第12話 共闘~賢吾~

 夏の行楽地だというのに人気は少なく、湖に浮かぶボートも数えられるほどだった。

 賢吾はゆっくり首を回して辺りの景色を見渡す。

 湖畔の木々の緑を溶かしたような湖面は穏やかだ。

 湖を取り囲む山も、その上に広がる青空も雄大で長閑なものだった。


 しかし賢吾にとってロケーションなんてどうでもいいことだ。

 願いごとを叶えてもらったあとに北イタリアなり、カナダなりに行けばもっと雄大で荘厳な湖畔の景色を飽きるほど見ることが出来る。

 今はこのゲームに勝つことが一番大切だ。


 ボートのパートナーとして翔が選ばれたのは幸運だった。

 見ず知らずの六人が集められて二泊三日の短期戦で、しかもたった一人の勝者を決めなければいけないというこの状況。

 優位に進める最善の手は『共闘者』を作ることだ。


 全員が一人で戦っているなか、二人組、もしくは三人組で戦えば優位に立てる。

 その共闘相手にはいくつか条件がある。

 まず簡単に操れること。

 次に自分の作戦の実行部隊となる行動力があること。

 そしてなにより最後に二人となった時に簡単に倒せる愚か者というのが相応しい。

 その条件に翔はぴったりマッチしていた。


 他のボートから離れたところで賢吾はオールを漕ぐ手を止めた。


「もう疲れたのかよ? 言っとくけど俺は漕がないからな」

「君は神代さんが本当の神様だと思っているかな?」

「はぁ? んなわけねーだろ。たぶんどっかの金持ちのわがまま娘かなんかだろ」

「僕と同じ意見だ。いやぁ、翔くんと同じボートでよかったよ」

「なんだよ、気持ち悪いな、おっさん」


 翔は警戒して少し身体を引き気味にして構えた。


「共闘しないか、僕たち」

「キョウトウ?」

「そう。手を組んで他の参加者を蹴落とすんだ」


 敢えて悪巧みの顔で囁く。

 ダークヒーローや露悪的なものを好みそうな彼の関心を惹くためだ。

 賢吾の狙いどおり、翔はにやりと口の端を上げて笑った。


「悪い奴だな、あんた。ま、そういう奴は嫌いじゃないけど」

「さすが翔くん。話が分かるね」

「でもなんで俺と組みたいんだ?」


 騙そうとしているのかもしれない。

 そんな猜疑心を浮かべた目で賢吾に問い質す。

 もちろんこのリアクションも織り込み済みだ。


「理由はいくつかある。まず一つ目に」


 そう言って賢吾は人差し指を立てて翔の顔に近づける。

 その行為自身に別段意味はない。

 しかし人はそうされると指を見てしまうものだ。

 一種の催眠術のように話を真剣に聞かせる効果がある。


「君には行動力がある。普通の人が躊躇うことも恐れず、しがらみや慣習などに囚われない」


 翔は平静を保ってるつもりだろうが顔が少し綻んでいる。

 人にこう思われたいという願いが強い人間にはそれを伝えてやれば喜ぶ。

 百戦錬磨ぶったワンマン社長も偉そうな取引先も、それは同じだ。


「二つ目に」と中指も立ててピースサインにする。


「他の参加者はなんとなく読めるが、君はまるで読めない。まるでバットマンのジョーカーのように奇想天外だ」

「なにそれ、ひでぇ。そんな悪党じゃねぇし」


 翔は悪態をつきながら、今度はあからさまに嬉しそうに笑った。

 自分が鞄にジョーカーのミニフィギュアストラップを着けているのも忘れているのだろう。


「三つ目に」と言って親指を立てる。

 薬指にしなかったのは、そちらの方が翔が好みそうだからだ。


「君を敵に回すと怖そうだからだ」

「なるほどな。理由は分かったよ。で、具体的にどうするんだよ」

「ひとまず掻き回すのがいいだろう。今の状況じゃみんな警戒して会話もろくにない。これではヒントの掴みようもないからね。人は精神的に揺さぶれば自然とボロも出すものだからね」

