夢の中の魔法少女 5

 

 まるで闇夜に浮かぶ満月であった。或いは、地の底に迷い込んだ天使か。漆黒と言える暗い校舎内を、光り輝く天女の衣を羽織ったが如きフォレストが、ひたと駆ける。光に吸い寄せられる夏虫のように、禍々しい影が彼女に迫る。が刹那、さらりと躱し、彗星のように尾を引く。


 ある種関心しているのだろうか、ネコはその姿をジッと見つめ、ひたひたと追走した。


「もう近いはずよ、どうなの?」

 地を這うように迫り来る影をひらりと飛んで躱し、フォレストは言った。

「そうでんなぁ、突き当りの階段を上や。ほんで上に出たら、別棟への渡り廊下の方へ行って、隣の棟やな」

 フォレストの動きに連動しているかのように、ぴょんとネコも飛ぶ。

「しっかしぃ、なんやおかしいわ。少年の動きが止まっとる。さっきから」

「まさか、もう悪夢の本体が実体化したの?」

「いや、特異な波長は感じられへんし、追い詰められた訳ではなさそうや。この闇で動けんのか? なんやしかし、けったいやなぁ、よう分からんけど、少年の心の乱れが和らいどる。なんでやろ?」

「もう彼、目覚めそうなの?」

「それが、そうでもなさそうや」

 少女と一匹は渡り廊下を駆け抜け、隣の別館に入った。


 悪夢の中とはいえ、中学校の校舎は実際のそれとほぼ変わりなく再現されていた。往々にして悪夢はそれこそ悪夢ゆえ、現実にはあり得ない異空間であったり、現実の世界を再現していたとしても、出鱈目に改変されていることが多い。各々の心の底にある心象風景、そういったものが夢魔によって歪められるのだ。そしてそれらの状況は、悪夢を見る主の性分による。この場合のそれは、少年の生真面目さと、学校に対するなんらかの感情が影響していると思われる。


 建物は本校舎を中心に、左右直角に別館が二つあり、全体としてコの字型の構造物となっている。その別館の廊下の一番奥、ちょうど美術室の前で、少年は廊下の窓を開け外を眺めていた。


 反対側の廊下の突き当りに出たフォレストは、すぐさま少年のいる方へ駆け出そうとして、がしかし、何かしらを察し踏み出した足を止めた。


「ネコ、まさか彼、正気を取り戻しているのでは? 気配が静かすぎるわ。周りに影はいないの?」

 足元のネコに一瞥を入れる。

「うーむ、この廊下には一匹もおらんな。特異な波長も全く無い。妙な感じやで。てかこの状況、どうやら彼、こっちに気づいとるな。このまま進んだら──」

「私たちが、認識されるかも?」

「せやな。流石にこの闇の中で煌煌と輝くフォレストの姿、視認せんことはないやろな」


 悪夢討伐中、悪夢を見る当人に夢使い(魔法少女)が認識されることは別段問題ではない。寧ろよくあることでもある。夢魔との戦い自体を悪夢として恐れ慄き、逃げ出すのが常だ。だが今回のケースはこれまでとは違った。少年は、現実世界での彼女を知っている。悪夢の中とは言え、その風貌が現実離れしているとは言え、気が付かないとは言い切れない。仮に姿を変えても意味はない。夢の中での出会いとは、魂の出会いであり、本質的に外見は関係がない。魂が相手を知っていれば、お互いの魂は触れ合い、相手を認識する。


「あの少年、同じ中学校の生徒で、ほんでしかも同級生なんやったな。ゆうたらこれ、そもそもが微妙に厄介な案件やで」

「で、ここまで来てどうするの? 彼を襲う夢魔が実体化するまで、ここで待つの? 奴等の気配は微塵も感じないけど。というよりも、この衣装をなんとかしたら? 暗闇の中、私一人で光り続けて、電飾の付いたクリスマスツリーにでもなった気分よ。馬鹿みたい」

「ぶっ、おもろいこと言うなぁ、自分。てか! なにゆーとんねん。光が無いといざという時、闇に紛れる奴等が見えんやろが。てゆーかや、こらあかんわ。そうのんびりしとられんで、フォレスト。少年が、こっちに近づいてきよった」

「!」

 思わず少年の方に目を向けるフォレスト。だが闇の先は見えない。

「ネコ!」

「闇の中に放り込まれたら、光を求めんのは人の性ってかぁ。しっかし想定外が続きよるなぁ。悪夢の中やったらどうなってもまず恐怖に支配されるやろうに、えらい度胸ありよんなぁ、少年」

