二人きりのクリスマスと、かっこ良すぎる名前が好きになれた日

 その年のクリスマスは、ハヤテにとって初めての『彼女と過ごすクリスマス』になった。

 テスト期間中に内緒で用意していたブレスレットをプレゼントすると、メグミは驚きながらもとても喜んでくれた。

 結局、遠くへは行かずに、駅のそばのイルミネーションで飾られた街路樹の並木道を手を繋いでのんびり歩いて、駅前の広場でツーショット写真を撮った。

 駅のそばのレストランでクリスマスディナーを食べて、例のケーキ屋さんで小さめのクリスマスケーキを買い、メグミの部屋でジュースで乾杯をして、ケーキを食べた。

 ケーキを食べ終わると、メグミはハヤテに、四角く薄い包みを差し出した。

 その包みの中は、いつか音楽室で肩を寄せ合って一緒に聴いたヒロの曲『Darlin'』が収録されたCDだった。

 ハヤテの好みがわからなくて、いろいろ悩んだ末に、自分の一番好きな曲をプレゼントしようと思った、とメグミは言った。

 そしてその日、二人はメグミの部屋で初めて一夜を共にした。

 一晩中、何度も何度もキスをして、指を絡め名前を呼んで、互いを求め抱き合った。

 触れ合う肌の温もりと込み上げる愛しさで、身も心も甘く満たされた、幸せな夜だった。



 年が明けて程なくして、メグミは志望校に願書を提出し、本格的に受験に向けて勉強漬けの毎日に追われた。

 ハヤテは大学に通い、合唱部の練習で伴奏をして、メグミに勉強を教え、月末に迫ったライブに向けてバンドの練習にも参加した。

 そして、家ではコンクールに向けて、ピアノの練習に励んだ。

 目が回るような忙しさではあったが、ハヤテにとって、これまでに経験した事のないほど充実した毎日だった。


 ハヤテがそんな毎日を送っていたある日。

 メグミに勉強を教えて帰宅したハヤテを、珍しい顔が待ち受けていた。


「よっ、ハヤテ。元気か」


 その人は陽気に笑ってハヤテの肩を叩いた。


「あっ、父さん……。久し振り。珍しいね」

「おかえりじゃないのか?」

「帰ってきたのはオレだけど?」

「たしかに」


 ハヤテの言葉に、父親はおかしそうに声を上げて笑った。


「ハヤテ、時間あるならこれから付き合え」

「これからオレ、ピアノの練習するけど」

「今日くらいはいいじゃないか。たまには一緒に飲みに行こう」


 珍しい事もあるもんだなと思いながら、ハヤテは父親の誘いに乗る事にした。

 駅のそばのバーに連れて行かれたハヤテは、父親と並んでカウンター席に座った。

 その店は落ち着いた大人の好みそうな、ピアノのある隠れ家的なバーだった。


「ハヤテは何飲むんだ?」

「オレ、普段飲まないから、あんまり強くないんだよ」

「なんだ、ハヤテは普段飲まないのか。じゃあビールくらいでいいか」

「任せるよ」


 ハヤテはビール、父親はギムレットをオーダーして、ほどなくして運ばれてきたビールとギムレットで乾杯した。


「うまいな。ハヤテと一緒に飲みに来るのは初めてか」

「うん。どういう風の吹き回し?そもそも、家になんて滅多に寄り付かないのに」


 ハヤテはビールを飲みながら父親に尋ねた。


「寄り付かないわけじゃないよ。本当に忙しくて帰れないだけだ」


 ハヤテは、単身赴任の父親に愛人がいる、と言っていたメグミの言葉を思い出した。


「ホントに?愛人とかいるんじゃないの?」

「バカ言うなよ。いるわけないだろう」

「ふーん……」


(父さんにはいないのか。まぁ、いたとしても『いるよ』とは言わないよな)


 グラスを傾けながら、ハヤテは普段あまり一緒にいる事のない父親の横顔を、なんとなく眺めた。


(いい機会だから、仕事の話とか聞いてみようかな?)


