来年のバースデーケーキとキスを君に

 それから二人で肩を寄せ合って本を読んだり、映画のDVDを観たりしてのんびり過ごした。

 しばらく経った頃、「おやつにしよう」とメグミがプリンを出してきて、一緒に食べる事にした。


「私、この店のプリンが好きだって言った事なかったのに、ハヤテが買って来てくれたからビックリしたんだよ」

「偶然なんだけどな。ホットケーキ焼いてくれるって言ってたから、ケーキよりプリンとかゼリーがいいかなと思って」

「そうなんだね。あのお店、ケーキも美味しいんだけど、やっぱり私はプリンが一番好き」


 ニコニコ笑って美味しそうにプリンを食べていたメグミが、スプーンを口に運ぶ手を止めて、少し寂しげにポツリと呟く。


「でも、子供の頃はあのお店のバースデーケーキ、すごく憧れたなぁ……」

「バースデーケーキ?」

「うん。生クリームのお花とか、熊さんとかウサギさんの砂糖菓子のお人形が乗ってて、すごくキレイでかわいいの」

「小さい頃は家族でお祝いとかしただろ?」

「……記憶にない」

「そうか……。メグミの誕生日はいつ?」

「6月26日。梅雨時だから雨ばっかり」

「じゃあさ……まだまだ先だけど、来年のメグミの誕生日は、バースデーケーキ買って来て、一緒にお祝いしようよ」

「ホント?」

「うん。オレも家族で誕生日のお祝いとかした記憶ないから、メグミがバースデーケーキに憧れてたって……すごくわかる」

「そうなんだね……。ハヤテの誕生日はいつ?」

「7月21日」

「夏休みだね」

「そう。学校休みだから友達にもおめでとうって言ってもらえない。親もオレの誕生日って言うより、夏休みの初日とかって認識してる」

「どうして?」

「うちの母親が家でピアノ教室やってるから。夏休みになると、普段学校に行ってる時間にもレッスンやるんだよ」

「へぇ……。ハヤテがピアノ弾くのって、お母さんの影響なの?」

「影響って言うか……兄弟みんな、有無を言わさずだよ。物心つく頃にはピアノ弾くのが当たり前みたいになってたから。めちゃくちゃスパルタだったし……」

「そうなんだ……。何人兄弟?」

「3人兄弟の真ん中。兄貴と弟がいる」

「へぇ……。いいなぁ。私、一人っ子だから兄弟がいるの羨ましい。賑やかでしょ?」

「……うちはそうでもないよ」

「仲悪いの?」

「いや、良くも悪くもない。みんな自分の事ばっかりでお互いに関心がないから」

「お父さんは?」

「ピアノ奏者やってるよ。いろんなミュージシャンのバックで弾いたりとか、レコーディングに参加したりとか……。海外にも頻繁に行くんだって。忙しいらしくて別に住んでるから、もう何年か会ってない」