「そんな感心してる場合?」

 フォレストの問いには答えず、ネコは続けた。

「この少年の魂の冷静さに、悪夢も攻めあぐねとるんか? なんやよう分からんけど、こいつは特殊な状況やでぇ、フォレスト、やっぱりこりゃかなりのレアケースかも知れん」

「ネコ、どうするの? もし私が認識されたら──」

 怪訝なフォレストを他所に、ネコはどこか楽しそうに口角を上げて言った。

「いやいや、こうなったら、物は試しや。こりゃいっちょかましたったらええんちゃうか。フォレスト、少年に向かって全速疾走や! 寧ろ少年の恐怖を煽って、心を動揺させて、ここへ夢魔を呼び込むってのはどうや?」

「はっ? なに言って──」

「ええねん、ええねん、黒い影の次に光る何かが迫ってきたら、怖いやろ? 普通。少年の心が乱れたら影どもも集まってくるわ。ここでひと暴れしたら、一気に悪夢の深度も深まるやろ?」

「そんな行き当たりばったりな──」

 フォレストは身を屈め、足元のネコをその独特の三白眼で睨みつけた。

「ヤバくなったら少年ぶっ叩いて、無理やり目覚めさせたらええねん。一発殴るぐらいで、死ぬことは無い無い、一瞬やったら気づかれんやろ。たぶん」

 が、ネコはまったく意に介さない。

「まったく──」

 不本意なのか軽い溜め息をつき、のそりと少年の方へ走り出したフォレスト。それにネコも続く。


「おっ! 少年が戸惑うように立ち止まりよったでぇ。やっぱこわがっとるな、てかあんまし近づくと少女が純白ドレス姿で駆け寄ってきてるぅー! ってなって、悪夢がほんまもんの夢になってしもたりしてぇー」

「ちょっと、ネコ! ふざけてるのっ!」

 ポーカーフェイスのフォレストも、流石にこれには眉をひそめて怒鳴った。

「うそやて、姿がはっきり認識できんように思いっきり眩しくしたったらええねん。衣装の霊力上げるでぇ」

 と言って、ネコが猫のように鳴き上げると、フォレストの衣装から放たれる光が、一段と強く輝いた。

「悪夢を退治するはずの私たちが、当人の恐怖を煽るってどうなの?」

「ケースバイケースや。今回、あまりにも時間がかかりすぎとる。少年の悪夢に対する抗力が強すぎるってのもあるけど、本体が出現せな埒あかんし」

 

 ネコの思惑通りか、少年は謎の光が自分に向かってきていると見て、思わず後ろに引き返すのだった。


「少年、ええ感じに動揺しとるでぇ。恐れの波長や。これで彼の恐怖心に影どもが吸い寄せられてきたら、纏めて始末する。ほんで一気に悪夢の深度を深めるでぇ」

 フォレストの足元で得意げにぴょんと跳ねるネコ。だが可愛くはない。


 少年は行き着く先が行き止まりであるのを知っている。しかし構わず走り切り、そして先程まで外を眺めていた窓の前まで来た。開け放たれた窓の外は、おぼろげな光に満たされ、荒涼とした大地が地平線の彼方まで広がっている。さながら地の果て、世界の終わりの光景といった感じか。

 窓枠に手をかけ、その景色をじっと見つめる少年。おぼろげとは言え、外にはまだ光が満ちている。ネコの言う通り、光を求めるのは人の性というのか。

 

 おもむろに少年は窓から大きく身を乗り出して、さらには右足を窓枠の縁にかけた──、


「あああああー、なにぃー、マジかっ!?」

 フォレストの後ろをひたひたと走りながら、ネコは叫んだ。

「なに?!」

「少年! 飛び降りよったぁ! 窓から外に飛び降りよった!」

「ここは四階のはずよ、まさか──」

「ホンマやて、てかホンマかえぇ、外見てみぃフォレスト」

 フォレストはその場で立ち止まり、廊下の窓を素早く開け、身を乗り出して前方を見た。すると、おぼろげな光の空間を、妙にゆっくりと落下する少年の姿が見えた。その光景は、フォレストにとっても悪夢に思えた。

「あっ! 落ちる──」

 とフォレストがつぶやいたその刹那、彼女らのいる校舎が、いやその近辺の空間全体と言うべきか、ある任意の一点を中心に転換し始めたのだった。空間が歪む。外の荒涼とした大地に対して建物が突然横倒しになるかのように、ぐるんと大きく回転する。落下する少年を内包するように、悪夢の世界が反転する。

