絵だった。

日中のお花見のような桜が描かれているかと思えば、まるで夜桜を観ているような場面転換が絵の中で起こっている。

そして、あたかも本物の桜の花が風に四方八方飛んだように画面全体に舞っているのだ。

美しい絵だ。

しかし美しいと同時にどこか恐ろしさを感じさせた。

花びらが迫ってくるように吹き付けてくるような立体感がある。

桜の持つ綺麗さ、豪華さ、そして恐ろしさがあますことなく表現されている絵だった。


圧倒的な絵のパワーに部員たちは黙り込んだ。


「よし、戸川、もう大丈夫」


清川先生がそう言って澪はハッとして壇上から降りた。

拍手も起きず、この絵に賭けていた澪は少ししょんぼりした気持ちだった。

しかし、皆は澪の絵の迫力がすごすぎて何も言えなかったのである。



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