終焉のエディット 【星空の絨毯と導】

佐藤アキ

第一章 日常は唐突に壊れる

第1話 私なんです

 悪王の再来が病をもたらした。

 悪王の再来は女王陛下とこの世界に仇なす者。

 悪王の再来は異端。

 悪王の再来には極刑を。

 見つけし者には相応の爵位を与える。


 路地裏の民家の壁、店のガラス、街路灯、乗り合いの馬車……。街のいたるところで目にする紙に印刷されたこれらの文言。そして、連日新聞の一面に、これ以上大事なことはない、とでもいうように印刷される、『悪王の再来は誰だ』という見出し。


 駆けこんだ部屋の電話横に置いてある新聞の一面、それに目を落とした少年は、先ほどから鳴りやまない電話を、顔をしかめつつ手に取った。電話に出るのが嫌なのでも、新聞の見出しに嫌悪感を抱いたのでもない。後ろで「いやー!!」「いいじゃない!」と走り回る人間がうるさいのだ。きっとこの二人は電話に気付いてないのだろう。


「もしもし?」

『………………はぁ……、私ですよ。相変わらず後ろが騒々しいですね』

「ロンガさん!」


 アルスが出てから十秒ほどの間を置き、電話の向こうでため息と共に、どっかの詐欺のような名乗り方をしたのは、ロンガ・タイムという男性だ。

『アルスくん、自分から私の名前を言っちゃ駄目ですよ。別人だったらどうするんです?』

「俺がロンガさんの声を聴き間違えるわけないです! それより、どうし――うっ!?」


 ロンガはアルスにとって恩人だ。病が流行る故郷の村からアルスと家族を連れ出してくれた人であり、尊敬に値する人物だ。医師でもあるロンガは忙しく、やり取りはほぼ手紙。

 そんなロンガと会話ができるとあって嬉しいアルスの声を、騒々しい二人が遮った。逃げていた少女がアルスにタックルしてしがみついてきたのだ。『もうちょっと可愛らしく静かに盾にしてくれればいいのに』と、思ったアルスだが、結構な腕力でしがみつかれ、不用意な言葉を口にするのを思いとどまった。


「アルス助けて! またウルさんが無理矢理男物を着せようとするのよ!」

「いいじゃない、今回も絶対似合うわ!! それにカイナちゃん的にもお得よ! これ、アルスの服だもの!」

「アルスの……、って、ひ、人を変態にしないでください! そんなもので喜びません!」

「そ、そんなものって……」


 顔を真っ赤にしてアルスの服を『そんなもの』と言い捨てたのはカイナ・ルイスツール。茶色いフワフワの触り心地が良い腰まであるウエーブのかかった髪。瞳は髪とお揃いでその容姿は可愛らしいのだが、腕力は可愛くない。これ以上力を入れられたらアルスの腹筋では対抗できずに腕がめり込んできそうだ。


「ウル! お前、俺の服を勝手に持ち出すな! っていうか、どうやって屋敷に忍び込んだ!?」

「この世界で私に不可能はないわ! だって私は悪王ウル・ティムスだもの!」


 『悪王の再来』ならず、自分を『悪王』と言い張るのは、どう見てもアルスやカイナと同い年、十五歳かそこいらの金髪と黄金の瞳を持つ少女だ。少々きつめの目つきも顔立ちの良さをより引き立て、美少女と言って差し支えないが、カイナを無理矢理着替えさせようと、アルスのワイシャツを持ち、カイナにじりじりと詰め寄るその姿は変態だ。少々鼻息が荒くなっているウルの背後に酔っ払ったおっさんの幻が見えたアルスは、頭を抱えた。


『あのー、アルスくん?』

「あ、ごめんなさいロンガさん。それで、今日はどうしたんですか?」

『ウィータに代わってください』

「買い物に出てまだ戻ってませんよ?」

『この時間に? もう日が暮れますよ。今日から日没時間が早くなるんですけど……』

「そういえば……。俺、探しに行きます」

『なら、カイナ様に代わってもらえますか』

「はい。カイナ、ロンガさんだ。ウル、お前はこっちにこい!」

「ああぁぁ……、カイナちゃーん!!」

「もしもし、タイム先生? ご無沙汰してます!」


 アルスがウルの首根っこを掴んで部屋から出ると、駄々をこねる子供のように手足をばたつかせて彼女が抵抗した。「カイナちゃーん!」と、諦め悪く手を伸ばすウルだったが、家の玄関まで引きずられると流石に抵抗を止め、さっさと立ち上がった。

 やっと少々きつめの美少女が出来上がった。


「邪魔すんじゃないわよ」

「カイナが嫌がってんだからやめろ」

「とか言っちゃって、本当はカイナちゃんにこの服着てもらえたら嬉しいでしょ?」


 そう、ウルはアルスのワイシャツをはためかせたが、それはすぐさまアルスにもぎ取られた。


「俺を変態にするな、ド変態!」

「何がド変態よ! 私は、ただただ純粋にカッコかわいいカイナちゃんが見たいのよ! アルスだって、ちょっと大きめの自分の服着たカイナちゃんが見たいでしょ!? 見たいはずよ! 当然よね!」


