クラスメイトの彼女 2

 

 彼女はいつも一人だった。


 かく言う僕も、決して友達が多いわけではない。寧ろ少ない。友達の定義なんて、ほんとは知らないけれども、もし仮に厳格とするならば、おそらくたった一人と言っていい。なぜならその実は、小学生の頃からの唯一の親友と、奇跡的にも同じクラスになれたので孤立することはなかった、ただそれだけなのだ。だけど彼女は、明らかに孤立していた。


「杜乃さんてさぁ、誰とも話さないよな」

 切り出したのは、中村の方からだった。

「そうかな? うちのクラス、女子が一人多いし、だから一人だけ列にはみ出した席に座ってるから、そう感じるだけじゃ──」


 僕の通う中学は、県内でも上から数えて数番目には名が挙がる進学校だった。当の学校も、その事を自慢としており、有名進学校であることを全面に押し出したPRが、過剰と言えるほど強かった。いわゆる文武両道な校風を、これ見よがしにうたい、是としている。ただ、全国に名を馳せるほどの知名度かと言われればそうでもなく、言わば中途半端であり、だからなのか、教師も生徒も必要以上に競争意識が高い、そんな風に感じられた。とにもかくにも勉強勉強で、課外活動などはそこそこに、友情や青春といったものは全国模試の結果に結びつかず無価値、邪魔なだけの無駄なお遊び、夢物語。実際、学内はこんな風に殺伐としていた、これが実情だと思う。


「いやいや、てか、だから逆に不自然さが一見分からなかっただけ。ぜってぇー、誰とも会話したことないね。一度も! てゆーか、海斗、お前鈍感か?」

「そんなことないよ」


 入学式から二カ月程が過ぎ、いや、それよりもっと以前から、実のところ僕はとっくに気が付いていた。彼女が、誰とも話さないことを。いや違う、誰も彼女に話しかけないことを。いつの頃からか、明らかに孤立し、クラスの他の女子達に遠巻きに見られていた。それどころか、心無い言葉で陰口まで叩かれていた。


 クラスというのは不思議なもので、優勢な女子達がそうすると、何故か男子達も黙認、またはそれに追従してしまう。


 でも、どうして彼女が孤立しなければならないのか、僕には今一つ理解できなかった。いや寧ろ、理解したくはない。


 勉強はかなりできる方だと思う。テストの成績も、何度となく学年上位十位以内に入っていた。それに体育の授業を見るに、スポーツもなんでも器用にこなし、ほぼ万能。つまり、一目置かれるような存在のはずなのだ。しかし、まるで腫れ物のように、クラスメイトが彼女に話しかけることは無い。ただ、彼女の方からも他の生徒に話しかけることは一切無く、授業中以外は、いつもどこにいるのか分からない。部活にも所属していないと思う。


 彼女、杜乃いずみ、僕がなぜ彼女の孤立に気が付いたかというと、彼女の席が僕の席の真後ろだったからだ。うちのクラスは男子十八人、女子十九人の三十七人。彼女が窓際の一番後ろの席だった。


 彼女がなぜ、クラスの誰とも接点を持たないのか?


 僕だってそれなりに、周りのクラスメイトに会話してるところはあるけれど、小学校の頃からの親友、中村がいなかったら、どうなっていたか分からない。彼と接するのと同じように本音で話せている生徒など、実際はいない。まだ中学に慣れていないだけなのか? そう思う時もある。だけど、教師達にも生徒にも、延いては学校全体に感じる、往々にして表層的な関わりで流すような空気に、僕は馴染めないでいた。ある種の違和感というのだろうか。ひょっとして杜乃さんも、僕と同じで、何かを感じているのだろうか? 或いはひょっとして彼女自身も、友達付き合いや青春といったものは、勉強や進学のためには不要なもの、そう考えているだけなのだろうか?