「ふーん……。寂しいね。うちの家族みたい」

「みんな好き勝手やってる。でもまぁ……羨ましいとは思うよ。オレなんか……何一つ自分で決めないでここまで来たから」

「そうなの?ピアノ、好きじゃない?」

「ピアノ弾くのは好きだけど……。オレが今、音大生やってるのも……自分の意志で決めたわけじゃないから」

「じゃあなんで?」

「兄貴と弟が親の期待に背いて自分の道を行ったから。母親が仕方なくオレに背負わせて、それを仕方なくオレが背負った。それだけ」

「仕方なくなの?」

「オレは家でも地味で目立たない子なんだよ。兄貴みたいに優秀でも、弟みたいに活発でもなくてさ……見た目も性格も、二人みたいに人を惹き付ける力がないから」

「ふーん……」

「どんなに頑張って練習しても、賞を取っても……誉められるのは兄貴と弟ばっかりでさ。親にも周りにも全然期待されなかった。残念な子なんだ」

「それでもハヤテはピアノ弾くんだね」

「オレには他に何もないから。ピアノ弾いてなかったら、自分の存在する意味もなくなる」


 ハヤテが自嘲気味に呟くと、メグミは両手でハヤテの頬を包んで、覗き込むようにジッと目を見つめた。


「前も言ったよ。ピアノ弾いてなくても、ハヤテはハヤテでしょ。少なくとも私にとっては、ハヤテの代わりなんていないの。ピアノ弾いてなくても、私はハヤテが好き」

「うん……」


 メグミは少し笑ってハヤテにキスをした。


「好きじゃなかったらキスなんかしないよ?」

「うん、オレも」


 ハヤテがメグミを抱き寄せて頬にキスすると、メグミが人指し指で唇を指さす。


「ここは?」

「さっきした」

「もっと」

「でもなぁ……」

「じゃあ……私がする!」


 メグミは笑ってハヤテに飛びかかり、照れるハヤテを押さえつけてメガネを外した。


「わっ、ちょっと待って……」

「ダーメ、逃がさないから!」

「えーっ……立場が逆なんじゃ……」

「いいの、ハヤテともっといっぱいキスしたいの!!」

「わかった、わかったから……」


 押し倒された格好のまま、ハヤテがメグミの頭を引き寄せて優しくキスすると、メグミは満足そうに笑って、もう一度キスをした。


「ハヤテ、大好き」

「オレも、メグミが好き」


 それから二人は時折笑いながら、じゃれ合うように、何度も何度もキスをした。


「私、すっごい幸せ」

「オレも」

「一応聞くけど、これ以上はしないの?」

「……今はまだいい」

「今は?じゃあいつ?」

「……いずれは」

「ふーん……?じゃあ……それまで待ってる。でもその分、キスはいっぱいしてね?」

「努力はする……って……。これ……やっぱり立場が逆じゃないか……?」

「だってハヤテは、付き合った途端、後先考えずに所構わずがっつく人じゃないんでしょ?」

「まぁ……」

「照れ屋さんだけど、好きだから大事にしたいってちゃんと言ってくれたし……。ハヤテのそういうところ、私だけが知ってたいなー……なんてね」

「誰も知らないよ。メグミと付き合うまで、そんな事言う相手もいなかったし……」

「じゃあ、知ってるの私だけ?嬉しい!!」


 メグミはまた嬉しそうに笑ってキスをする。


「……メグミは逆にがっつき過ぎだよ……」

「ハヤテだけだからいいでしょ?」

「うーん……まぁ、いいけど……好きだし……」


 ハヤテが照れながら答えると、メグミはまた笑ってハヤテにキスをする。


「……きりがないんだけど」

「きりがないくらいキスしようよ」

「それも悪くないけど……とりあえず、そろそろどいてくれる?」

「もう……ひどいなぁ。この状況は彼氏として喜ぶべきとこでしょ?」

「ひと休みしようよ。喉渇いた」

「そういう事ならしょうがない……新しい飲み物でも入れますか」


 メグミがもう一度軽くキスをして、ハヤテの体の上から降りると、ハヤテはホッとして身を起こした。


(積極的もここまで来ると清々しいな……)


 ついこの間まで恋をした事も、キスした事もなかったのに、かわいい彼女に大好きと抱きつかれキスをせがまれたり、ハヤテ自身も彼女に好きだと言って抱きしめ何度もキスをしている事が、不思議でしょうがない。


(めっちゃくちゃ長ーい夢とか……。いや、さすがに夢オチは哀しすぎるだろ……。どうか、幸せな現実がこのまま続きますように……)


 ハヤテは飲み物を入れるメグミの背中を見ながら、大好きなメグミがすぐそばにいる事の幸せを噛み締めた。


 メグミがカプチーノを入れたカップをハヤテに差し出しながら、ポツリと呟く。


「ハヤテと一緒にいると、すごく思うの。私、今まで両親にも付き合ってきた人にも、あんまり大事にされた事ないなって……」

「え……」

「ハヤテもわかってるとは思うし今更だけど……私はハヤテと付き合うまで、いろんな人と付き合ってきたし……初めての時でさえ、ハヤテが言ってくれたみたいに大事にはしてもらえなかった」