 嬉々として同意を求めるウルに、アルスは「真面目に応じたら思うツボ思うツボ……」と、変な想像を握りつぶした。


「……勝手に決めつけるな。ウィータさんを探しに行くからお前も手伝え」

「ああ、もう日没だものね。ウィータさんの不思議体質も相変わらずねぇ。ん? ……あー、でも、その必要はないと思うわ」


 ほんの少しだけ耳を澄ませたウルは、サッとドアの前から避けた。

 バン!! と勢い良く開いたドア。それ自体は問題ない、ドアは外開きだ。だが、開いたと同時に飛び込んで来た物と人にアルスは後頭部から床に打ちつけられた。


「―――――っぅ!?」

「セーフ!! かしら? あら、アルス!? 大丈夫!?」


 アルスと買い物袋をクッションにして座り込んでいるのは、黒い髪と金と黒の光彩異色の瞳の女性、ここの家主のウィータ・ライフだ。アルスとウィータの髪色は同じで、顔立ちは姉弟と言っても差し支えがないほどには二人は似ていた。ただ、アルスの瞳は両目とも黒だが。


「――――っ。大丈夫です……。ウィータさんに怪我は?」

「滑り込んだから平気よ」

「な、ならいいです!」


 耳と尻尾があれば力なく垂れ下がっているであろうウィータの申し訳なさそうな表情に、アルスの声が上ずった。しゅん、としているウィータを見ていると、彼女に怪我がなければ自分が痛い思いをした甲斐があると思えてしまう。アルスが後頭部をさすりながら自分の足に乗っているウィータにホッとしていると、背後から刺すような視線を感じてゆっくり振り返った。


「……早く、アルスの上からどいたらいかがですか? ウィータさん」


 やや白けた顔を部屋から出しているのは、ロンガと電話中のはずカイナだ。その手にはしっかり、しっかりと、しっかり過ぎるほどに握られ微妙に小刻みに動く受話器があった。


「カイナ、ウィータさんは夜になると立てないんだぞ。もう日が落ちたんだ、無理を言うなよ」

「そう、そうだったわね! ごめんなさい、私としたことがすっかり頭から抜けていたわ」


 カイナは、そう、ニコリ、と可愛らしく微笑むと、受話器に向かって叫んだ。電話の向こうのロンガの耳が心配なほどの声量で。


「……タイム先生!! アルスがウィータさんに手をつけようとしてます!!」

「カイナ!? 違いますよ!! ロンガさーーーん!!!」

「『あはは、アルスくんは年上好みですか?』 ですって」

「そうなのアルス? 残念だけど私、年下は対象外よ。あ、でも、あながちそうとは言い切れないかしら。うーん、でもあれはねぇ……。何せ、私が現役のときとは時代が違うものねぇ」

「……なにおばあちゃんみたいなこと言ってるんですか!! ウル! 車椅子!」

「はいはい」

「ありがとうウルちゃん。カイナ様、ロンガでしょう? 代わってください」


 車椅子を操り軽快に足をすすめたウィータがカイナから受話器を受け取ると、「もしもし?」とすぐに話し込んでしまった。代わりにカイナがアルスに一瞥くれた。


「アルス、二階に行くわよ」




 ウィータの家の二階は、大通りから住宅街へと入ってすぐのところにある。日が落ちて間もないこの時間、街灯が灯る街は家路を急ぐ人が多く、大通りから住宅街の細い路地へと向かう人の流れができている。その流れをアルスは窓から眺めていた。部屋の明りは消し、壁に張り付き、人々の後頭部を見送っているのだ。カイナはアルスの後ろから首を限界まで伸ばして覗いている。


「カイナ、それで見えるのか?」

「だ、大丈夫よ。でも、アルスが私の代わりにちゃんと見てて!」

「二階から下を見るのすら怖いって、高い所が怖いにしても、過剰じゃないか?」

「しょ、しょうがないじゃない! 大丈夫よ、いざってときは平気だから! それに下を見なければ大丈夫だもの! それよりちゃんと見なさいよ!」

「見てるよ……、ほら、来た」

「本当にウィア?」


 人混みの中でも見間違わない。金髪をベースにした髪に茶色が混じるポニーテール。結んでいる水色のシュシュはその人物を特定する十分な特徴だ。人混みを迷うことなくすり抜けて奥へと進んだ『ウィア』という少女。騒々しくやっかいなウルに会うかもしれないにもかかわらず、アルスとカイナがウィータの家に来たのはこのためだ。


「追うわよ!」


 声がしたと思ったら、すでにカイナは部屋の外だ。そのままカイナとアルスはウィータの家を飛び出た。


 とはいかなかった。


「アルス、ロンガが話したいそうよ」


 その思わぬトラップにアルスは律義に足を止めた。玄関では、キィ、と開いたドアが、バタン! と勢いよく閉じられカイナに置いていかれたアルス。慌てて受話器を受け取り「もしもし?」と、耳を傾ければ、『アルスくん、前にも言ったんですけど……』と、穏やかそうな声が聞こえて来た。


『不用意にウィータに触れては駄目ですよ』

「す、すみません!」

『あと、無茶はしないでくださいね。『女王陛下のお気に入り』の……、下僕でしたっけ?』

「従僕です!」


 ウィータに電話を突き返し、アルスはカイナの後を追った。

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