三話

 今から約二十三年前──。

 美しい流れ星の下、彼はこの世に生を受けた。

 名はフーマ、姓は王族であるために無い。

 王族の者はみな、遺伝的に白または青の鱗を持って生まれる。しかしフーマは違った。「黒」だった。

 王はフーマを見て言った。黒い龍は「破滅」を表す、と。フーマは、不吉の象徴と揶揄され、忌み子と囁かれ、蔑まれた。

 〈桜〉の長である母と、王族の分家の端くれである父の婚姻は王宮の極秘事項であった。そもそも貴族以外との婚姻自体が、異例かつ王族の血筋を汚す行為である。しかしそこには、〈桜〉と龍王家 両者の思惑が絡んでいた。王は〈桜〉を利用し、敵国ミーリス民主主義国の情報を掴み、経済的、軍事的に上回ろうと企み、〈桜〉は王家からの資金援助と、〈秋桜〉潰しを狙っていた。

 産まれた子の存在は、隠匿された。フーマは、世間的には存在しない人間だったのだ。王家と〈桜〉は、フーマを、王族と〈桜〉双方のもとで暗躍する橋渡しのような役にさせるつもりだった。

 〈桜〉の長、〈マザー〉は、フーマを産んですぐに〈桜〉に戻った。王宮に出入りするわけにはいかないからだ。フーマは、幼い自分が無邪気に笑うたった一枚の写真でしか母の姿を知らなかった。

 それでも、彼は寂しそうな素振りは見せなかった。それほど父親の情愛が深かったからだ。乳母もろとも周囲が冷たい目線を浴びせる中、二人は仲の良い親子であり続けた。

 やがてフーマは学校に行く年齢となった。一悶着あったものの、王はフーマを学校に通わせることにした。王族と貴族のみが通う特別な学校なので、口封じさえすれば、フーマの存在が世間に知られることはない。

 フーマ無事に入学した。しかしフーマは、周りが想定できなかったほど、出来が悪かった。言語に遅れが目立ち、吃音症と今までの環境のせいで意思表現能力に乏しかった。そのうえ、医師に発達障がいも疑われた。苦手な授業は許可なく教室を抜け出し、たまに授業に参加しても常に上の空。彼はすぐさま問題児として扱われることとなってしまった。

 そんな調子なので、フーマはクラスに馴染めず、休み時間も一人校庭の端で虫の観察をしているような子どもだった。完全に浮いた存在だった。

 やがてクラスメイトたちは、彼をからかっていじめるようになる。それは日ごとにエスカレートし、彼は学校のすぐそばにある、王立植物園に逃避するようになった。

 当然、王立植物園の職員にもフーマの話は伝わっていた。しかしこの職員の一人であった「安博やすひろ」と名乗る青年が、フーマをいたく気に入り、彼の相手をするようになった。──その正体は、フーマが「ヒロくん」と呼ぶ、あの龍神である。

 そんな中でも、父親は彼に勉強も人との関わりも優しく教え、支え、フーマの心のよりどころであり続けた。

 ところが、夏が終わる頃、突然父親は長期任務のために遠方へ行ってしまった。フーマは乳母に虐げられた。フーマは初めて、実母のことを恋しく思った。写真でしか顔を知らない実母に、帰って来て欲しいと毎日願った。安心できる場所を失った彼は、ますます植物園に入り浸るようになり、龍神といる時間が長くなった。

 一つ学年が上がり、また夏を迎えた頃、フーマの父親が王宮に戻ってきた。その帰りを待ちに待っていたフーマの心は、打ち砕かれた。父は優しい父親ではなくなっていた。 帰ってくるなりフーマに浴びせた言葉は、「お前などはじめからいなければ良かった」。

 フーマは、幼い体にたくさんの暴力を受けた。もはや彼の居場所は植物園だけだった。フーマは次第に心を失くし、笑いもしなければ怒りもしない、無表情な子どもとなってしまった。



 物覚えの悪い僕が、確かに持っている記憶は、小学四年生になって最初の授業日から始まる。

 学校に珍しく転入生がやってきた。ひょうきんな男の子だった。自己紹介でクラス中を笑わせていた。僕は全く興味が無かったから、朝学活が終わったらすぐに教室を抜けようと思っていた。──植物園に行って、ヒロくんと喋りながら絵を描くのが、当時の唯一の楽しみだった。

 ところが、転入生はなぜか僕に話しかけてきた。

「なあ、席隣なんだ! よろしく!」

 僕はそのとき、驚きすぎて固まってしまった。当時はこんなに親しく話しかけてくるクラスメイトなんていなかったから。でも嬉しくはなかった。早く一人になりたいと思っていたのに、彼は一時間目が始まるまで話し続け、僕を教室に引き留めた。しょうがないから、その日の一時間目の授業はちゃんと受けた。