「うん……」


 どこかでわかっていた事とは言え、メグミの口から直接過去の話をされると、ハヤテは少し複雑な気持ちになる。


「ハヤテが前にピアノ弾きにきた時……私、泣いてたの……覚えてる?」

「ああ……うん」

「あの時、ハヤテは何があったか聞かなかったけど、もし聞かれてもホントの事は言わなかったと思う」

「なんで?」

「人に言えないような悩みだったから」

「そうか……」


 メグミはカプチーノを一口飲んでからゆっくりと口を開いた。


「うちの父親、単身赴任先に愛人がいるの。母親もわかってるけど、自分も大事な仕事があって、父親とは別の男の人がいるから、お互い何もないような顔してるけど……」

「そうなんだ」

「私ね……付き合ってた人が、好きになっちゃいけない人だったの。でも気付いた時にはもう後戻りできなくなってたから……ずっと人に言えなくて、一人で悩んでた」

「うん……」

「家族がバラバラになって悲しい思いしたはずなのにね。相手に家庭があるなんて知らなかったとは言え、今度は私自身がその人の家庭を壊す方の立場になった……。こんなのダメだ、もうやめようって何度も思いながら、その人の嘘にすがってる自分が惨めになってね……。一人でいろいろ考えてたら、いつの間にか泣いてた」


(不倫か……。昼ドラじゃあるまいし……高校生には重すぎるだろ……。相手の男、家庭があるんだろ?大人のくせして、女子高生相手に恥ずかしくないのか?)


 相手の男に憤りは感じるものの、メグミにかける言葉が見つからず、ハヤテは黙ってカップを口に運んだ。


「でも、3年前の文化祭の時と同じように、ハヤテだけが泣いてる私を見つけて声掛けてくれたから……すごく嬉しかった。ハヤテのピアノ聴いてたら、悩んでるの馬鹿らしくなって、ちゃんとけじめつけようって思えたんだ」

「オレはなんにもしてない。ピアノ弾きたくて弾いてただけだし……優しい言葉のひとつも掛けられなかった」

「うわべだけの優しさなんか要らないよ。ハヤテは言葉は少なくても、普通に私に接してくれたもん」


 ハヤテは、普通に接してもらえて嬉しいと言うメグミの言葉を聞きながら、自分にはわからない悩みをメグミは一人で抱えてきたんだと胸が痛くなった。


「もちろん、私が今好きなのは、ハヤテだけだよ?」

「うん」

「こんな私でも、好きだから大事にしたいって言ってくれる?」

「メグミがどんな恋愛してきたかはオレにはわからないし、何も言ってあげられないけど……オレは、メグミが好きだから大事にしたいし、一緒にいたいって思う」

「ありがと。私もハヤテが好き。ハヤテは嘘つかないもんね」

「上手な嘘つけるほど口がうまくないから」

「うん、知ってる」


 メグミは少し笑って、ハヤテの手を握った。


「ハヤテ、大好き」

「オレも、メグミが好き」


 ハヤテはメグミを抱きしめて、何度も優しく頭を撫でた。


「オレはさ……急いで大人になる必要なんてないと思う。ちょっとわがままで強引だけど……背伸びしてないメグミが一番かわいいとオレは思ってるから」

「うん。もうハヤテの前では無理しない。ハヤテにこうしてもらってると、すごく温かくて安心する……。ずっとこうしてて欲しいくらい」

「オレで良ければいくらでも」

「嬉しいな……。ハヤテ大好き」


 安心しきったメグミの笑顔を見て、きっとメグミは一人の寂しさを埋めるために、誰かに必要とされたくて背伸びをしてきたんだとハヤテは思った。

 それはハヤテが幼い頃に抱いていた感情にも、どこか似ていた。


 優秀で人を惹き付ける活発な兄と弟に挟まれ、大人しいハヤテはいつも目立たず、周りに期待されなかった。

 幼い頃は母親に誉めてもらいたくて、人一倍ピアノの練習をした。

 だけど、どんなに頑張っても、兄や弟のように母親から認めてもらえなかった。

 ハヤテが中学3年の高校受験の時、本当は音大付属高校を受験したかったのに、その高校から音大に進学する予定だった兄に学費が掛かるので、ハヤテは音大付属高校をあきらめて近所の公立高校を受験した。

