五話

 階下に降りると、早速隊長に報告した。

『なるほどぉ、センリャクテキだねぇ。〈桜〉もバカじゃなくなってきた』

 隊長は別の誰かに報告してから、また言った。

『その一番高いビルには、三番隊が行くことになったから、イツキくんたちは別のとこに行って欲しいの』

 隊長が言うのは北にある大きなプレハブのような建造物たち。今回は、この研究施設を破壊して使えないようにしてやるのが目的なので、重要そうな機械は全て爆破する。その前に敵を殲滅しておいて、爆破装置の設置中に邪魔が入らないようにするのだ。だがプレハブに人がいるとも思えない。どちらにせよ、隊長命令なので行かなくてはならないのだが。

 俺たちは建物から出て、プレハブを目指した。西のビルから見えないよう慎重に歩く。すると、黒狐と涼子にばったり出会った。

「おうおう。敵がいねぇぞ」

「あなたたちは戦ったようね」

 涼子が俺の服に付いた返り血を見て言った。この二人はまだ敵には遭遇していないらしい。

「わざわざ探さなくていーだろ」

 黒狐の足元からロスが顔をひょっこり覗かせた。

「ロスー」

 俺が呼ぶとロスは駆け寄ってきた。しゃがんで頬をわしゃわしゃ撫でると気持ち良さそうな顔をする。

「うへへ……お前かわいいなもう……よしよし」

「戦場で何やってんだ」

 黒狐の呆れた声が降ってきたので、とりあえず撫でるのはやめた。

「ったく……犬で人が変わりすぎだろ、お前は」

「しょうがねーだろー」

 俺がまた撫で始めると、黒狐から軽蔑の眼差しが送られてきた。俺は「このかわいさがわからないなんて可哀相だな」という憐れみの目線で跳ね返した。

「そろそろ行きましょう。あんまり駄弁っていると隊長に見つかって怒られるわ」

 一同はうなずいて、それぞれの向かう先へ別れた。黒狐たちは俺たちが来た方向へ去っていった。

 その後プレハブにはすぐに辿り着いた。やはり人の気配はない。手前のプレハブに入る。中には板が大量に保管されており、木材の粉っぽい匂いが充満していた。爆破せずとも、マッチなんかで火を付ければあっと言う間に建物ごと炭になりそうだ。俺は中を歩き回ってみたが、目ぼしいものは何一つ見つからなかった。

 俺たちは窓から別のプレハブに移った。今度は事務室のようなところだった。机とイスが並んでいて、黒板に一ヶ月の予定が書き込まれている。何かありそうだ。

「ここの施設の人間か、これは」

 ウルフが引き出しから手帳を拾い上げた。それは人の顔写真と名前、役職名が書かれた出席簿のようなものだった。

「いるのか、それ」

「隊長に訊いてみる」

 ウルフは無線機を取り出した。が、マイクを押しても周波数をいじってもそれは沈黙を貫いていた。

「電波届いてねーのか? ここ」

 ちらりと不安を覚えた。そういえば〈死神〉と遭遇したときも、突然電波が届かなくなっていた。

「少し外に出よう」

 窓からプレハブとプレハブの隙間に降りて、無線機に話しかけると返事が返ってきた。

『急に消えたからびっくりしたよ。……え、出席簿? じゃあ、一応持って帰ってきてね。それと、ちょっとそこで待機しておいて欲しいんだ』

「ここ、はさみうちされたら一貫の終わりなんだけど」

『どこでもいいから電波の届くところにいて!』

 隊長はそう言ってぶつりと無線を切った。俺とウルフは顔を見合わせた。

 俺たちは別のプレハブに移った。もちろんちゃんと無線機が機能する場所だ。

「待機多いなー、今回」

「そうだな。連携がうまくいっていないような気もする。それにしても暑いな」

 当然だ。このプレハブ、閉めきっているくせに窓からたくさん光が入ってくるから室温は上がる一方だ。バレない程度にちょっと窓を開けると少しましになった。

「さっきの話の続きをしようか」

 ウルフが言った。俺はワンテンポ遅れて言った。

「別に、今すぐじゃなくても、帰ってからでもいいぜ」

「今は暇だから」

 ウルフは窓から入る風に頬をもたせかけている。俺も同じようにしてみると気持ち良かった。

「じゃあ、今聞く」

 ウルフが若干笑った。

「何から話そうか」

 自分から話題を持ち出しておいて迷っているようだ。俺もちょっとだけ笑った。

「何でも」

 俺がからかうように言うとウルフは咳払いをした。そしてちょっともったいぶって話し始めた。

「俺は中央区の一角で産まれた。本名はミズノ ヨウイチ……そういえばずっと言い忘れていたな」

 こんな戦場で明かすのもどうかと思うが、とウルフは苦笑した。


 「小学生の頃にとある漫画が流行ったのだが、それに出てくるウルフというキャラに俺がそっくりだったそうだ。それで俺にはウルフというあだ名が付いた。

 俺の母は戦場看護婦、父は軍の中佐で二人ともいつも忙しくしていた。ひとりっ子の俺はいつも家では孤独だったが、両親は俺を気にかけてくれたし、祖母が家にいたから寂しくはなかった。十歳になる頃には祖母は亡くなってしまったのだが。

