八話


 青い竜が水を吐いた。俺は水しぶきを避けて腹の柔らかそうなところを目掛けて刀を振るった。しかし硬い鱗で覆われた尻尾に防がれる。

「ちっ……」

 黒狐が俺と交代するかのように剣を突きだしたが、竜は翼で剣を払った。さっきからずっとこの調子である。

「切り物は役に立たねぇってか?」

 黒狐が憤慨して剣を投げ、ロスを喚んだ。ロスは竜の足元を走り回って翻弄する。

 俺は混乱する竜の隙を突いて再び腹を狙った。魚を切るときみたいな抵抗感とともに刃が入った。竜は短い悲鳴をあげて尻尾を乱暴に振った。黒狐が懐から銃を取り出し、竜の顔に向けた。

 銃声と共に竜の目が潰れた。竜はめちゃくちゃな方向に水を吐いた。

「どわっ」

 避けきれなかった俺は、大量の水の勢いに押し流されるように転んだ。

 口に入った水を吐き出しながら頭を振った。全身がびしょ濡れだ。

 俺は竜に再び向き直った。黒狐が銃と剣を器用に使いながら竜を攻めている。と、竜が黒狐の剣を奪い取り、踏みつけてぼきっと折った。

 俺はすぐに一本の刀を口に咥え、もう一本を両手で持って竜に突進した。竜がこちらを振り向くと同時に、刀がぐさりと竜の首に突き刺さった。そのまま流れるように横に引くと、刀は竜の首をスパッと切った。

 青い竜は喉の血をごぼごぼ言わせて倒れた。

「よっしゃ……ナイスだ、イツキ」

 黒狐が苦しそうに息をしながら言った。俺は黒狐の腕が血まみれになっているのに気がついた。

「腕……」

 俺が呟いた瞬間、黒狐が「ああ?」と喧嘩腰に言いながら睨んできた。

「こんなもんすぐ治るわ。俺を舐めんじゃねえ。他んとこ助けに行くぞ」

 黒狐は剣を抜いた。俺は一瞬自分の目を疑った。こいつ、いくつ武器を持ってるんだ。

 俺はさっと戦場を見回して、隊長を探した。若干苦戦しているようだが、助けは必要無さそうだったので別のところに向かうことにした。

 涼子と烏が白い竜を相手にしている。白い竜はダメージを受けたそばから回復していく厄介な能力を持っていた。いくら切り刻もうが燃やそうが一向に倒れてくれない。

 黒い竜と闘っているのは白鷺ひとりだ。俺がそっちへ向かおうとすると、黒狐に止められた。

「あの黒いのはお前じゃ無理だ。白い方に加勢しろ」

「え、なんで……?」

「黒い竜をよく見ろ。黒い靄みたいなのを纏ってるだろ」

 俺は目を凝らした。本当だ。白い爪の回りに黒い煙のようなもやもやしたものが見える。

「あれに触れたら、触れた部分が壊死する」

「ま、まじか」

「多少は大丈夫だけどな、万が一があるからな」

 黒狐はそう言うと、黒い竜のほうへ向かった。タフな奴だ。

 俺は白い竜に不意打ちを食らわせた。竜は怒りに吼えながら俺の方を向いた。その瞬間、烏が短剣で竜の指を突き刺した。俺はすぐに飛び退いて、頭を振った。さっき濡れたせいで髪から水が滴ってきて邪魔だ。

 竜は瞬く間に傷を治して反撃してくる。やってられないな、と思ったとき、不意に俺はあることを思い付いた。

 竜の攻撃を避けながら、涼子のそばに行く。涼子は白い竜に炎で攻撃しながらこちらを振り向いた。

「なあ、黒いのを白いのに接触させたらどうなる?」

「……いいわね、それ」

 そのとき、竜の尻尾が俺たちに振り下ろされた。俺と涼子は反対方向に逃げて、再びタイミングを見計らって集まった。

「問題はどうやって二頭をくっつけるか、よ」

「黒狐の方にも相談してくる」

 俺は隙を見て白い竜のもとを抜け出し黒狐を大声で呼んだ。

「何だ」

「黒い竜を白い竜に触らせたら倒せるんじゃないかって今言ってたんだ」

「なるほどな」

 黒狐は少し考えた。

「ちょっと危険だけど強引にぶつけてみるか」

「どうしたらいい?」 

「白い竜を誘導して黒い竜に近づけてくれ。俺が合図したら白い竜が黒い竜の方へ倒れるように攻撃するんだ」

「わかった」

 俺は急いで白い竜のほうへ戻って烏と涼子に伝えた。

「そんなので倒せるの?」

 烏が訝しげに言い、赤い目で睨んできた。涼子はすんなり了解した。

 俺たちは黒い竜に近いほうから攻撃をけしかけ、じわじわとこちらへ寄っていくように誘った。一方黒狐たちも黒い竜をこちらに近づけたようだ。

「倒せ!!」

 黒狐が声を張り上げた。俺はさっと逆側に移動し、刀を白い竜に突き刺した。烏は竜に強烈な体当たりをしていた。涼子は大量の水で竜を押し流した。

 白い竜がバランスを崩して傾く。そのとき、黒い竜がその上に倒れ込んできた。白鷺のサソリのような尾が、黒い竜を強引に押し倒している。

 黒い靄が白い竜の身体にまとわりついた。それは白い竜を蝕み、鱗を溶かす。白い竜が苦しみに悲鳴を上げた。

 役目を終えた白鷺が俺の目の前に着地した。相変わらず狂気的な表情を浮かべている。

 回復が追い付かなくなった白い竜は、黒い靄に全身を包まれてしまった。黒い竜は起き上がろうとしたが、暴れる白い竜のせいでなかなか起き上がれない。

 やがて白い竜は、ボロボロになって死んでしまった。作戦は成功である。

「あとは黒いのだ」

 黒狐がそう言った瞬間、白鷺の尾が黒い竜を貫いた。

「……え」

 驚く俺たちをよそに、白鷺はニヤリと口の端だけで嗤う。

「……い? あ、ははあ」

 白鷺はうわ言のように低いトーンで何か言っていた。返り血を浴びて赤く染まっているその姿が、どことなく神秘的な美しさを感じさせてどきりとした。

 十五番隊のみんなは黒い竜が死んだことを確認すると、王を探し始めた。竜を操っていた王は、竜が死んだことにショックを受けたような顔で後ずさりをしていた。

 俺ははっとして隊長のほうを振り返った。王の間の奥で戦っているはずの隊長の姿が、どこにも見つけられない。……いや、あれが……?