「ハヤテは音大に行ってるんだろ?今、3年だったよな?」

「うん。よく覚えてたね」

「自分の息子の事だから当たり前だろう?」


 父親はおかしそうに笑ってハヤテの顔を見た。


「ハヤテ、なんだか雰囲気変わったな。最近、どんな事してるんだ?」

「高校の合唱部の伴奏やったり、友達のバンドでキーボード弾いたりしてる」

「バンドやってるのか?意外だな」

「うん。今回だけライブの助っ人で」

「で、どうだ?」

「楽しいよ。父さんも同じような仕事してんのかなぁとか思ったりした」

「まあな。ハヤテは卒業後はどうするんだ?」

「まだ考えてないけど、こういうのも有りかなぁとも思う」


 ハヤテの言葉に、父親はどことなく嬉しそうにしている。

 ハヤテと父親がそんな話をしていると、店に入ってきた一人の男性が、二人のそばに歩いて来て父親の肩を叩いた。


「よぅ、タカさん。お待たせ」

「おっ、チーちゃん。待ってたぞ」


 ハヤテは父親とその男性の顔を交互に見た。


(タカさん?チーちゃん?)


「チーちゃん、これ、オレの息子のハヤテ」


 父親がハヤテを紹介すると、その男性は笑ってハヤテの方を見た。


「ああ、タカさんがいつも話してる真ん中の坊やか」

「どうも……ハヤテです……」


(父さんがいつも話してる?それにしても真ん中の『坊や』って……。オレ、21だよ?)


「コイツ、和泉 知紘イズミ チヒロって言ってな、昔から一緒にやってるミュージシャンなんだ。もう何年になる?」


 父親が尋ねると、和泉と言う男はタバコに火をつけながら指折り数えた。


「デビューの時からだからな。オレが今36だから、もう17年になるか?」


(って事は、この人19でデビューしてるんだ。早いな……。36だったら父さんより一回りくらい下?)


 随分歳が離れているのに、それを感じさせない二人を、ハヤテは不思議な気分で見ていた。


(仲間かぁ……。いいなぁ……)


 和泉が『タカさん』と呼ぶのを聞いて、ハヤテは父親の名前が崇天タカマだと言う事を思い出した。


(あんまり一緒にいないから、たまに親の名前も忘れそうになるって……普通じゃないよな?)



 3人で並んで酒を飲んでいると、マスターが困った顔で若い従業員と話している事に、父親が気付いた。


「マスター、どうかしたのか?」

「ピアノ奏者の子が来る途中でケガして、来られなくなったんだよ」

「そうか。ケガひどいのか?」

「たいしたケガではなさそうだけど、右手らしいんだよな。しばらくピアノ弾けないって」

「そりゃ大変だ」


 その会話を聞きながら黙ってビールを飲んでいたハヤテの顔を、和泉が覗き込んだ。


「えっと……何か?」

「オマエ弾いてやれば?ピアノ弾けんだろ?」

「ハイ?!」


 唐突な和泉の言葉に、ハヤテは思わずむせそうになった。


「おっ、それいいな。マスター、うちの息子に弾かせてやってよ」


 父親は嬉しそうにハヤテの背中を叩きながら、マスターに声を掛けた。


「えーっ……いきなりそんな事言われても……」

「いいじゃん、なんか弾いてくれよ!!オレは聴いてみたい!!」

「ハヤテ、オレも久し振りに聴きたい」

「良かったら弾いてくれるかい?なんでも好きな曲弾いてくれていいから」


 和泉と父親に加えマスターにまでそう言われ、ハヤテは断りきれずにピアノの前に座った。


「結局ピアノ弾くのか……」


 ハヤテは小さく呟いて、何を弾こうかと考えながら鍵盤の上に指を乗せた。


(まぁ……好きに弾いていいって言うなら……)


 洋楽の『名曲』と言われる曲を何曲か続けて弾いた後、譜面がなくても弾けるようになったヒロの曲『Darlin'』をハヤテが弾き始めると、父親と和泉が、驚いたように顔を見合わせた。

 ハヤテはどこか愛しげに笑みを浮かべ、楽しそうにピアノを弾いている。

 その姿を見ながら、父親と和泉は優しい音色に聴き入った。


「ハヤテのヤツ……チーちゃんの事、知ってたのかな?」

「どうだろうな。しかしあれだ、タカさん……アンタの息子……恋してるな。それもかなり本気と見た」


 父親は和泉の言葉に嬉しそうにうなずいた。


「かもな。オレもそんな気がしたよ。ハヤテもそんな歳になったんだな……」



 しばらくピアノを弾いた後、マスターが『素晴らしい演奏のお礼に』と言って、美味しいカクテルをご馳走してくれた。

 カクテルでほんのりといい気分になったハヤテは、無性にメグミの顔が見たくなり、スマホを出してクリスマスにメグミと二人で撮った写真を眺めた。


(メグミ、やっぱりかわいいなぁ……)


 クリスマスにメグミからもらったCDを、ハヤテは何度もくりかえし聴いている。

 聴くごとに、どんどんその曲に引き込まれ、メグミへの想いも強くなる。


(あの曲みたいに、メグミとずっと一緒にいられたらいいな……)


 ほろ酔いのハヤテが微笑みながらスマホの画面に映るメグミを眺めていると、両隣から父親と和泉が画面を覗き込んだ。


「おぉっ、かわいいじゃん!!」

「ハヤテの彼女か!やるな!!」

「えっ?!えっ?!」


 父親と和泉に両脇をひじでつつかれ、ハヤテは慌てふためいている。


(なんだよ!!子供か!いい歳して、二人とも全然大人じゃないじゃん!!)