「なっ──」

「な、なんやこれっ! 夢魔の攻撃か? いや、少年の無意識がそうさせとるのか?」

 ネコがフォレストの肩にぴょんと飛び乗り、周りを見渡す。フォレストは校舎が回転する反動で振り落とされないようにと、窓枠をしっかりと握ってその場で踏ん張るのだった。

「くっ、どうなっとるんや──?」


 校舎は横転し、横倒しになると思いきや、なんと地面を突き抜け、世界が裏返しとなった。大地の下にも、鏡の向こう側のように同じ世界が広がっている。今度は地面から建物が立ち上がるかのように映る。落下していた少年を中心に、校舎を取り巻く空間は捻じれ、そして少年が落下する軌跡のその先に、本校舎の屋上が見えた。少年はそのまま、本校舎の屋上に着地したのだった。


「なんやてぇ? 飛び降りた少年が、そのまま校舎本館の屋上に着地しよった。十点満点の着地決めよったでぇ。ほんまけぇ、空間が歪んどるわ。少年を屋上に着地させるために空間が反転したんか!?」

「夢魔の仕業なの!?」

 踏ん張りながら、フォレストは声を上げた。

「よう分からん! 悪夢からは逃げられんってことか? いやまてよ、こいつはぁ、少年、まさか悪夢の中で、これが全部単なる夢やと覚醒したんか? せやないと四階から飛び降りたり、綺麗に着地とかできんやろ?」

「そんなこと、可能なの!?」

「あっ、あかん! 少年を起点に空間の歪みがもどりよるでぇ、強烈な反動がくる! フォレスト、振り落とされんようにしっかり踏ん張れやぁっ!」

 とのネコの叫びの直後、捩じりバネが一気に解放されるように、校舎全体がぐるりと逆回転し、強烈なG(加速度)がフォレストの身体にかかる。

「くっ──」

「大丈夫? フォレストはん?」

 

 ネコも心なしかその面は硬くなっていた。悪夢は往々にして奇妙なものだが、今回はかなり特殊でもあった。そもそも、悪夢を見ている少年自身が恐怖に対して能動的に動き、それにつられて悪夢も動くのだから、想定外も甚だしい。


「私は平気。それより彼は?」

 フォレストは顔を上げて言った。冷静さは失っていない。

「なんや校舎本館の屋上で、ボーとしとるわ。まったく平然と。どないなってるんや彼? とにかく屋上に向かうでぇ」

「そうね」

 

 そうしてフォレストとネコは本館に戻り、屋上に向かうのだった。結果として、すべて後手後手に回ってしまっている現状を案じているのか、もうネコの戯言も鳴りをひそめていた。

 


 階段を上りきり、屋上の塔屋の重厚な扉の前で、ネコは言った。

「今回はちと厄介や。少年がこれは夢やと理解して開き直っとるんやったら、こいつは驚きやけど、冗談ぬきで厄介やでぇ。自分の見る夢の中で、それが夢やと認識できると、おそらく自身は無敵やと勘違いしよる。夢の中ではなんでも出来るし、夢そのものを生み出し見とるのも自分やから、どうとでも変えられると」

「じゃあさっきのも、彼がやったの?」

 フォレストは珍しくしゃがみ込んで、ネコをまじまじと見て訊いた。

「いや分からん。さっきのは悪夢が少年を校舎から逃がさんようにと仕掛けたのかもしれんけど、少年の自己防衛本能が作用した可能性もある。どっちにしろ夢と心は連動しとるし、少年が悪夢の中で覚醒しとるとしたら、夢魔が少年をなかなか襲わんのも頷ける」

「もし夢だと認識しているのなら、逆にもっと危険では? 悪夢はより強力でリアルな方法で彼を襲って、本当に殺してしまうかも」

「せやな、夢の中の体験でも、強烈なインパクト受ければ、ホンマに命を落とすしな。一心同体ってやつやな」

 ネコはピーンと猫のように伸びをした。

「ここは一旦、強引にでも少年を悪夢から目覚めさせることにするか、今回は分が悪いわ」

「わかった」

 素直にそう言って、フォレストは立ち上がり、ドアノブに手を伸ばしたその刹那──、


 ドアの向こう側でボンと鈍い音がしたかと思うと、突然、その鉄製の扉はおろかコンクリートの壁もフォレスト達のいる塔屋もろとも、彼女らに向かって吹っ飛んだ。

「くっ──!」

 強烈な爆風が彼女と一匹を襲うが、瞬時に巨大な戦斧を盾にして防いでいた。膝をつき身を屈める彼女のお腹の辺りに、ネコはうずくまっている。

「今度はなんやねんっ! ったく、どえらいお出迎えやなぁっ、バトルアックスの霊力下げてたら、やられとったでぇ」

 ガラガラとコンクリートが砕け散り、塔屋は消し飛んでいた。砂埃を払いフォレストは立ち上がる。前方をキッと鋭く見つめるその先に、不気味に小柄な黒い影が佇んでいた。その影の形からして、女性? フォレストと同じ年頃の少女のような人影、形をしていた。


