第22話 船上での考察~阿里沙~
遊覧船の上から海岸線を眺めると、幾重にも押し寄せてくる白波が巨大な岩を洗っていた。
不規則に並んだ奇岩はその果てしない繰り返しで生まれたものなのだろう。
海水を孕んだ潮風に煽られながら、阿里沙はその自然が生み出したダイナミックな景色を一人で眺めていた。
怜奈と行動を共にしていないのは昨夜の『祈りの刻』が原因である。
ゲームのシステム上、誰かを選んで回答しなくてはいけないということは分かっている。
しかし怜奈に指名されたのは正直ショックだった。
なんだか裏切られたような気分になり、少し距離を置いていた。
(遊覧船なんて久しぶりだな……あれはまだおばあちゃんが元気なころだったから小学生の頃だったっけ)
海面で反射する夏の陽の眩しさに目を細めながら遠い記憶を呼び覚ます。
その年の夏は珍しく家族全員で旅行することとなった。
しかし出発前夜に両親が喧嘩をし、当日は朝から最悪の空気だった。
既にホテルも飛行機も予約していたので中止になることはなかったが、目的地へ向かう道中で両親の会話はなかった。
阿里沙は子どもながらに両親の仲を取り持とうと必死だった。
しかし彼女があれこれと画策したところで「静かにしなさい」「落ち着きがない」と叱られるばかりで何の効果も得られなかった。
そんな時優しくしてくれたのは、いつも優しい祖母だった。
父方の祖母で、祖父は既に他界しており、阿里沙家族と同居していた。
嫁姑関係はよくも悪くもなく、今回の旅行にも同行していた。
遊覧船に乗ってからもギスギスした空気は続いた。
父は景色など見ず、ずっと船内の椅子に座り仕事の電話をしていた。
ここしばらく家族には見せたこともない笑顔を見せ、子どもの阿里沙にはよく分からない話をしていた。
「こんなところまで来て仕事の電話? ちょっとは旅行を楽しいんだらどうなの? 阿里沙が可哀想」
母はそう言って父を詰る。
子どもを利用して自分の言いたい文句を言っているだけというのは阿里沙にも分かった。
父が仕事の電話で景色に関心がないことより、両親が喧嘩することの方がよっぽど子どもが可哀想だということになぜ理解が及ばないのか、阿里沙には不思議でならなかった。
裕福な家庭だったので生活に困ったことはない。
旅行にも行くし、欲しいと言ったものは買ってもらえたし、お小遣いだってたくさんもらっていた。
でも両親との楽しい思い出というのはほとんどなかった。
友達がたまに外食や遊園地に出掛けて愉しかった話を聞かされると、堪らなく羨ましかった。
「阿里沙ちゃん、こっちにおいで」
気まずい空気に気付かない振りして祖母は阿里沙を手招きする。
祖母のそんな意識的な鈍感さが阿里沙は大好きだった。
「わぁ!」
デッキに出るとたくさんの海鳥が低空飛行で船を追いかけていた。
「ほら、こうして餌をやると食べるんだよ」と祖母は持っていたパンをちぎり空に放つ。
すると数羽がやって来て競い合うようにそれを上手にキャッチしていた。
大喜びした阿里沙は祖母からパンを受け取り餌付けに夢中になっていた。
一泊二日の旅だったけれどはっきりと記憶に残っているのはその場面だけだ。
どんな景色だったかも、父が自慢げに解説しながら舌鼓を打っていた豪華な料理も、帰りの空港で母に買ってもらった高価なネックレスも、よく覚えていない。
「待て待てぇ!」
甲高い嬌声を上げながら小学校低学年くらいの兄弟がデッキを走り回っていた。
彼らにとって奇岩巡りクルーズなんて退屈以外の何物でもないのだろう。
景色そっちのけで遊んでいた。
危険がないか見ていると兄弟は船内に入っていき、椅子に座っている女性の周りではしゃぎ始めた。
恐らくあの人が母親なのだろう。
しかしその女性は視線をずっとスマホに向けたまま、うるさそうに息子たちを追い払っていた。
自分の記憶とも重なってなんだか嫌なものを見てしまった気分の阿里沙は、その光景を視界から消すように移動する。
船尾付近に行くと怜奈と賢吾の二人がいた。
確か今朝も一緒にいるところを目撃した。
なんとなく気になり、しばらく近づかずに様子を窺う。
もしかしたら『願いごと』を知るヒントがあるかもしれないという期待もあった。
昨日は怜奈の願いを探る意味と、自分の『願いごと』のカモフラージュのため『お金さえあれば何でも解決できる』などと言ってみたが、怜奈に強く否定された。
あれは恐らく演技ではないだろう。
昨日温泉で見た怜奈の手首に刻まれた躊躇い傷を思い出す。
怜奈の『願いごと』はあの傷痕に起因するものなのかもしれない。
失恋か、受験などに失敗して絶望したのか、なにが理由で自殺を図ったのか分かれば彼女の願いが見えてくる気がした。
昨夜の『祈りの刻』で怜奈は阿里沙を指名して『大学に進学したい』という予想をしてきた。
それは希望校に入学できなかった彼女自身の憂いなのかもしれない。
しかしそれくらいで命を絶とうと思うだろうか?
阿里沙も祖母の希望で一時期は進学を志したが、その祖母が亡くなってからは意欲もなくして進学を放棄した。
阿里沙にとってはその程度の思い入れしかない。
一方賢吾の方の『願いごと』はよく分からない。
伊吹に『人気女優と結婚したい』と予想された時は冷静を装っていたが少し焦った様子も窺えた。
惜しい予想だったのか、いくつか迷ったうちの一つだったのかは分からないが、恐らく彼の『願いごと』とはそういった類いのものなのだろう。
逆に翔の『社長になること』という予想についてはすぐに否定したし、少し怒っていた。
普段冷静な賢吾がはじめて見せた苛立ちだ。
庇ったのに狙われたという怒りがあったのかもしれないが、それにしても賢吾にしては感情を出しすぎだった。
『人気女優と結婚』と『社長になる』、どちらも俗っぽい願いだけれど賢吾の中ではまるで違うものなのだろうか。
少し違和感を覚える。
態度的には他の参加者とつかず離れずで程よく距離を取りつつ、昨夜のように翔が責められる場面ではフォローする。
メンバーの中ではもっとも落ち着いていて信頼できる人物に思えた。
『朝も遊覧船も賢吾と玲奈は行動を共にしている』
阿里沙はスマホのメモ帳機能を開き、そのことをメモする。
ヒントになりそうなものはこうしてすぐにスマホに書き留めていた。
一つひとつは些細なことでもまとめてみると見えてくることがあるかもしれないからだ。
手帳ではなくスマホなら傍目から見たらメッセージでも送っているようにしか見えないというのも好都合だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます