六話
隊長はパタン、と本を閉じた。
何も言葉が出なかった。色々訊きたいことがありすぎて何から訊けばいいかわからない。
想像していたよりずっと、複雑で残酷で、壮絶だった。今まで簡単に「話してくれ」と頼んでいたことを思い出すと、自分を殴りたくなる。
隊長がゆっくり息を吐きながら姿勢を崩した。そして「疲れた」と呟きながら腕を下ろした。
「な、なあ……」
俺がまごついていると、隊長が目を伏せて言った。
「僕が会った刀の男、たぶん……」
「俺のじいちゃんだろ」
隊長の言葉を遮ると、隊長はためらいがちにうなずいた。
「いや、そんなことじゃなくて……いやそれも重要なんだけど……なんつーか……」
隊長は周りの銅像と変わらないくらい微動だにせず突っ立っている。
「そんなのを、ずっと全部一人で背負い込んで、隠してきたんだって思ったら……お前、大丈夫じゃないだろ」
隊長は少し困ったように頭を掻いた。
「一人じゃないよ。ウルフさんがいたから……」
俺はどきりとした。小さな虫の集まりみたいな不安感が胸をざわめかせた。
「じゃあ、今は……?」
「イツキくん」
隊長はそう言っていたずらっぽく笑う。が、目が笑っていない。冷や汗でじんわり手が湿った。
「大丈夫、どうせ今は王宮の中だから、嫌でも思い出しちゃうし。ウルフさんがいたところで、ね……」
隊長は尻すぼみに言うと、本を持ったまま斧を肩に乗せた。
「なあ、隊長……六年前に起こした事件は……〈黒龍の日〉じゃないのか? 龍神も関わってたんだろ。本によると、さ。隊長は今また事件を起こす必要はあるのか?」
隊長が横目でしばらく俺を見つめていた。何とも言えない不気味な間をおいてから、隊長は口を開こうとした。そのとき、壁にゆらりと影が伸びて、がたりと物音がした。隊長が俺の後ろに視線を寄越し、わずかに微笑んだ気がした。
「……お前は、なぜここに」
俺は聞いたことのある声に振り返って、はっとした。大柄で威厳のあるその風貌と、低いがよく通る声を、この国で知らぬ者はいない。
「戻って来ると、わかってたでしょ、王」
隊長が俺の横に出る。龍王は、顔に嫌悪感を滲ませた。そんな王の背後から、もう一人見知った顔が覗いた。
「あら……? こんなところで会うとは驚きね」
「そうかなあ。あ、王宮に行く日を教えてくれてありがとう、〈マザー〉。おかげで復讐を一気に終えれそうだよ」
隊長は今にも笑いだしそうなくらい愉快そうに言った。ぞくりと背筋が粟立った。マザーは顔を曇らせる。王が眉をひそめ、ちらりとマザーの方を見た。
「復讐……」
俺は思わず呟いた。どこかでわかってはいたが、やっぱり復讐をするつもりでいたんだ、と諦めか落胆のようなものがずっしりとのしかかる。
「王宮に忍び込むとは、なかなか大胆な。何が復讐だ。六年前のあの日、私は次にお前を見たときは何としてでも殺してやると決めた。私こそお前に復讐をせねばならない」
王はゆっくり、演説をするかのように力強く言った。
「ああ、僕も六年前の続きをやるつもりで来たんだ。王を殺すつもりだったのに、できなかったからね……。僕の友達を殺せって命じた王をね。あのときなんで殺す必要があったのか甚だ疑問だよ。ねえ、なんで殺したの?」
隊長は静かな怒りを滲ませながらまくし立てた。
「お前の存在を知った時点で、あの憐れな庶民の子たちの運命は決まっていたのだよ。全ての原因は、お前が勝手なことをしたからだ」
「なんで僕のせいなの? 勝手なことしてるのはどっちなの?」
隊長は斧を振り下ろした。俺はビクリとして隊長から一歩離れた。斧は見事に床に突き刺さった。隊長はそのまま斧を手離し、本を開くと、それを床に叩きつけた。
「僕は黒い龍だ。その意味が龍王にわかっていないはずはないんだ。答えてみろよ。僕は不吉の象徴? それとも忌み子? どっちも違うだろ、なあ!?」
龍王の顔が強ばった。その視線が本に移り、さらに表情がひきつった。
「それは……〈龍王の書〉……」
「黒い
隊長は吐き捨てると斧を引っこ抜いた。王はわなわなと震えながら隊長を睨み付けた。
「お前は……どこまで知ってる」