 長くて退屈な時間が終わって、やっと休み時間に入り、僕は急いで教室を出た。だけど、どんくさい僕は、ドアの溝に蹴つまずいて転び、スケッチブックやら鉛筆やらをばらまいてしまった。

 当然、クラスメイトたちは僕を嘲笑った。いつものことだから、笑われても僕は何も思わなかった。淡々と落とした物をかき集めていると、誰かが僕の鉛筆を拾い上げて、「大丈夫?」と話しかけてくれた。

 転入生の彼だった。

 僕は半分パニックになりながら、なんとか「ありがとう」を言った。彼はそんな僕を笑わず、スケッチブックを指差して言った。

「絵、描くんだ。オレも絵描くの好きなんだ」

 僕はぎくしゃくしながらうなずいた。なんだか怖くなって、その場から逃げ出そうとした。けれど、彼は僕の腕を掴んで、「次の休み時間、一緒に絵描かない?」とニッコリ笑った。

 僕は首を横に振って、彼の手を振り払った。彼は少し傷ついたような顔をしていた。僕は、ちらっと罪悪感を覚えながらも、それに構わず駆け出した。

 その日ほど学校を抜けたことを後悔した日は無かった。結局僕はそのあとの全ての授業を受けずに帰った。いつもよりぼんやりした気分だった。父親にひっぱたかれても痛みすら感じないくらい、あの転校生のことが気になって仕方がなかった。

 次の日、僕が教室に入ると、あの転校生が「あっ」と声をあげた。僕はびくびくしながら自分の席に座ると、転校生が案の定僕に話しかけてきた。

 「昨日、あんま喋れなかったから、訊くの忘れてたんだけど、キミ、なんて名前?」

 僕は答えようとしたけど、また上手く言葉が出なくてどもってしまった。仕方がないのでスケッチブックを開いてそこに名前を書いた。

「フーマ? そうなんだ。改めて、よろしくな!」

 そのときに僕はその子の名前をやっと知った。ケンゴという名前だった。

 ケンゴは僕と違ってマンガやゲームの絵を描いていた。趣味嗜好は全く違ったけど、なぜか僕らは意気投合し、休み時間は二人でよく喋って、絵を描いて遊んだ。

 彼の人柄のお陰で、僕に対する嫌がらせは少しだけ減った。僕も学校がちょっとだけ楽しくなり、授業を抜け出す回数が減った。相変わらず理科以外の授業はほとんど理解できなかったし、テストの点もめちゃくちゃだったけれど。

 そして、夏が終わった頃、上手くいき始めた学校生活は突然姿を変えた。

 ある日、僕のスケッチブックがビリビリに破られて机の上に置かれていた。まだ白いままのページには、悪口や酷い絵がかかれていた。

 ショックだったけどそんなに驚きはしなかった。ケンゴが来るまではよくあることだった。

 僕は仕方なくスケッチブックを捨てた。その時、僕の頭に紙つぶてが当たった。振り返ると、ニヤニヤ笑うクラスメイトたちがいた。そしてその中に、ケンゴもいた。

 僕は予想外の出来事に思わず「え」と言った。クラスメイトたちは、さらに笑みを大きくした。

 誰かが僕に悪口を言ったけど、耳に入ってはいなかった。僕はケンゴと目を合わせた。ケンゴは少しひきつった笑みを浮かべていた。変な汗で手が湿った。

「なんで……」

 僕が呟くと、ケンゴはうつむいて目をそらした。吐き気がした。目の前が黒く染まっていって、視界が渦巻いている感じがした。息が苦しくなって、僕は自分の首に手を当てた。そのあと、全身にものすごい勢いで熱いものが駆け巡った。

 僕の中で、何かがぷっつり切れた。

 おそらく僕は叫びながらクラスメイトに殴りかかった。怒りで我を忘れたのはこれは初めてだった。記憶が吹っ飛ぶくらい怒っていた。近くにあった椅子を振り回して窓を叩き割り、机をぶん投げて教室を荒らし回った。教室は大騒ぎになって、廊下にはどんどん人が集まってきた。

 チャイムの音で我に返った僕の前に、ケンゴは鼻から血を流してうずくまっていた。僕は椅子を振り上げた格好で止まっていた。教室中の目線が、僕に集まっていた。担任の先生が血相を変えて教室に飛び込んできて、何か怒鳴っていた。僕は自分のやったことが怖くなって、椅子をゆっくり置くと、割れた窓から飛び降りて逃げ出した。後ろから呼ばれたけれど、僕は必死で走った。突然塀を乗り越え脱走した僕に、警備員もすぐには反応できなかった。

 僕はこの日、初めて町に出た。

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