 学校の成績は、自慢じゃないがそれなりに良かったし、運動もまあ出来た。放課後には近くの公園で友達と集まり遊んでいた。雨が降らない限りいつも集まって何かしていたな。

 そして俺が十一歳だかのとき、フーマが現れた。突然その公園にやって来たんだ。昔からチビだったな。痩せてたし。意外だと思うが、初めは大人しくて無口で、控えめな子だった。まあ無口だったのは、吃音症であまり喋るのが得意じゃなかったからだとか後で聞いたけど。

 フーマは別の学校に通っていた。どうもイジメに遭っているそうで、それが嫌になって逃げてきたそうだ。授業を抜け出したり、そもそも学校に行かなかったりもしていた。だから問題児として先生からも嫌われていたらしい。

 俺とフーマはすぐに仲良くなった。そのうちにフーマはよく喋るようになった……きっと、元々明るい性格だったのに、押さえつけられていたんだろう。いつしかみんなのムードメーカー的な存在になっていた。今みたいに騒がしくて、周りを振り回して、よく笑って。

 俺はというと逆に喋ることが苦手になっていった。なんだか怖がられるようになってしまってな……。

 俺が中学校に入って半年したころに、両親が共に戦死した。兵士がほぼ全滅した酷い戦いに運悪く参加していたんだ。俺は一人ぼっちになってしまった。学校では、俺を気遣って、あえて放っておいてくれる友達が大半だった。例え一緒にいても絶対に親の話はしなかった。タブーみたいなものになっていたんだ、俺の前では。ただ一人は全くそれがわかっていなかった。フーマは普段通り俺に話しかけて、俺の前で笑っていた。

 それが逆に、どれほど救いになったか……」


 ウルフはそこで一旦話を切った。昔を想う瞳には少し哀しさが混ざっている。話しているとやはり喉が渇くようで、ウルフは水筒を傾けていた。

 窓の隙から入る風がさっきより涼しくなってきた。風が強くなってきているらしい。

 ふと、隣のプレハブに誰かがいるのが見えた。どきりとして首をすくめた。ウルフも気付いて水を飲むのをやめた。

 人影は全く別の方向をじっと見つめていた。目を凝らすと、龍人の特徴的な翼が見え、ますます驚いた。〈秋桜〉に龍人は隊長だけのはずだから、敵だ。

 龍人は俺たちには全く気づいていないようだ。息を潜めていると、龍人がためらうように足を前に出した。そしてくるりと方向転換すると、プレハブから離れて行った。

 「誰だ……今のは」

 緊張から解き放たれて、ふうっと息を吐く。ウルフが窓から目を離した。

「さあな。隊長に言っておくべきか……」

 ウルフは無線機を取り出して、報告を済ませると、再び何事もなかったかのように窓にもたれて話を続けた。


 「俺は軍を目指すようになった。兵士ではなく情報管理部とかそういうところだ。そのためには軍の専門学校に行かなければならないのだが、少し学力が足りなかった。俺は猛勉強を始めた。次第に友達と遊ぶことも、公園に行くこともなくなって、フーマと会うことも少なくなっていった。無事に合格して、中学四年から専門学校生になった俺は寮に入ることにした。学校は遠くて、当時住まわせてもらってた親戚の家からは到底通えるものじゃなかった。まあ、親戚の厄介になっていると気まずいもので、それから逃れたかったっていうのもあるけどな。そうして俺は、友達と離れてしまった。

 友達連中はあんまり勉強のできないやつらだったから、学校の授業はやっぱり苦痛だったようだ。そこでフーマが思いっきり学校をサボって遊んでいるのを見ているものだから、同じように学校に行かなくなり公園にたむろしていたそうだ。フーマは毎日のように家を飛び出しそこに遊びに来ていた。

 やがて俺は専門学校で次の段階にあがるための大事な試験を受けることになった。それが中学六年生にあたる年の頃。だがその日、俺は試験を受けることはなかった。

 友達が殺された。

 親戚から連絡を受けて、俺は迷った。大事な試験の日だ。戻るべきか、試験を受けてからにするか……俺は試験を受けてから戻ろうと決めた。しかしもうひとつ、学校にちょうど到着したとき、俺は連絡をもらった。よく遊んでいた龍人の子が、行方不明だ、と。

 俺はすぐに戻った。真っ先に公園に行った。もしフーマが後から公園に来たとすれば、まだそこにいるかもしれないと思ったからだ。到着したころにはほとんど日が暮れていた。フーマはいなかった。代わりに警察がいて、俺を怪訝そうに振り返った。警察の一人が俺に訊いた。『あなたはここで殺害された五人の青年とお知り合いですか』と。頭が真っ白になった。それまで俺は友達が死んだことを信じていなかったらしい。ここでやっと実感したんだ。

 何か疑われるかもしれないのも構わず、俺は『黒鱗の龍人を見なかったか』と訊いた。警察はヒソヒソと何か話し合い始めた。そこで『山中に逃げた』などと聞こえたとたん、俺はその場から走って離れた。追ってくる警察をまいて、フーマの向かったらしい方へ走った。