「……全部だよ、とでも言っておこうかな」
隊長はふざけたように場違いな明るい声で言った。この場の流れが完全に隊長のものになっている。それがこの上なく恐ろしい、最悪の状況な気がした。
「やっぱりお前は……産まれたときに殺しておけば……」
王が歯をむき出して、怒りに声を震わせた。そのとき、マザーが王の肩に手を置いた。
「私の前でそのセリフは酷いと思うわ? それにこうなることは、はじめからわかっていたでしょう? 私も一度警告したわ。そのままじゃいつか破滅する、と」
王はマザーの手を振り払って、怒鳴った。
「私のやることに口出しをするな!! お前が今ここにいられるのは……お前が自分の組織をまとめられているのは、私のおかげだぞ!!」
「……そうね、今の王が貴方じゃなければ、〈桜〉の龍王国支部は経営難でつぶれてたわ」
マザーは意味ありげに微笑むと、今度は王の手を取った。
「では一緒に闘いましょう? 殺されるんじゃなくて殺すのよ」
王は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして、しばらく黙っていた。その隙に隊長が振り返って、俺に囁いた。
「ごめんね……君を僕の闘いに巻き込むつもりはさらさら無かったんだ。今ならまだ逃げられる……」
俺は首を横に振った。
「隊長……これは、お前だけの闘いじゃない」
「どういう意味?」
俺は首をかしげる隊長に、無理やり目を合わせた。
「俺も一緒に闘う」
隊長は無表情で「君が闘う理由は無いよ」とあっさり言った。俺は全力で首を振り、隊長の肩を掴んだ。
「理由なんかどうでもいい……それに、一人で闘いたいならもう遅い」
俺は扉の奥に視線を向けた。隊長もつられて同じ方向を見て、目を丸くした。
「……みんな」
十五番隊──黒狐に涼子、白鷺、烏が、王とマザーの後ろにいた。
「なんでついてきたの……」
隊長がぼそりと言った。王とマザーも俺たちの視線の先に気付き、振り返った。
「そろそろ話が終わった頃合いだなと思ってな」
黒狐がニヤリと笑った。
「リーダーにはついていくのが俺たち部下だろ?」
隊長は複雑に顔を歪めた。
「なんだ、お前たちは」
王が隊長と黒狐たちを交互に見ながら言った。
「フーマの仲間よ。でも大したことないわ」
マザーがふんと鼻を鳴らした。
「王はアレを喚ぶおつもりでしょう」
「当たり前だ。あやつらを使わんと私は勝てぬ」
王は懐から三枚の紙を取り出した。それが何か知る間もなく、王は高らかに言った。
「古より継がれし誇り高き竜たちよ!! 今こそ我にその力を貸したまえ!!」
低い地鳴りがして、王の足元にぽっかりと穴が開いた。かつて涼子がやってみせたのと同じだ。
「召喚……?」
隊長が驚きの声をあげた。俺は隊長の肩を掴んだまま後ろに下がった。その瞬間、穴から三体の竜──のような怪物が飛び出してきて、空気をびりびり震わせて吼えた。
「隊長っ、あれは何なんだよ!」
「わからない……知らないよ、あんなの」
三体の竜はどれも強靭な肉体と鋭く尖った牙や爪、角を備えている。見た目で違うのは鱗の色が青と白、そして黒にわかれていることだけだ。
「本物の竜……を喚んだ?」
「違う、あれはたぶん魔物だよ。召喚したんだ。恐らく魔術の類いを使う」
隊長が険しい顔で言った。俺はうなずき、刀を抜いた。すると隊長が今度は俺の肩を掴んだ。
「僕はマザーと闘いたいから、イツキくんとみんなは王と竜を相手して欲しい」
「何言ってんだ。お前一人でマザーに立ち向かうなんて……」
「わかってる。でも僕はマザーと話したいんだ。だからお願い」
俺は迷ってから、隊長を信じることにした。隊長は困ったように苦笑した。
「正直、みんなが来てくれて助かったよ。さすがに竜まで相手はできない」
「一人で勝手に突っ走るからだ、バカ」
俺は隊長を肘で小突いた。
「お前がちょっとでもピンチになってたら、俺はお前の手助けするからな。お前が何と言おうが」
隊長は軽く頷いて、俺に背を向けた。
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