 ぼんやりしている暇なんてないのはわかっていたが、身体が動いてくれなかった。自分が見ている人物が本当に隊長なのか自信がなかった。

 隊長は髪の毛まで真っ赤に染まって何度も斧を振り下ろし、目の前にある人間らしきものをバラバラにしていた。

 止めないと、と思った。しかし俺はあまりの衝撃に見ていることしかできなかった。

 そのとき、俺のそばを黒狐が横切り、隊長の方へ走っていった。そしてもう一度斧を振り下ろそうとする隊長の腕を掴んだ。

「もうやめろ」

 隊長は目だけで黒狐の方を振り返った。しばしの沈黙が訪れる。隊長は自分の足元に視線を戻し、ふっと腕の力を緩めた。

 斧を下ろした隊長はしばらく黙ったまま死体を見つめると、くるっとそれに背を向けた。

 俺はようやく動けるようになり、隊長の元へ駆け寄った。

「だ、大丈夫か……?」

 隊長は案の定暗い目をしていたが、なんだかいつもと違う気がした。

「……まだだ」

 隊長はぼそりと呟き、すっと俺のそばをすり抜けた。慌てて振り返ると、隊長の目は王の方に釘付けになっていた。

「私に近寄るな!! 私を殺そうなど許されることではないぞ!!」

 王はわめきながら後退りを続け、奥の壁に背中をぶつけた。

「……笑えるね。こんなやつに僕は怯えてたなんて」

 隊長が薄く笑いながら言った。王は隊長が近づいてくるのに気づいて、さらにわめいた。

「この忌まわしき黒龍め! 死ね! 私に触れたら殺してやる!!」

 隊長は冷めた表情で王を見つめた。

「そんなことしなくても大丈夫だよ」

「お前っ……!! そうだ、私はお前を……殺さなくては……!!」

 王は錯乱したかのように剣を振り回して隊長に向かった。意外と速い。隊長は剣をさっと避けて斧を両手で持ち直した。俺はとっさに王のマントのすそに刀を突き刺した。地面に固定されたマントに引っ張られて、王は転びそうになり、動きを止めた。その瞬間、隊長が地を蹴って空中に飛び上がり、身体をひねった。

「〈龍神の使〉め……」

 王は最期に何か呪いを吐こうとした。しかし隊長のほうが速かった。斧は龍の牙のごとく王に食らい付き、その首を討ち取った。


 俺は隊長に水を差し出した。隊長は力尽きたように本棚にもたれて目を閉じていた。差し出した水には気づいてくれなかったので、俺はそっと水筒をしまった。

 黒狐が俺を呼んでいた。そちらへ向かうと、黒狐は床に落ちていた〈龍王の書〉を拾い上げ、俺に見せてきた。

「これは、どこから持ってきた?」

「隊長が本棚から取った」

「ほう……やっぱりそこにあったのか」

「知ってるのか?」

「ああ。神界じゃ有名だぜ。何なら俺はこれを求めていた」

「えっ……?」

「おっと口が滑った。これ以上訊くのはナシだぜ」

 黒狐はニヤリと口の端を歪めると、本をロスに預けた。

「持って帰ってくれ」

 ロスは本を口に咥えると、黒狐の影の中にするりと沈んでいった。

「ズルいぞ……気になること言いやがって」

「まあ許してくれよ。今度……」

 そのとき、王の間の扉にぬっと影が現れた。俺はそれを視界の隅で捉えた。黒狐は振り返って驚いたように後ずさった。

 フードを被って顔を隠した、六人の人影が並んでいた。一際背の低い者が真ん中にいる。

「……〈桜〉だな」

 黒狐が呟くと、真ん中の人物が少し前に出てきた。

「マザーはどこだ?」

 くぐもってはいるが、案の定、〈死神〉の声だった。俺は刀にそっと手をかけた。

「何のつもりだ。戦おうってんならまだ俺は動けるぜ」

 黒狐が敵意剥き出しに言った。しかし死神は「あーあー」と片手をゆるく振って否定した。

「一時休戦ってやつだ、十五番隊。俺は今、珍しく厭戦的なんだ。トレードマークの鎌、持ってきてないだろ?」

 確かに、死神は一見したところ武器の類いを持っていなさそうである。しかし油断はできない。その気になれば死神は素手でも戦えるだろう。

「じゃあ何しに来たんだ」

 俺が問うと、死神は少し顔を上げた。いつかのマザーみたいに、口元を布で覆い隠している。そのせいで声がくぐもっているようだ。

「俺たちはマザーを回収しにきただけだ。お前らも疲れてるだろ? だから見逃してくれよ」

 気だるそうに言うと、死神は後ろにいた五人に何か指示を出した。

「ヘッ、そうかいそうかい。好きにしろ。俺たちも証拠隠滅だ」

 黒狐はなんだか怒りを滲ませた調子で言い捨てると、自分が投げた剣を拾いに行った。〈桜〉の者たちはマザーの死体に集まった。しかし死神だけは扉のところから動かずぼんやりそれを見ている。俺は何か様子がいつもと違う気がして、じっと死神を観察した。彼はまるで病気にかかっているみたいに少し苦しげな呼吸をしていた。