 ただ、僕は一度だけ、杜乃さんと会話したことがあった。


 入学早々にあった実力テストの、その結果が正面玄関のホールに張り出された日だった。一時限目終了のチャイムが鳴り、それとなく僕は後ろを向いて彼女に訊いた。「いきなりのテストだったけど、杜乃さん、学年三位って凄いね」と。すると彼女は、少し黙って、その印象的な瞳を僕に向け、それから「勉強なんて、ほんとうはどうでもいいの。きっとまぐれだと思う」と、そう素っ気なく答えて、そそくさと教室を出て行った。


 授業が終われば教室をすぐに出て行く。彼女はいつもそうだった。


 とても素っ気ない返事だったけど、その口元は少し綻んでいた。彼女が笑ったのを見たのは、それが最初で最後で、その後、彼女に話しかけたことは無い。話しかける機会が無かったと言うべきか。


 彼女の方からクラスメイトを避けているのでは? そう言われれば、否定出来ないかも知れない。だけど僕は、どうしても腑に落ちない。


 中村の言っていることが事実そうであるし、同意もするけど、でも一応僕は、一度だけ会話をしたことがある身なので、そんな風に返したのだった。


「授業中はあれだとしてもよぉ、休憩時間も誰とも接してないよな、マジで。てか、授業終わると、一人ですぐ教室出てって次の時間まで戻ってこないし、昼休みも、教室にも食堂にもいないぜ。いっつも。どこで何食ってんだか。俺マジで、誰かと話したり、笑ってるとこも、一度も見たことないな」

 

 実際、食堂でも彼女を見かけたことは無い。中村がいつも焼きそばパンを買いに行くので、僕等は食堂で昼食をとっていることが多いけど、彼女が教室でお弁当を食べている姿なども、見かけたことは無い。


「確かにクラスメイトと接してるとこは見かけたこと無いけど、もしかしたら、別のクラスに親しい友人がいるとか、では?」

 

 正直、もし中村と別のクラスになっていたなら、僕も休み時間にたびたび彼に声をかけに行っていたかも知れない。


「うーむ、その可能性は、無きにしも非ずだな、でも極端じゃね?」

「うん、まあ」

「だろ? あ、でもよ、プリント後ろに配るときとか、海斗、お前と接してるよな。いやマジで、唯一それだけだ、接点って」

 そう言って、中村は笑った。確かにこの二カ月、本当にそうかもしれない。そして、僕がプリントを渡すときも、大抵は俯き加減であまり目は合わせない。


「人見知り、な方なのかな。学校が始まってまだ二カ月だし、まだ慣れないとか──」

「いやいやいや、二カ月ってか、もう三カ月目に入ってるぜ。流石に三カ月で慣れなけりゃ、一生慣れねぇよ。つーか、マジで浮いちゃってるよ。あんまいいことじゃねーけどよぉ、女子達の間じゃ、陰キャとかぼっちとか、烙印推されちゃってるよ」

 

 そのことは知っていた。そして、そんなことをコソコソ言っている女子達のことも。クラスでは中心的なグループだけど、僕は良く思っていない。彼女達の存在、まるで見えない放射線のように、見えない圧、気持ちをじわじわと陰鬱な方へ圧迫するような、嫌なものを感じる。違和感を生む、その根源のように。


「クラスの女子達って、全員というわけではないけど、ほらあの目立つコ達、南埜さんの取り巻きの連中とか、なんというか、ちょっと、僕は好きじゃないな」

「あー、アレねぇ。まあね。アイツ等ね。分かるわ、それ、激しく同意。そういうとこ海斗は正直だなぁ。まあ実際よぉ、南埜さんは感じ悪くないけどよぉ、カリスマモデルとか? 言われてるし、ティーンズファッション誌だっけ? すげーなマジで。有名人だし、てか芸能人だよ。リアル高嶺の花だわ、マジで」

 

 南埜茉莉、クラスの中心的女子で、中学生ながらファッション誌でモデルとして活躍していることもあり、クラスどころか、学校中で注目を集めている。ある種、杜乃さんとは対局に位置していると言っていい。


「うん。美人ではあるよね」

「なんだよ海斗それ、美人ではって、微妙に上からじゃね?」

「そうじゃないよ」

「ったく、ちょー可愛いじゃん。スタイルも抜群だしよぉ、男子みんな好きだぜ、ぜってぇー。てか学校中が見てるし、現役中学生カリスマモデルだぜ? マジで次元が違うわな、てか、よくこの中学に入ってくれたよなぁ、俺ら実は超ーラッキーなんじゃね?」