 フーマが何をして、何を思って『逃げた』かは言えない。それこそが禁句だからな。だが俺が今ここにいるのは、それが一番の理由だ。ただ、俺は、フーマを責めているのでも、感謝しているわけでもない。

 俺たちは森の中の小さな池のほとりで再会した。まさか俺が現れるとは思っていなかったらしく、フーマははじめ俺に殴りかかろうとしていた。すんでのところで怪力パンチはかわしたけどな……。

 俺も泥と草にまみれてひどい見た目になっていただろうが、フーマはもっとひどかった。やつれて隈ができていたし、ひどく疲れているようだった。そして翼が無くなっていて、まるで別人のように見えた。翼のあったところには布が巻かれていて、泥と血で汚れていた。あれで感染症にかからなかったのが奇跡だ。

 とにもかくにも俺たちは落ち着ける場所を探した。たぶん十日近くはずっと森をさまよっていた。ある雨の日、今の家を見つけたんだ。何かの罠かとも思ったな。でも誰も住んでいなさそうだったから使うことにした。

 フーマはそこで何があったのかを話してくれた。俺は経験者でも本当に目撃したわけでもないが、あの話は思い出したくもない。なにより俺はフーマのことを何も知らなかったのが一番悲しかったし、己の無力さを痛感した。親友なのに、初めて聞く話ばかりだった。自分に失望したよ……。怒りさえ感じた。

 しばらくその家で二人で過ごしていたが、あるとき〈秋桜〉の者に見つかった。直接会長と話をして、加入することに決めた。新しく十五番隊を作ると言われたとき、俺はあえてフーマを隊長にした。落ち込んでふさいでしまったフーマに、明るさを取り戻して欲しかったから。うるさくて、周りを振り回して、周りを笑顔にさせてしまう隊長になって欲しいと願ったんだ」


 「その願いは十分すぎるくらい叶ったってことだな」

 俺が苦笑するとウルフは頷いた。ウルフは窓から空を見上げている。俺は少しためらってから尋ねた。

「ウルフは、結局軍に入れなかったことはどう思ってる?」

 狼の黄緑に燃える瞳が少しかげった。

「親戚に迷惑をかけた──今もかけているだろう、そのことが一番、心にわだかまっている。せっかく入った学校を実質辞めたことになっているのも悔しい。軍に行けなかったこと自体は、あまりなんとも……諦めがついた」

 そうか、と俺は呟いた。

 ウルフが学校に行けなくなったのは、隊長のせいなんだろうか。だけどウルフは隊長に対して怒りは感じていないようだ。隊長がウルフにだけ話したこと……それこそが「真実」なんだろう。そしてその真実は、ウルフですら思い出したくもないもの。ウルフが隊長に憤怒しているわけではないようだから、隊長とウルフの昔の友達を殺したのは、隊長ではない別の人物のはずだ。まあ、隊長だったら最低だけど。ただ、それだけだと、隊長が秘密にする意味がわからない。きっと隊長は、他に何か後ろめたいものを持っている。

 ウルフが俺を見つめていた。どうやらしばらく思考にふけっていたのを見られていたらしい。考えていることがさとられていないか少しヒヤりとした。俺は見つめ返して言った。

「なんか、お前今まで謎の人物だったから……狼の幻じゃなくてホッとしたよ」

 ウルフは耳を横に倒した。困っているようだ。俺がニヤニヤ笑っていると、また無線機から呼びだし音が鳴った。ウルフはちょっとめんどくさそうに応えた。

『ごめんね、放置してて。会長と通信が繋がらなくなっちゃってるから、いろいろうまくいかなくて。あのね、そろそろ技術班が到着するから帰っていいよって言われたの』

 やっと帰れる、と嬉しく思いつつ、待機の時間が長く、来た意味を感じられなくて不満だった。まあ、これでちゃんとお金が入るならいいのだけれども。

 二人は腰を持ち上げプレハブから出た。さっきの龍人を警戒して進む。だが彼──彼女かもしれないが、龍人の姿は全く見かけなかった。

 プレハブ群を抜けると、ひとつだけ漆喰でできた建物が森のそばにぽつりと建っていた。ふと、妙な気配を感じてプレハブの陰に隠れた。あの建物に誰かがいる気がする。

「どうした?」

 ウルフが俺を振り返った。狼は何も感じていないようだ。だがウルフが俺を振り返った瞬間、ちらりと人影が窓の内側で動いたのを確かに見た。

「あそこ、誰かいるぞ」

「本当か」

 俺たちは何か出てきやしないかと恐れて建物を見つめていた。しかしそのせいで後ろから近づく脅威に全く気がつかなかった。

「ふふ、貴方達、まだまだ若いわね」

 女の声に驚いた刹那、ものすごい力で体が引っ張られ、地面に叩きつけられた。かろうじて受け身を取れたが、土ぼこりが目に入って何が起きたのか全くわからなかった。

「〈マザー〉……」

 そばでウルフの低いささやきが聞こえた。それはまるでこの世の終わりを見たかのような、絶望的な色を帯びていた。

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