12.これだから童貞




 うーん。本当に見つからないな。

 あれだけ目立つ容姿なんだから、すぐに見つかると思ったんだが……。

 通りすがる人の何人かにも聞いてみたが、有用そうな情報は手に入らなかった。


 ショッピングモール内を歩いている時は、やたらと食事処の方を眺めていたので、まさか無銭飲食でもしているんじゃないだろうな。

 俺が呼び出されて金を払わされる未来が見える。それはいけない。


 一旦、試しに食事できる店が集まってる方へ行ってみるか。


 そんな考えで、俺は足先を向ける方向を変えた。

 軽い駆け足になって進み、とある曲がり角を曲がろうとしたところで、タタッと何者かが勢いよく駆け込んで来る音が聞こえた。


「――ッ」


 ドンっと衝撃が走る。


「きゃっ」


 ゆらりとぶつかった人影が揺らいで、倒れそうになる。

 俺は咄嗟に伸ばした右手で、その人物の手を取った。だが、予想以上に彼女の倒れる勢いが強かったせいか、俺も一緒に、そのまま引き寄せられるように倒れこんだ。


「…………」


「……」


 気付けば、俺の鼻先数センチのところに、あの可愛すぎる転校生、相河さんの顔があった。


「み、実樹さん……ですか?」


「あ、あぁ、うん、そう」


 俺は彼女を押し倒したような形のまま、固まっていた。


 どうして……、彼女がここにいるのか。

 いや、どうしてというか、偶然しか考えられないんだけど。


 彼女との距離が近い。さくらから漂っていた甘い匂いとはまた別の、どこかで嗅いだことのあるような匂いがする。

 さくらの場合は、香水か何かを付けているのだろうが、これは違う気がする。

 落ち着く匂いだ。抱きしめたくなる。なんてかわいい子だろう。


「……お―っ、――ツキさん。実樹さん……っ!」


 彼女の声でハッとする。


「そ、その……、早く離れていただけると、嬉しいんですが……」


「あっ、いや、ごめんっ!」


 俺は瞬時に彼女から離れて、立ち上がった。


「ほんとごめん。突然で、驚いて」


「いえ、私も慌てていて、ちゃんと前を確認していなかったので……」


 ゆっくりと立ち上がって、パンパンと服についた埃を手で払う相河さん。

 彼女の服装は、普段通りの制服だった。


「慌てて?」


 学校では常に大人びた落ち着いた雰囲気を醸している彼女が慌てるとは、珍しい。


「ええ、実は私、同じクラスの方に遊びに誘っていただいて、ここに来たのですが、はぐれてしまって……」


「そっか、えーと、じゃあ迷子ってこと?」


「恥ずかしながら……」


 相河さんは両手を組んで視線を下げる。


「それで皆さんを探している途中だったのです。実樹さんも、どこかへ急ぐ様子でしたけど……」


 星月さんが俺に尋ねるように言った。


「いや実は俺も迷子を探してて」


「迷子……ですか?」


「あぁ、うん、十歳くらいの女の子なんだけど。どっかに行っちゃって」


 相河さんは驚いたように目を見張る。


「それは大変ですね。心配です」


「いや、相河さんまで気にしなくていいよ」


「いえ、私が迷子でいるよりよほど深刻なことです。私も捜します。ですので実樹さん、私と連絡先を交換してくれませんか?」


 そう言って、相河さんは胸ポケットからスマホを取り出した。


「手分けして捜したいので、見つかった時に知らせる手段が必要かと」


「あぁ、そうだな」


「これで実樹さんといつでも連絡が取れますね。その迷子の子の特徴、教えてもらってもいいですか?」


 俺はなるべく詳しくセリスの特徴を相河さんに伝え、それから彼女と別れた。


 

 だが、相河さんと遭遇した数分後、あっさりとセリスは見つかった。

 休憩用に設置されているベンチに座って、額にシワを寄せているセリスを俺が発見したのだ。

 改めて確認するが、セリスは本当に天使と形容したくなるほど幻想的な可愛さを持っている。

 その見た目は幼いが、それ故に決して無為に触れてはいけないような神聖さを醸しており、いかにも天使らしい。

 セリスの変態的本性を知っている俺でさえ、気を抜けば視線をとらわれてしまうほとだ。

 故に、ベンチにただ座って考え込んでいるだけのセリスの周りには、ちょっとした人だかりができていた。

 セリスの可愛さに気を取られた通行人が自然と足を止めて、さらに足を止めた通行人に、他の人が疑問を抱き、セリスに気がつくという連鎖反応が起こっているようだった。


 その人だかりの中に突っ込んで行くのは少しはばかられたが、覚悟を決めて俺はセリスの前に立つ。


「おいお前、一体どこ行ってたんだよ。無駄に心配させるんじゃねぇ」


「ん? あぁミツキ。来るのが遅い」

 

 セリスは何とも思っていない様子で、俺のことを見上げる。


「お前な……」


 そのあっさりした反応に呆れて、怒りも無くなってしまう。


「はぁ、まぁいいや。無事ならそれでいい。つーかお前、なんでいきなり……」


 そこで俺は大量の視線がこちらに向けられているのを感じて、振り返った。

 セリスを取り囲んでいた人だかりが、今度は俺に注目していた。


「話は後だな。とりあえずお前、ここから離れるぞ」


 俺はセリスの手を引いてその場から離れる。


「ちょっとミツキ。気安く触るな。ボクに触れていいのはリヒトだけ」


 セリスが不満そうに唸った。


「あーはいはい、わかったよ」


 俺はセリスの手を離す。セリスが問題なく俺のあとに付いて来ていることを確認してから、俺は携帯を取り出して、さくらと星月さんにセリスが無事に見つかったことを連絡する。

