クラスメイトの彼女 12

「ああっ!」

 と僕は叫び声をあげ、そして目を覚ました。

 

 実際に声を発したのか、それとも夢の中で発したのかもよく分からなかった。気が付くと、手を宙に伸ばし、空を掴んでいた。


 朝──。


 あれ、さっきまで彼女がそこにいた。彼女? ──杜乃さん?

「まさか──」


 夢に出てきたのかもしれない。いつの頃からだろうか、裏庭の花壇の手入れを手伝うようになってからか、少しでも油断すると、僕はふと杜乃さんの事を考えているのだ。


 きっと、そうかもしれない。


 今までそんな自分を誤魔化して、気づかないフリをしていただけなのだろうか? クールな自分を演じて、自分の気持ちを、感情を、恥ずかしげもなく吐露できる中村と、ある種の対抗でもしているように、本当は羨ましくもあったはずなのに、ニヒリズムよろしく、無意味に格好つけたスタンスを決めこんで。でも、もうこれは隠しようもない。


 僕は杜乃さんを、において意識しているのだろうか? ──かもしれない。


 こう思うと、恥ずかしいのやら、何か言いようのない熱量みたいなものが、胸の内から沸き起こる妙な感じがした。まだ頭が覚めていないのだろうか。そして心臓の音が生々しく響いてくるのだ。


 そんな妙な──自分で言うのもなんだけど、これが中二病? 滑稽な──寝起きのアンニュイな空気を、いとも簡単に日常へと引き戻したのは、部屋のノックの音と共に聞こえた、大きな声だった。


「海斗ぉ、起きてる? 朝ごはん出来てるから、お母さん今日は早いから、食べたら後片付けもちゃんとしてね。じゃあね」

「あっ! うん。わかった」


 僕は返事をして、日常に戻った。家族というのは、いい意味でも悪い意味でも、現実を教えてくれる、まったくもって有難い存在だと思う。


 そして僕は朝ごはんと後片付けをすませて、学校に向かった。


 夢の中に杜乃さんが出てきた。きっと、いや絶対に杜乃さんだと思う。そう感じたのだ。しかし、肝心の内容は、よく思い出せない。夢の中で杜乃さんは僕に何を伝えていたのか、もしくは僕が彼女に何を伝えていたのか、思い出せない。夢なのだから、僕の願望なのかもしれないけれど、それだけではないようにも感じた。


 これを中村に言うべきか? それとも杜乃さんに言うべきか? 「夢に杜乃さんが出てきたよ」なんて言ったら、僕は君のことが好きなんだよ、と告白しているのと同じではないか? 僕は、やっぱり杜乃さんのことを好きになって──、つまり、恋に落ちた!? 「恋」なんて言葉、思い浮かべるだけでも恥ずかしい。というか、こんなことを考えていると、杜乃さんのあの印象的な瞳をまともに見れなくなってしまうじゃないか!? ──なんてことを考えていると、


「よっ、海斗、異世界に転生してそして帰還して現実を受け入れられない、みたいな顔してどうしたんだよ、朝っぱらから」

 と声をかけられた。中村、僕を平和な日常へと引き戻し、とにもかくにもいつもの調子を取り戻させてくれる大切な親友。


「中村、おはよう。確かに異世界には行ったけど、現実は受け入れているよ」

「って、行ったのかよ! 何しに行ったんだよ? 勇者かよ、魔王倒したのかよ?」

「いや、上手く思い出せないんだ。おそらく勇者ではなくて、魔王にも会ってない。でも、に出会ったかもしれない」

「なぁーにぃー! 姫といい感じになったのかよっ? この異世界スケベ!」

「いい感じかどうかも分からない」

「この野郎、俺も姫に会いたいぜよ。南埜ちゃんはどこかなぁー、まだ登校してないかなぁー」

 そう言って中村は教室を見渡した。

「その姫様の周りにはめんどくさい付き人がいるけどね」

「まったくその通り、あーぁ、南埜姫と二人っきりで登校できたらなぁ、夢だなぁ」

「ほんとに好きだな、中村は。願望が駄々洩れだし」

「いいんだよ、想うだけなら自由でしかもタダ。想ったもん勝ちってわけだ。んで、下手なアイドルに熱狂するよりよっぽど経済的。そうじゃね? てゆーか、下手なアイドルより南埜さんの方がちょーいいし! なんてったって、現役人気モデルだぜ!」

「想ったもん勝ちねぇ」

「そうよ。あー、でも芸能界とか行って欲しくねぇなぁ。ますます遠い存在になっちまうよなぁ。てゆーか海斗、なんだよ、そのローテンション。俺たちはな、恋を知らなくちゃならねぇ! そういう年頃なんだからよ」


 出た! 恋。


「そうですか」

「んでー、海斗の姫様は、今日はお休みかなぁ? 残念だねぇ、海斗君。この時間にいないとなれば、こりゃ彼女休みっしょ? 杜乃さん、いつも早いし」

「え? ああ──、どうだろ? ていうか、姫様って、オイ!」

「意識してんだろうがよぉ! ええ? 違うのかぁ? ほんとはどうなんだよ? 白状しろぉー! 海斗ぉー」

 と、中村は僕にヘッドロックをかましてくるのだが、確かに、彼女が休みだと、僕は、正直言って、──寂しい。──かもしれない? というか、今朝はなんだかホッとするというか? 複雑な心持だった。