「ネコ、魔力の探知はどうなったの? アレ、それなりの奴だと思うんだけど」

「くそったれ、なんやこいつ、妙な技で己の魔力の波動を消しとる。ステルスってか。近頃はワシ等の対策をあちらさん側でも検討されはじめとんのか? しかし相当な深度や」 

「本体でしょ?」

「おそらく、いやしかし──」


 小柄で少女のような形の影は、ゆらゆらとふらつきながら、ゆっくりとフォレスト達に向かって歩いてきた。

「ふふ、きたきたぁ、陰キャ魔女。きもちわるぅ」

 突然、影が人語を発した。フォレストと同じ、中学生の少女ような声色で。

「なっ!? こいつ、喋りよったでぇ」

「……」

「一体なんや、なんやこれ?」

「夢魔が話したところで、どうでもいいわ。倒すだけよ」

 その手はすでに戦斧、バトルアックスの柄にかけられていた。

「ちゃうちゃう、この夢魔は、フォレスト、お前はんに語り掛けとる。少年の悪夢が、お前はんにや。あり得へん。そんなことは普通はないやろ。なんでや?」

「……」

「少年の深層心理か? いや違う、この影の念は、明らかにこっちに向いとる」

 ネコのしっぽがボッと膨らむ。

「ネコ、彼は?」

「少年は、この妙な影の後方だいたい20メートル程の所でへたり込んどるな。心はまだ正気を保っとる。こっちを注意深く観察しとるわ、おそらく」

「一応、無事なのね」

「いやしかし──、ここは一旦引こか」

 ネコはフォレストの足元にすり寄り、彼女を見上げた。

「ちょっと待って、本体が実体化してるのに、ここで引いたら、彼が──」

「せやけど、こいつは今までとは絶対に何かが違う。明らかにや。フォレスト、夢魔はお前はんを認知し対象とし、そんで狙っとる。これは問題やでぇ。こんなことは今まで一度も無い。ここは一旦引いて対策を立て直しや。なんやマズイ雰囲気やでぇ」

「でも、そうも言ってられないわ」

 そう言った直後、フォレストはその場から高く跳躍した。

「無力なぼっちぃ、ほら爆発ぅー」

 と影の少女が声を発すると、ネコのいる辺りの床面が吹っ飛んだ。が、ネコも後方に回避していた。空中に舞うフォレストはくるくると戦斧を回し、縦一線に振り下ろす。強烈な閃光が影の少女を貫くが、影の少女は、なんともなかった。文字通り少女の単なる影のように、何の変化も無い。


「無理無理ぃー、あんたは無力ぅー、あんたに何にもできないぃー」

 明るく元気な女の子。そんな声色で影の少女は声を発し、ゆらゆらとして、フォレストを見上げた。

「はい、落ちるぅー、這いつくばるぅー」

 と再びそう声を発すると、フォレストは突然なんらかの力によって無理やりに地面に引っ張られ、叩きつけられ──、

「ちっ──」

 が、上手く身を翻し床面に着地すると、そのまま一気に影の少女に向かって突進した。横一線、バトルアックスが切り裂く。


 が、影の少女は、やはり単なる影の如く、なんともなかった。


「フォレスト、引けっ! 物理攻撃が無効化されとるっ、こいつはさっきまでの影とは違う。おそらく夢魔の実体の影や、つまりは幻、ダミーや! 引いて出直しやぁ!」

「ここで引いたら彼が──」

「お前はんがやられたら元も子もないやろ。不利な戦いは避けるべきや」

 幾星霜、悪夢と対峙してきたネコが撤退を即すのは珍しい。だが──、


「霊力を上げる、ネコ手伝って!」

 そう言ってフォレストは戦斧を背に戻し、両手を広げた。

「ちょっとまてぃ! フォレスト、この戦いは分が悪い! 分かるか? 本来悪夢はそれを見る当人を取り込むために、夢に入り悪夢を見せる。それを退治するワシ等は部外者や、異物として排除する力が働くが、それ以上でもない。でもな、今回のアレは、明らかにお前はんを認識しとる、それも、現実世界でのお前はんをや! それが何を意味するか──」

「だからなに? 倒すことに変わりはないわ」


 そう言って、フォレストはキッとその三白眼の鋭い視線を、影の少女から外さなかった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る