「なあ」

 俺が近寄って声をかけると、死神はびくっとした。

「なんだよ。息殺して近づくんじゃねぇよ」

「えっ、あ、おう……」

 そんなに影が薄かった覚えはない。

「そんで、何だよ」

 死神は喋る度に深く息を吸っていた。

「いや、別に大したことじゃないんだけど」

「じゃあ向こう行けよ」

 いつになく素っ気ない。絶対何かある気がして、俺は思いきって尋ねた。

「お前、どっか悪いのか?」

「は?」

 死神は面食らっている。否定もせずしばらく黙ってから、はぁとため息をついた。

「お前、なんか気持ち悪いな。なんでそんなこと気付くんだよ」

「やっぱりか」

「しょうがないから教えてやるよ」

 死神は妙に皮肉な笑みを浮かべて、突然俺の胸ぐらを掴んだ。俺はどきりとして身を退こうとしたが、間に合わなかった。しまった、と思ったがもう遅い。死神は笑みを消し、冷ややかに俺を見上げた。

「いいか、俺とお前は所詮敵同士だ。この前ちょっと助けてやったのはただの気まぐれだ。勘違いして気安く話しかけんな、マヌケ。殺すぞ」

 死神はぎろりと俺を睨み付けた。俺は平手打ちでもされたかのような衝撃を味わっていた。そうだった。さっき黒狐だって、敵意しか見せていなかった。

「ま、俺と十五番隊はそれなりに仲良しだってことは認めよう。だけどな、今は楽しくお喋りできる状況じゃないんだ。仲良くしたければ俺の立場くらい考えてくれ」

 死神は少し声音を優しくして言うと、俺を解放した。俺は咳き込みながら思い出した。死神と俺が仲良く話していたりしたら、〈桜〉の者たちが死神が俺たちと繋がっていることがバレてしまう。

 俺は顔を上げ、「ごめん」と呟いた。が、死神は胸を抑えて今にも倒れそうなくらいぜえぜえと激しく呼吸している。

「おい……」

「……ッ、はは、別に病気とかじゃねぇ……から……安心しろ……だから……」

「わかった、向こう行くから、苦しいならその布外せよ」

 死神はちらりと仲間の方を見た。そしてローブのジッパーに手をかけた。

「へへ、俺さぁ……結局さ、お前らと協力したこと、バレたんだよ、マザーに」

 死神はまだ整わない呼吸の中で言った。ジッパーをゆっくり下ろす。

「そしたら、このザマさ……もう、お前らとは喋るの控えないとさ……マザーがいなくなっても、何されるかわかったもんじゃない」

 俺はごくりと息を飲んだ。露になった薄い胸には、鎖のついた太い釘のようなものが突き刺さっていた。

「〈桜〉ってこういう組織なんだよ、〈狐〉くん。痛みで物事を教え、平気で人間を実験台にするのさ。俺はちょっとばかり普通の人間より丈夫だから、これでも動けてるけどな」

 死神はジッパーを上げると、曇り空のような目を仲間のほうに向けた。彼らは黒い箱のようなものにマザーの死体を入れている。呆然とする俺を置いて、死神はそちらに行こうとしたが、不意にくるりと振り向いた。

「そういえば、〈龍〉はどうした?」

 まだショックが残っていた俺は、すぐには反応できなかった。

「あっちに……」

 しかし、俺が指した先には、誰の姿も無かった。

「あれ? さっきまであそこに座り込んでたんだけど……」

「そう? まあいいや」

 死神はすぐに諦めて向こうに行ってしまった。俺は隊長の姿を探した。しかし、王の間の、どこにもいなかった。

 嫌な予感がした。

 白鷺とともにナイフを拾い集めている黒狐を見つけ、駆け寄って隊長がどこに行ったのか訊いた。

「ん? 本棚のとこで寝てるんじゃ……あれ、いねぇな」

「どこにもいないんだ。マズいよな……?」

「んん……ああ、マズいぞ。非常にマズい」

 黒狐は王の間を見回して頷いた。心拍数がはねあがる。隊長が突然姿を消すとき、決まって良くないことが起こる。

「俺、探してくる!」

 そう言うと、黒狐の返事も待たず俺は王の間を飛び出した。



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