第六節 様々な表現

「今日はきよピー、機嫌が悪いみたいだな」


草間部長はそうつぶやいて、清川先生の後を追い、教員室に入っていった。

澪はあんな怖そうな先生を「きよピー」と呼び、臆することなく向かっていく草間部長が信じられなかった。

単語帳をめくりながらそう言うと、クロッキー帳に向かいながら有華も「そうでしょ」と同意してくれた。


清川先生は後進を育てることに熱心だが、あくまでもそれは一部の生徒に限られる。才能のあるもの、努力して上達しある程度の実力があるもの、それ以外の生徒に清川先生は一切の興味を見せないらしい。


例えば、その対象は主に美術部でも三年間生き残った草間部長をはじめとする美術科の面々である。清川先生は中途半端な才能を育てると、その後の本人のためにならないと思っている節があるようだった。



下手でも一生懸命頑張っている有華には中々、ツラいそうだ。澪も中学の時はテニス部で中々レギュラーを取れなかったから、気持ちはわかる。頑張っても認めてもらえない悔しさ。それでも有華は清川先生をすごいと言い、澪が先ほど見ていた画集を開いてうっとりとしたため息をもらす。


部室の一番目立つ場所に清川先生の作品が掲げられている。その絵は、前衛芸術家らしい表現で澪には読み解くことは出来ないが素晴らしさはわかる。様々なグラデーションを見せる赤を背景に雷のような黒の亀裂が走っている。強烈な迫力と圧倒的なパワー。観る者の目を開かせるような絵。向かいの壁にかかる草間部長の柔らかい絵とは対照的だ。


同じ絵でもこんなに表現が違うのってすごい。


澪は英単語帳を開きながら、自然と部室内の絵に目がゆくのを抑えられなかった。それは、この部室に来てからの癖になりつつある。絵に興味などなかった。今まで、ずっとテニスが好きで、有名なテニスプレーヤーは知っていても、画家といえばピカソかゴッホくらいだった。しかし、飾られている絵や、部員たちが描く姿を見て、澪は段々と絵画の面白さに目を見開かれるような気がした。


清川先生の激しい気性を表すかのようなインパクトのある絵。

草間部長の優しい人柄を表すかのような綺麗で繊細な絵。

しかし、サーシャの描く筋骨隆々とした人体デッサンは、本人のイメージを見事に打ち破ってくれる。そして独自の世界観を持つ来栖先輩の描く濃淡が活きた鉛筆画。

もちろん、有華の描く絵も好きだった。有華の絵は手のデッサンから、空の風景まで様々だ。「下手だから、描いているのを見ないで」と有華はよく言うけれど、澪には充分、上手いと思う。


澪をスルーした清川先生の態度も「この部にいてもいいんだ」と澪は都合よく解釈した。ひとまず、テニス部以外に居場所を見つけられたことに安心する澪だった。

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