 さくらと、これから落ち合う場所を決めてから、通話を切って携帯をしまった。


 セリスと並んで歩きながら、俺は彼女に尋ねる。


「にしてもお前、なんで急にいなくなったんだよ。まさか迷子になったとか言うつもりじゃないだろうな」


 匂いだけを辿ってリヒトを見つけ出したらしいこいつが、迷子になる訳がない。


「あぁ、そう。何だかさっき、妙な気配がしたから、それを追ってた」


「妙な気配?」


「うん、そう。見過ごせない気配。具体的に言うなら、悪魔の気配がした」


「悪魔の気配……!?」


 悪魔。俺がリヒトと出会った翌日、俺のことを襲って来た謎の奴のことだ。

 

「でもついさっき気配が感じ取れなくなった。だから諦めたの」


 つまりその悪魔がこの辺りから居なくなったということか?

 じゃあ悪魔の目的は何だったんだ?

 謎は深まるばかりだ。


「てか、それならなんで、すぐに俺かさくらの所に戻ってこなかったんだよ」


「もう歩くのが面倒だった」


「はぁ、ほんとお前は……」


 こいつの情熱とかやる気とかのエネルギーは、リヒトに対してしか向けられないのだろうか……。

 いやでも、悪魔の気配を追っていたということは、一応仕事をする気はあるのか。


 その後、さくらと合流した。


「セリスちゃぁぁぁぁん、無事でよかったぁぁ」


 さくらは屈んで、セリスの無事を確かめるように抱きしめていた。

 セリスは密着されて滅茶苦茶嫌そうな顔をしていたが、心配をかけてしまったことは自覚しているのか特に抵抗はしていなかった。

 

 よしよしとさくらに撫でられて顔をしかめていたセリスが、俺を見上げてふてぶてしく言う。


「ミツキ、おなかすいたんだけど」


「あ、セリスちゃんお腹空いた? それじゃどこかで何か食べよっか。何か食べたいものある?」


「……かれー、というやつがいい」


 ぼそりと、セリスがそう言った。

 そういえば、昨夜俺が作ったカレーを結構気に入っている様子だった。向こうの世界にはない食べ物だったそうだ。


「カレーか。いいねー! カレー! 先輩、ここってカレー屋さんありましたっけ?」


 さくらは最後にセリスをひと撫ですると、立ち上がって俺を見た。


「あー、そう言えばさっきそれっぽい店見かけたな」


「じゃあそこに行きましょう!」





 カレー屋でお腹を満たした後は、またさくらに色んなキラキラしたオサレショップに連れまわされた。ちなみにカレー店では一番高いステーキ肉が入ったカレーをさくらとセリスに奢ることになった。普通に1800円とかするヤツ。遠慮がなさすぎるコイツら。

 

 さくらたちが満足するまで付き合った後、ショッピングモールを後にして、俺たちは帰路に着いていた。

 既に日は暮れており、空は夕焼け色である。


「んーっ! 今日は楽しかったですね! たまには先輩みたいな人と休日を過ごすのも悪くないですねー!」


 さくらは満足げに笑って、歩きながら大きく伸びをした。「ねー」と俺とセリスに笑いかけるさくら。セリスは興味なさげに空を見上げながらあくびをしていた。


「俺はカレー奢らされて荷物持ってただけだけどな」


「もー、先輩はー。最後までそれを言わなかったらポイント高かったのにー。で、先輩は楽しかったですかー?」


「……まぁ、楽しかったよ」


 何だか癪だったので少し顔を逸らしながらそう言うと、ふふっとさくらが笑って、俺のことを覗き込むように見た。

 急に顔を近づけられて、鼓動が早くなる。心臓に悪い。艶めいたさくらの桜色の唇が目についた。


「まぁでも今日のデートは中々良い感じでしたね。うん、先輩に対する好感度が30くらい上がった感じあります」


「そうかよ……」


 ずっとさくらと目を合わせているのが恥ずかしくなって、俺は思わず顔を逸らす。すると、急に彼女が体を寄せてくる気配があった。微かに体が触れ合って、時間がゆっくり流れるような錯覚をした。



「――先輩、好きですよ」



 さくらが俺の肩に手を置き、唇を耳元に近づけてそうささやいた。

 甘い声が耳を撫でて、ふわりと漂う良い匂いが鼻孔をくすぐった。

 ドクンと大きく心臓が跳ねて、手が震えた。


 さくらは硬直している俺からささっと離れると、クスクスと悪戯っぽく笑ってコテンと首を傾ける。


「先輩はわたしのことどう思ってますか?」


 鼓動の勢いがどんどんと増していくのが分かった。


「え、えっと、それはだな、いや別にさくらのことが嫌いだって訳じゃなくて、えっと、いや」


 俺はかなり動揺していた。顔と体が熱くて、さくらの顔がまともに見れなかった。なんだこれ。


「……ふふっ、そんなに顔真っ赤にしちゃってかわいいですね、先輩。じょーだんですよ、冗談。まったく先輩はからかいがいがありますよね~、それじゃあわたしはこっちなので」


 そう言って、さくらは小悪魔のように悪戯っぽい笑みを見せると、ふりふりと手を振りながら分かれ道に逸れて駆けていく。


「今日はありがとうございました。また一緒に遊びましょうね、せーんぱい」


 少し離れた位置から俺に呼びかけるようにそう言うと、さくらは背を向けて遠ざかって行く。

 俺はそんなさくらの背中を、ただ茫然としながら見送ることしかできなかった。



「これだから童貞は……」


 隣にいたセリスが、大きなため息を吐きながら呆れたように呟いたのが聞こえた。


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