 しかし、兄は音大の入試は受けず、親に黙って別の大学の入試を受けていた。

 激怒した母親は学費を出さないと言ったが、兄は自分のやりたい事だからと、その大学に奨学金を受けて進学し、父親に頼み込んで学費の一部を貸してもらい、実家を出てアルバイトで生活費をまかないながら勉強して大学を出た。

 兄が大学に進学して家を出た後、母親は弟の音大付属高校の入試にむけて掛かりっきりになった。

 ハヤテは公立高校に通いながらピアノを続けていたが、母親の目はいつも弟に向いていた。

 弟が音大付属高校から大学に進学する事を想定して、ハヤテはまた、音大を受験するのはあきらめざるを得なかった。

 しかしハヤテが高校2年の時、そろそろ進路を考え始めた頃、中学3年だった弟が、音大付属高校には行かないと言い出した。

 弟は仲の良い友人たちとバンドがやりたいと、ハヤテとは別の公立高校に進学した。

 そして、ハヤテが高校3年になり、進路を本格的に決めなければいけなくなった時、母親はハヤテに、音大を受けなさいと言った。

 期待していた兄がそれに背くと弟に掛かりきりになり、溺愛していた弟までもが親の期待には応える事なく別の道を行って初めて、母親はただ一人残ったハヤテに、兄と弟に裏切られた期待のすべてを背負わせた。

 その頃ハヤテはもう、音大を受験する事は考えていなかったのに、有無を言わさぬ母親の一言で、結局は言われるがままに音大を受験して合格すると、当たり前のように進学した。

 そして今、母親は優秀な教え子に掛かりっきりで、兄弟の分の期待を背負わされ音大に通うハヤテには、あまり興味がなさそうだ。

 家に帰っても生活リズムの違う家族と顔を合わせる事はあまりない。

 かろうじて用意された食事を一人で食べる事にも慣れたが、ハヤテは今でも時々、必要ともされず期待もされないのに、どうして自分はここにいるのだろうと疑問に思う事がある。


(オレも家の中ではいつも一人だったから、メグミの気持ちはなんとなくわかるんだよな……。一番認めてもらいたい人に認めてもらえない寂しさとか……必要とされない虚しさとか……)


 今はもう、母親に認めて欲しいとか必要とされたいとか思う事はなくなったが、幼い頃に満たされなかった思いは、いつの間にか、期待して裏切られた時に傷付かないように、自分を否定する事で、自分を守りながら大人になった。


(でも、今は……オレにはメグミがいる……)


 ずっと否定してきた自分を、生まれて初めて正面から好きだと言ってくれたメグミが、今のハヤテにとっては何よりの救いだった。

 だから尚更、メグミの事は大事にしたいと、ハヤテは強く思う。


(いつかはオレが、メグミの一番居心地のいい場所になれたらな……)




 結局その日は、いつもの休日のようにのんびり過ごした。

 何度もキスしたり、抱きしめて頭を撫でたりはしたが、ハヤテが心配していたように、その場の雰囲気に流されてなし崩し的に……と言う事もなかった。

 一人でいる事に慣れきって、休日のその味気なさも当たり前になり、なんとも思っていなかったはずなのに、メグミと二人で過ごす特別な事のない休日は、とても穏やかで心地よかった。


 今まで人に話した事のない話をした。

 お互いにとって掛け替えのない『特別な存在』になれたような、また一歩、心の距離が近付けた気がした。

 一緒にいるだけで、こんなに幸せな気持ちになれるのだと、ハヤテの中でメグミの存在がまたひとつ大きくなる。

 メグミが言ってくれたように、ハヤテにとってもまた、メグミの代わりなどどこにもいないと思った。




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