「好きなんだ、中村は」

「あれはしかたねーし。降参だよ。ま、ちょっとだけ、気軽に話しかけづらいとこあんのがマイナスポイントだけどなぁ。敷居が高すぎってか、なんかオーラが? てゆーかさぁ、その南埜さんにあやかってさぁ、取り巻くアイツ等がチョイうぜーんだよなぁ、マジで」

「………」

「アイツ等、自分達が天下取ったみたいによ、てかアイツ等に意味はねぇんだよ、そもそも。なのにクラスの発言権強すぎねぇ? そんでよぉ、杜乃さんのこと陰でめちゃくちゃ言ってるし、陰キャとか、コミュ障とか、便所飯とか、ああいう奴等って、すぐランク付けしたがるんだよなぁ、自分はこれより上だの、これより下じゃないぃ、とか、馬鹿じゃね?」

「あるあるだ」

 彼女が好奇の目で見られ、半ば馬鹿にしたようなあだ名で呼ばれているのは知っている。でも僕は、それをあえて言いたくはなかった。


「てか、便所飯って現実にあんのか? 俺実際これ、漫画の世界の話だけって思ってたけどよぉ」

「まさか、杜乃さんがそんな──」

「ウソウソ、冗談だよ。あ、そうそう、あいつ等よ、魔女、とかとも呼んでやがるよ。杜乃さんのこと」

「魔女?」

 

 魔女。その言葉に、──僕は何かしら引っかかるものがあった。


「まあ、こういっちゃアレだけど、杜乃さんてぇ、いつも俯き加減であの髪型だしなぁ、メカクレだし。前髪で顔良く見えねぇし」

「確かに、そうだね」

「でもさ、海斗、お前が一番近くで見てんだからさぁ、実際どうなのよ?」

「え?」

「いやさぁ、杜乃さんもよく見ると、実は結構可愛くねぇかなって? 前髪上げて、髪型変えればさぁ、実は素顔は美人なんじゃね? ちょっとミステリアスっていうかさぁ」

「中村、よく見てるな──」

「いやいや、授業中に海斗の方見るとよぉ、必ず杜乃さんも目にはいんじゃん。てか、俺はぁ、南埜茉莉派だけどよ。てかね、あの取り巻き連中よりかは、まあ、杜乃さんの方がぜってぇー上だと思うな、マジで」

「そんなこと言って、中村こそランク分けしてるだろ?」

「あっ! ヤベっ、こりゃ失敬失敬」

「なんだか」


 調子のいい中村だけど、確かに、杜乃さんがミステリアスなのは、僕も同意する。


 ミステリアス──、そう聞けば、よくよく考えてもみれば、僕はそれこそずっと以前から、杜乃さんのことを何かしら意識していたのかもしれない。中村にあれこれ言えた義理ではないな。


 彼は話しも上手で元来社交的なのもあって、クラスの男子はおろか、女子ともそれなりに幅広く仲良くしている。僕なんか比べ物にならないくらい、付き合いが多い。そういう意味では、僕は中村に多く助けられている。中村の親友、このことがクラスという場において、様々な意味を持つ。そして中村は、僕の抱える違和感のようなものを、さほど感じていないようにも思う。それとも気にしていないだけか、そのコミュニケーション能力で、跳ね返せるのか。


 違和感──。やはり僕は、そうなのかもしれない。中村の言うように、三カ月目でこうならば、一生かかっても無理かも知れない。でも、それならそれで仕方がない。陰キャでぼっちの烙印も、僕に押されていたのかも知れない。でも、そんなのはどうだっていい。そんな連中は、こちらこそ願い下げなのだ。

 

 ──ただ、こう言ってしまえるのも、中村のおかげかも知れないけれど。


 でもいつの頃からだろうか、こんな学校での思いが関係してか、気づけば僕は、毎晩よく眠れなくなっていた。 


 同じ夢を見る。得体の知れない何かに追われ、追い回され、飲み込まれそうになる。そんな夢だった。こういうのを悪夢というのだろうか? 何が怖いのかも分からず、とにかく夢の中の僕は、恐怖に威圧され、逃げ惑うのだ。そして、それはいつも学校だった。校舎内を逃げまわり、どうやっても抜け出せない。出口の見つからない迷路。この悪夢がどこから来るのか、僕には分からなかった。


 