「ハヤテも恋する歳になったんだなぁ」

「やめてくれよ、もう……」


 父親にグリグリと頭を撫でまわされ、ハヤテは照れくさそうに小さく呟いた。

 父親に頭を撫でられるのなんて、何年ぶりだろう?

 もう子供じゃないのに、少し嬉しいような、妙にくすぐったい気持ちになる。


「ハヤテ、オヤジの代わりにオレんとこ来るか?」

「代わり?」


 和泉の言葉の意味がよくわからなくて、ハヤテはなんの事かと首をかしげた。


「チーちゃん、代わりはないだろ?」

「あぁ、そうだな。代わりじゃなくて、ハヤテはハヤテだ。タカさんにもハヤテにも、代わりなんていねぇもんな」

「はぁ……」


(メグミみたいな事言ってるな……)


「大学出たら、オレんとこ来いよ」

「えーっと……おっしゃる意味がよくわからないんですが……。父さんがいるじゃないですか」


 ハヤテが答えると、和泉はタバコに火をつけ、ジンライムを飲み干した。


「タカさんにはタカさんにしかできない仕事をしてもらうよ。オレな、若くておもしろいヤツ探してんだ」

「若くておもしろいって……。オレ、笑いのセンスに全然自信ないですけど……」


 話すほどに和泉の言っている意味がわからなくて、ハヤテは怪訝な顔をした。


「笑いは取れなくていいんだよ。芸人じゃねぇから。オレ、これでもミュージシャンよ?」

「ですよね……」


(なんの事かさっぱりわからん!!ちゃんと説明してくれ!!)


「とりあえず、春休みにでもタカさんの仕事についてくるか?」

「はぁ……。職場見学みたいなものですか?」

「そういう事にしとくか。やってみる?」

「……考えときます」


 和泉の言うように父親の仕事を見てみたい気もするが、ここで安易に即決はできない。


(メグミをほったらかしにするのもかわいそうだし……やっぱり、一緒にいたいしな……)



 バーを出て二人で家に向かって歩いている時、父親が静かにハヤテに話し掛けた。


「ハヤテ、さっきチーちゃんが言ってた事だけどな……。自分の将来に繋がる事かも知れないから、よく考えろよ。今まで散々遠慮して、人のために弾いてきたんだから、そろそろ自分の進むべき道を自分で考えて選んでもいいだろ」


 いつになく真剣な父親の表情と、思いがけない言葉にハヤテは驚いた。


「うん……。見てないようで、見てるんだね」

「当たり前だろ。自分の息子の事だからな」


 父親は少し笑って、得意気に自分を指さした。


「それにな、ハヤテって名前をつけたのはオレだ。3人いる中で唯一、オレの名前から一文字取った」

「あ……そう言われてみると、そうだね」


 兄の和真カズマと弟の由貴ユタカの名前には、父親から取った読み方こそ入っているものの、漢字は母親の真貴マキから一文字ずつ取ったものだ。


(母さんの文字がオレにだけ入ってないって事は、生まれた時から期待されてなかったんだと思ってたけど……。そうか……オレの名前、父さんがつけたのか……)


 今更ながら知る事実に、ハヤテは少し救われたような、なんとも言えない気持ちになった。


「今更なんだけど……名前の意味とかあるの?」


 昔から気になっていた事を尋ねると、父親はジッとハヤテの目を見て、一言ずつ力強い声で答えた。


「迷わず自分の道で上を目指して、いつか天辺てっぺんに立つ男になれるように『颯天』ってな。かっこいいだろ」

「かっこ良すぎるな……」


 自分には似合わないと思い、ずっと嫌いだった『颯天』と言う名前に、父親のそんな願いが込められていたのかと思うと素直に嬉しかった。

 そんな大切な願いの込められた名前を、これからもずっと、メグミに呼んでもらいたい。

『ハヤテ』と言う名前も、父親の期待を背負った自分の事も、初めて好きになれた気がした。




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