第六節 来栖先輩

澪の前に現れた来栖先輩はもどかしげに言葉を探しているようだった。


「あの……来栖先輩、どうしたんですか?」


なかなか、口を開かない来栖先輩に澪はおずおずと話しかけた。

千夏も有華もさっさと部活に行ってしまったので、教室にはいない。


「……その、だな……」


来栖先輩はそう言うとまた口を閉じた。

これではらちが明かない。


澪は来栖先輩に空いている席を進め、自分もその隣に座った。

昨日の有華との会話に引き続き、なんだか一対一で真剣に話し合う日々が続くなぁと澪は思った。


「戸川が俺の絵を……」

「は、はい」


澪はまた冷や汗が湧き出るのを禁じ得ない。美術部に自由に出入りしている時に「来栖先輩の鉛筆画は楽しげですね」と言ってしまったことを思い出した。

その時、来栖先輩は微妙な表情をしたので、気分を害されたのかと思ったのだ。


「すみません、失礼なことを……」


焦って謝る澪に来栖先輩は「そうじゃない」と手を振る。


「あれは……当たっている。俺は鉛筆画にこだわっているが、幼少期に母を亡くし……」


澪は再び、焦った。そんな深い洞察も何もしていた気ではなかったからだ。

「大丈夫だ」と来栖先輩はまた手を振る。


「……その母に鉛筆で描く絵を褒めてもらうのが楽しくて仕方なかったんだ

 お前はその気持ちを言い当てている……」


澪は「いえいえ」と謙遜しながらこくこく頷く。


「……草間がな……」

「えっ?」

思わず草間部長の名前が出たことに澪は聞き間違いだろうかと一瞬、思った。


「……その、あれだ。今日の昼、二年の奴らが謝りに来ただろう。

あれは、草間が謝れと言ったんだ」


「部長命令でな」と来栖先輩は付け足した。

澪は目を丸くして聞いていた。


全てが腑に落ちる。草間部長なら、二年生の部員たちに言うことは可能だ。

澪の中に感謝の気持ちが湧き起こった。

真剣に話してくれた有華。悪いと思って謝罪してくれた部員。こうして言いに来てくれる来栖先輩。そして、知らないところで動いてくれた草間部長。


美術部に恩返しがしたい。

そんな決意が澪に芽生えたのを知ってかしらずか来栖先輩はふっと笑った。


「俺は鉛筆画専門だが……絵は、楽しいぞ」


澪は来栖先輩に大きく頷く。清川先生の恐ろしさだって、乗り越えられそうな気がする。それに、来栖先輩が会いに来てくれたことで、あの濃淡のある鉛筆画を思い出した。

あんな風に独自の世界を表現してみたい。澪は何かが描きたくてしょうがなかった。

この衝動を忘れてはいけない。


澪は来栖先輩に続いて、美術部の部室へと向かった。

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