 そんなある時、思いがけないことが起こった。


「えー、今日から、美術の授業では人物画を描きます。人物写生だ」

 美術担当教師が、突然言った。

 教室内は「おおーっ」と声が上がり、特に男子を中心にざわめいた。きっと多くの男子は、誰か一人モデルを立てて、全員で写生するのかと考えているのかも知れない。ひょっとすると、南埜さん辺りをモデルにして、などなどだ。しかし、これは学校の授業だし、クラスの誰か一人だけモデル役で描かない訳はない。で、外部からわざわざモデル役を用意する訳もない。そして僕は、別の意味で心がざわめいていた。


「えー、じゃあ、まず適当に誰とでもいいんでペアを作って、お互いをモデルとして写生する。全身を描く必要はないが、一応自由とする。基本的には、バストアップでいいだろう。じゃ、適当にペアになって」

 そう言われ、教室内は再びざわざわとする。


 適当にペアになる。いつもなら、まったく気にしないことだと思う。だけど、よりによってその日は、中村が風邪で休みだったのだ。僕の心のざわめきが、動揺に変わる。


「えー、確かこのクラスは37人だったな。あぶれた生徒は、先生とペアを組んで描くことになるぞぉ。さあ、さっさとペアになって、ペア同士向かい合って椅子に座って。早くしないと、描く時間が短くなるぞぉー。別に先生と組みたい人は、立候補してくれてもいいんだぞぉー」

 40代メガネで小太りの市役所職員のような教師は、わざと女子達のグループに向かって声をかけていた。「やだよねぇー」「無理無理」など、キャッキャと言われている。が、無理なのは僕の方だった。中村がいない今、一体誰と組むというのだ? 寧ろ、僕がこのメガネの市役所職員と組むべきか? と考えて、それが無いことにもすぐに気が付いた。そう、今日中村は休みなのだ。つまり36人となり、丁度半分に割り切れてしまう。


「先生、今日は中村君が休みなので、生徒数は36人です」

 学級委員長がそう言った。

「そうか。中村君が休みなら、今日以降は先生と中村君がペア組むことになるなぁ。ちなみに、今日から描き始めて、授業三コマ目で完成させるように。いいかぁー」

「えー、時間足りないぃー」

「色は塗るんですかぁ?」

 すでにペアの決まった生徒達が、口々に言う。


 それからほどなくして、美術室内を椅子を持ってガチャガチャと動き回っていた生徒達はあらかた落ち着き、二人づつで雑然と座りだした。しかし僕は、どうすることも無く、椅子を持ったまま同じ位置で立ち尽くしていた。かといって、僕に声を掛ける生徒はいるはずも無く、中村がいなければ、明らかに孤立している自分を、再認識するだけだった。


 しかし、そのことと同時に、同じく再認識した存在もあった。

 

 杜乃いずみ。


 きっと、組むことになる。


 自然に、そう頭に浮かんだ。


 そしてそう思うと、途端に僕は緊張し、体が熱くなり、ドッと汗が噴き出してきたのだった。


 きっと、そうなる。

 

 それからさらに、心臓に穴が空いたかと思うほどドキッとさせたことには、僕が杜乃さんを目で探すよりも早く、彼女が僕のもとにやってきて、おもむろに目の前に椅子を置いて、スッと座ったのだった。無言で、さも当然のように。


 ショートボブの髪の、耳元を少しかき上げ、前髪で右目はほぼ隠れているけれど、左目で上目遣いに、ジッとその印象的な瞳で見つめられた時、僕も慌ててその前に椅子を置いて座った。


 真正面に向かい合って、杜乃さんを見つめる。この時ばかりは、彼女は俯かず、僕を見返した。


 杜乃いずみさんと、ペアを組む。


「よ、よろしく、杜乃さん」

 

 こう僕が言うと、彼女は軽く会釈して、澄ました顔をしていた。何を考えているのか、さっぱり分からないけれど、それでも悪いことではないように感じた。そして、これはきっと、彼女のことを知る機会なんだと、ふと心に感じた。神が与えたのか、中村が与えてくれたのか、それともいつかこうなる、必然だったのか。


「よろしく、陽野君」

 小さく発した彼女の言葉が、透き通るように僕の頭の中に響き、まるで除夜の鐘のように、いつまでもいつまでも鳴り続けているような気さえした。


 




 

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