「へぇ。おっさんもなかなか悪い奴だな」

「おいおい。おっさんはやめてくれよ。僕はまだ二十六歳だ。賢吾って呼んでくれ」

「分かったよ賢吾おじさん」

「あと十年で君も二十六歳だ。十年なってあっという間だぞ?」


「あははっ! ほんとだ」と翔はやけに高くて辺りに響く、癇に障る笑い声を上げた。


「おっさんって言われてムッとしたんだろ?  確かに人は精神的に揺さぶるとボロが出るみたいだな」


 舐めた口を利かれ思わず苛ついたが、表に出せばそれこそ翔の思う壺なので堪えた。


「こりゃ一本とられたな。さすがだよ」

「わかった。共闘してやるよ」


 自己評価ばかり高くて周りから見下されている奴ほど扱いやすい者はいない。

 小説家の伊吹も似たようなタイプだろうが、若いぶん翔の方が扱いやすそうだ。


「で、まずは誰をターゲットにするんだ?」

「そうだな。まずターゲットとするのは──」


 伊吹と怜奈のボートに視線を向ける。

 伊吹がひたすら話し掛け、怜奈が少し固い笑顔で聞いていた。

 伊吹は恐らく優勝するのは無理と諦め、『笑者』として『願いごと』を叶えてもらう作戦に切り替えたのだろう。

 相変わらず分かりやすい奴だ。


 自己紹介で自分が作家であると公言したのも膨らみすぎた自己顕示欲によるものなのだと賢吾は分析していた。


 それにしても、と賢吾は思う。

『笑者』というシステムは少し違和感がある。

 参加者同士がいがみ合うように作られたシステムなのに『笑者』だけは異質だ。

 そこに何らかの罠があると賢吾は踏んでいた。


「やっぱあの小説家から狙うのか?」

「いや。彼は放っておいてもボロを出すだろう。それよりもまずあの怜奈さんかな。明るく振る舞っているけど、どこかぎこちない」


 賢吾は怜奈の自己紹介を思い返していた。

 『みんなと仲良くしたい』と発言したあと、翔に絡まれて急に萎んだように大人しくなった。

 それまで明るかっただけにあの豹変ぶりはちょっと気にかかる。


「あとは悠馬くんかな。注意しておきたいのは」


 視線を悠馬と阿里沙のボートへと向ける。

 悠馬は三途の川の舟渡みたいな陰鬱な表情でボートを漕いでいた。

 なにを思ったか阿里沙は水を手で掬い、それを悠馬にかけて叱られていた。

 相変わらずあのギャルは空気が読めないようだ。


「そうか? あいつは神代に秘密暴露されてたじゃん。『大切な人を失った』って。かなり怒ってたし、マジなんじゃね? 願いごとは恐らくその死んだ奴関連だろ」

「そうかな? その人は死んでるんだよ。いくら悲しんでいるとはいえ、彼はもう二十歳の大人だ。もっとなにか現実的なことを願うんじゃないかな?」

「そんなの分かんないだろ? 賢吾って案外決めつけてものを見るんだな」


 知ったような口で指摘されムッとするが、顔には出さない。


「なるほど。確かに決めつけはよくないな。では死んだのが誰なのかも揺さぶって探ってみよう」


 翔のような相手を動かすためにはまず相手のことを否定してはならない。

 適当に同意して折れる振りをしておいた。


(掛札悠馬か……)


 賢吾が悠馬を注視するのは理由があった。

 神代が現れたとき、心底驚いた顔をしていたことだ。

 それ以降も時おり神代を凝視している。


 一方神代の方は見ず知らずの他人のように悠馬と接している。

 はじめは知り合いなのかとも疑ったが、そうでもなさそうだ。

 あの二人は一体どういう関係なのか、調べる価値はありそうだと感じていた。

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