第九節 イチからの修行

清川先生からお怒りを受け、しょんぼりする澪を見かねたのか、来栖先輩が「……落ち着け」と声をかけてくれた。


「お前の、動体視力を活かしたらいいんじゃないか……?」


清川先生が投げ捨てたスケッチブックを来栖先輩は丹念に見ながらそう言ってくれた。

澪はほとんど泣きそうになりながら、「はい……」と神妙に頷いた。


そうか。動いているものを瞬間的にとらえられるのが私の特性なんだ。

苦手なことを責めるより時間の限られた今は、得意を伸ばして画材に慣れることが先決なんだ。

何か動きのあるものを描こう。


澪は久しぶりにテニス部におもむき、千夏が懸命にプレーする姿を活写した。


躍動感のある部員たち一人ひとりの動きを描きとめていくうちに気がつけば、新しいスケッチブックはみるみる埋まっていた。

素早く動きだけとらえた絵から、デッサン画になるように記憶からじっくり描き出していく。気づけば鉛筆で手は真っ黒だった。部活を終えた千夏が「すごいねー」と近寄ってきた。


「澪、ずっと描いてたね。よく集中力が途切れないね」

「へへ、楽しくて」


好きだったテニス。それをしている人たちを自分の得意な力で活写していく作業は澪にとってすごく楽しいことだった。


しなやかな筋肉の動き、振りかぶったときのフォームの美しさ。

自分がテニスをしていた時は、フォームが綺麗になるように意識はしていた。

しかし、その「綺麗」とは違う人間の動きの「美」を澪はスケッチから見出していた。


「わ、超上手い」

テニス部員の下級生や三年生の先輩も褒めてくれる。

「はーい、終わりだよ」と桜田先生はテニス部に片付けをするように声かけしつつ、澪を優しい目で見ていた。


こんな形でテニスを表現できるんだ。

澪には新しい感動が生まれていた。


絵ってすごい。

言葉はいらないし、どんなことでも表現できる。


澪は鉛筆を動かす手を止めることが出来なかった。千夏が帰り支度を終えて、「まだ描いてたの!」と暗くなり始めた空の下で澪が描き続けていたのに苦笑した。


千夏は隣に腰を下ろし、「これ、あたしだよね、照れるな」と澪が描く絵を見ながら頬をかいた。


「千夏は美人さんだから、描き甲斐があるよ」

「またまた。……でも良かった」


千夏が目を細め、スケッチブックから顔を上げない澪を見る。


「やりたいことが出来たみたいで」

「え?」

「澪って好きなことを見つけたら一直線じゃん。

 テニスも正直いつ追い抜かれるかハラハラしてたよ」


「嘘……」と澪は驚く。千夏はテニス部のエースで澪の実力では手強い相手だった。

「ほんとだよ」と千夏は大人びた微笑みで「さ、帰ろう」と澪をうながす。


二人で帰路につく夕焼け空は格別だった。



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