 

 そうして今日は、本当に杜乃さんは休みだった。


 ホームルームの時間に担任は体調不良で休むと連絡があったとだけ伝え、淡々と出席を取り始めた。


 授業が始まっても、何故だか妙に、というより杜乃さんが休みなのでなおさらなのか、僕は昨夜の夢のことが気になって仕方がなかった。授業も全く頭に入ってこない。もしかしたら、正夢で、杜乃さんに何かあったのでは? それとも虫の知らせで、何か大切な事を伝えてきたのか? なんてのは僕の独りよがりかも知れないけれど、とにかく気になってしょうがないのだ。


 夢の中で、その姿もよくは思い出せないけれど、僕は彼女の為に、何かをしようとしていた。そうして彼女は、何やら大変な状況に立たされていた。姫というよりは、戦士だったのかもしれない。そして、それはおそらく、僕の為だったように感じる。


 そうこうしているうちに昼休みとなり、僕は裏庭の花壇の手入れを一人で取り掛かることにした。職員室へ用務員倉庫の鍵を取りに行き──僕も作業していることを担任も承知している──杜乃さんがいないので、とりあえず手付かずの花壇の雑草を取り除き、スコップで地ならしをすることにした。中村は陸上部の集まりがあるということで、手伝いはまたの機会でと、運悪く? 逃げられたのだった。


 僕だけでも作業を進めていれば、杜乃さんも喜んでくれるだろう。そう思い──、というか、正直に言って、僕は彼女の笑顔を見たいから、手伝っているのだ。園芸に興味が湧いてきた、ということではない。つまりは、やっぱり僕は、彼女のことを──、


 独りで土をいじりながら、その匂い、雑草の匂いを嗅いでいると、不思議と心がすっと真っすぐになって、今なら素直に言えるような気がした。そうだ、僕は──、心に彼女をイメージして、言葉を描こうとした、その時、突然、声が聞こえた。


「私もお手伝いしていいかしら? 陽野くん」

 

 後ろから声を掛けられたのだった。

「えっ!?」

 振り向いて、というか、振り向くより以前に、僕はこの上なく驚いていた。心臓に響くほどに。それは突然だっただけではない、その声で、すぐに相手が分かったからだ。

「み、南埜さん!」

「杜乃さんが休みで、陽野くん一人で大変でしょ?」

「えっ、えっと、それは──」

 なんで? 南埜さんが、突然、一人? 萩元とかはいないのか? よりによって今日!?

 変な言葉ばかりが頭に浮かんで、上手く返事を言えなかった。

「ちょっと時間が空いたから。私も、やらせて欲しいな。杜乃さんにも許可とかが必要かしら?」 

 そう言って、彼女はしゃがんで、僕が雑草を引っこ抜いているその手元をまじまじと見つめるのだった。

「それは──、そんなことは、大丈夫だと、思うよ。きっと」

 今は、杜乃さんもいないし、それに彼女は一応善処すると、つまりOKだということだったし、と僕は言い訳じみたことを頭の中で繰り返していた。


「やっぱり、荒れ果てた花壇はさみしいね。見ていて、暗い気持ちになってしまうよね。お花を植えたことのある人なら、きっとみんなそう感じると思う。陽野くんも花が好きなの?」

 南埜茉莉は、素手で、その白く長い見るからに繊細な指先で、雑草を掴み引っこ抜き始めた。僕は軍手を脱いで彼女に差し出したが、彼女は平気とばかりに首を横に振った。

「僕は──」

 花が、園芸が、好きというよりも、

「──まあ、なんというか、杜乃さんが一人で大変そうだったから、手伝いたいと思って、その──」

 一人で大変そうだったから? なんていい加減なことを言うんだ僕は、とやや自己嫌悪、

「その、つまり園芸は、まるで素人で、むしろ杜乃さんに教えてもらってるっていうのが実状かな。彼女と話しをするのが、楽しいから、それで──」

 そう、彼女と話したいから、僕はお手伝いを申し出たのだ。これが正直なところだ。楽しいのだ。


「そうなんだ。陽野くんは、人物写生も杜乃さんとペア組んでるものね。仲いいよね。とっても」

「そうかな? たまたま、席が前後だったし、杜乃さんはとても話しかけやすい雰囲気だったし、実際に話やすいし──」

「話しやすい?」

 南埜茉莉にそう返されて、ちょっと独りよがりすぎるかと、気になってしまった。クラスの現状を客観的に見れば、それはややおかしいのかも知れないけれど。

「うん。きっと僕にとっては、ということかもしれないけれど。とても自然に話せる、友達だよ」

 言ってから、「友達」という言葉に、僕の中で何かが敏感に反応した、そんな気がした。何故かは分からないけど。


「そういうの、私、羨ましいな」

 羨ましい?

「園芸も好きだけど、でも私、本当は杜乃さんと、沢山お話もしたいの」

「えっ」

「杜乃さんて、凛としてて、素敵だと思う」

 南埜茉莉は、その整った顔を少し上にあげて、宙を見つめながら言った。

 

 僕と、同じことを──、

 

「杜乃さんて、勉強もできて、運動もなんでもできて、器用で、凄いよね。一見無口だけど、陽野くんと話してるとこ見ると、楽しそうだし、なんていうか、優しそうな感じがするの」

「あっ、うん。杜乃さんは話しをすると、なんていうか、無口な印象とは違って、温かい感じがするよ」

 そう言ってから僕は、ほとんど話したことが無かった南埜茉莉に対しても、心に思った言葉をすっと自然と出せることに気が付いた。彼女も、とても話しやすいのは同じだと。

「やっぱりそうなんだ。杜乃さん、いつも教室の花瓶の水も取り換えてくれてるし、この花壇の手入れもそうだし、見えないところで、物事に対しても、そして人に対しても、優しさを感じるの」


 あ──、

 

 このコは、杜乃さんの事を、ずっと見ていたのだ。そして僕が気が付いていたように、その様子を気にしていたのだ。クラスの空気も含め、彼女に何かしらを感じていたのだ。或いは彼女の存在自体に、どこか惹かれていたのかもしれない。


 だから、杜乃さんに誰よりも先に話しかけ、そして素っ気ない返答だったとしても、その後も見守りつづけていたのだ。

 

 杜乃さんと対極の存在で、ともすればクラスのカーストのような雰囲気を生み出す力の源泉、などと捉えていた僕は節穴だったかも知れない。


「陽野くん、そんな杜乃さんに認められてるって感じがして、羨ましい。私も、杜乃さんと仲良くしたいの。駄目かしら?」


 そう言って、南埜茉莉はこちらに向き直って、そしてその整った目元、キラキラとした瞳で、僕を真っすぐに見据えるのだった。


「陽野くんも、応援してくれるかしら? 私、杜乃さんとお友達になりたいの。彼女とお話しもしたいし、一緒に園芸もしたいし、それに──」

 それに?

「出来れば、部活に所属していない杜乃さんに、私のいる剣道部に入部してい欲しいの」


 えっ!?


「──勧誘!?」

 彼女は僅かにハッとしたように目を見開いて、慌てて言った。

「いえ、ごめんなさい。最初から剣道部に勧誘したいって、そういうことじゃないの。ただ、お友達になれたら、一緒に大好きな剣道もしたいという、これは単なる私のわがまま。お友達になれたら、それだけで素敵なの」

「お友達──」

「あ! 陽野くんも入部してくれたら、杜乃さんやってくれたりして? なんてね、ちょっと冗談です」

「冗談?」

「いえ、ごめんなさい、私、なんだか部活勧誘の回し者みたいなこと言ってるかもしれないね」

 そう言って、南埜茉莉は明るく笑った。剣道部は今年度から発足したばかりで、部員数が少ないとの話は聞いたことがある。が、彼女が剣道部の部員だったとは。


「陽野くんもまだ部活やってないでしょ? でもね、なんていうか、私の勝手な想像だけど、陽野くんも杜乃さんが認めるだけあって、本当は、クラスでも少し違うオーラを発しているよ。それでね、そういうオーラって、武道の世界ではとても重要なの。きっといいもの持ってると、直感でそう思う。どこか、一匹狼的なオーラね」


 お、オーラ!?


「一匹狼? まさか」


 ほんの少し顔を赤くしているのか、南埜茉莉は慌てて説明した。まさか僕に剣道の才能が? オーラというのは、そもそも僕が中村や杜乃さん以外とはそれほど話さないから、地味なぼっちオーラが出ているのでは? とも思った。物は言いようで、一匹狼も言い換えればぼっちだから、と返すのはここはやめておこう。でも、彼女が杜乃さんとお友達になりたいというのは、本気でそうなんだと十二分に感じられた。それは、僕も同じ思いで、彼女を追いかけて、そして声をかけたのだから。


 そして、南埜茉莉も本当はの人なんだ。と僕は実感した。


 それはそれとして──、


 こうやって二人っきりで話している状況を、この後どのように中村に言うべきか? という無駄な思考も頭をかすめた。言わないでおくか? いやそんなことをしたら、逆にマズイ。とはいえ、この起こりえないと思われた状況、クラスのマドンナ的存在、いや学園のアイドルとされる、いや世間でも有名な人気ファッションモデルでもある南埜茉莉と、こうして二人っきりで話しているのだ、雑草をむしりながら。


 よくよく考えたら、今までの僕にしてみれば、想定範囲外の不思議な状況に陥っている。


 杜乃さん、君は今頃どうしているのか、体調不良ということだけど、本当に体調不良なのか、家のこと、家族のこと、弟さんのことで忙しいのだろうか?


 僕は再び昨夜の夢の事も含め、色々と気になってきたのだった。


 そう、あれは絶対に杜乃さんだったんだと。



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