第17話 誓約

 田沢が里に来たのは、それからしばらくたってからだった。

 今日は、下弦の月。月齢的には、不利だが、ギリギリ何とかなるくらい。

 あれから私は晦冥と相談の上、結婚を一応承諾することにした。だって、私が断わったら、伍平夫婦の立場が悪くなるもの。

 承諾すると告げると、伍平夫婦は反対した。私の本当の気持ちを知っているから。でも、結局、周りの圧力もあったりして、了承しないといけなくなった。二人は、何度も何度も謝ってくれた。

 もちろん、私は、泣き寝入りなんてしない。

 問題は、どこまで穏便にすませるかってこと。

 晦冥と私が組めば、一族郎党根絶やしにだってできるかもしれないんだけど……さすがに、それはどうかと思うし。

 私の『人形』を嫁がせて、私自身はとんずらするって手もある。でも、相手が私の力を知って、縁談を申し込んだとすれば、その手は使えない。

 田沢は、護衛をかなりの人数を引き連れてきた。二十人はいる。すべて何らかの武装をしていた。

「ひさしぶりですなあ」

 伍平の家を訪れた、田沢がにこやかに挨拶をする。

 腰には太刀。いっしょに来た護衛の背には、弓。あの山道、そこまで物騒ですかね? って思っちゃう。戦でも仕掛けるような雰囲気だ。偉い人なので、備えは必要なのだろうけど。平和な里への来訪にしては、大げさすぎる。ひょっとしたら、この武装は、私への脅しかもしれない。

「ようやく、もみじさんをお迎えに来ることができました」

「……どうも」

 私は一応頭を下げる。本当は晴れ着のひとつも着るべきなんだろうけど、私は普段着のまま。

 もっとも私が着ているのは、天界の衣である。丈夫だし、こっちの上流階級の人間の衣装の素材並みの着心地の良さなの。ただ、まあ、あくまで普段使いのものだから、柄や色は特別って感じじゃない。

 伍平夫婦がケチって晴れ着を作らなかったわけではなくて、私が絶対いらないから作らないでと、お願いしたのだ。

 だって、全然嬉しいことじゃない。むしろ悔しい。こっちは最初から断っているのに強引で横暴だ。伍平夫婦が借金でもしてるなら別だけど、そうではない。断れないように圧力かけるなんて、やり方が汚い。

 田沢に対して弱みがあるとすれば、私が子飼いの男をぶん投げちゃったことと、ただで芋がゆをもらったことくらい。それって、そこまで罪なことなんだろうか?

 だから絶対に、社交辞令でも『喜んで嫁に行く』なんて言いたくないし、思われたくない。このあたり、里の人にもわかってほしい。伍平夫婦は授かった娘が『玉の輿』で幸せ、なんて勘違いしてほしくない。

「こちらは手土産になります」

 伍平の家の前に、米俵と酒樽が積まれた。かなりの量だ。里の人間に振舞う分は別で、そちらは村長の家に運んだらしい。

 なんというか。

 こんな風にされてしまうと、里の人間はやっぱり『玉の輿』で『めでたしめでたし』って思うんだろうな。人気取りがとても上手だ。これで、私が途中で脱走したり、離縁したりしたとしても、田沢に傷は全くつかないだろう。下手を踏めば、私は当然だけど、伍平夫婦の立場もまずくなる。

「嫁ぐにあたり、お約束をいただきたいと思います」

 私は田沢を睨みつけながら、一枚の板を差し出した。まな板より少し大きいくらいの板である。

「なんだね?」

「私の出来不出来にかかわらず、田沢さま存命中は、この里の税を上げないとお約束くださいませ。そうでなければ、怖くて、とても嫁には行けません」

 村長に頼んで、筆と墨は用意してもらっている。

「ほほう?」

「私が嫁ぐことで、里の税を下げてくださるのは、ありがたいですけれど、田沢さまのお心が私から離れた時、この里にしっぺ返しが来るようでは、安心できません」

「私の心変わりを心配しているのかね?」

「当然でございましょう? 人の心は熱しやすく、冷めやすきもの。田沢さまは、おそらく私を珍しい玩具として興味を持っていらっしゃるだけ。そばに置けば、実はつまらなき女だとお気づきになられ、遠ざけるようになるやもしれません」

「相変わらず、面白い娘だ」

 にやりと田沢は笑う。

「こちらにご誓約を」

 本当は紙を用意したかったけれど、さすがにそんなものはすぐに手に入らない。

 考えようによっては、板なら、逆にみんなの目が届くところに固定して、盗まれたりしないようにすることも可能だ。

 伍平夫婦はおろおろしながら、私の後ろに立っている。

「たやすいことだ」

 田沢は筆をとる。

「私の存命の間、でよいのか?」

「そうですね。子々孫々まで、などとは申しません。もちろん、そう書いていただければ、一番ありがたいですけれど」

「ふむ」

 田沢は不思議そうな顔をした。

 そもそも、そんな長い約束をしたところで、守られるわけがない。田沢存命中の間、というなら、破談となったとしても、書が残っていれば、里への約束は破れない。いざとなれば、都に訴え出ることもできる。

 私が注視する中、田沢は丁寧に字を書く。

「税を上げない、ですよ?」

 筆が止まった田沢に、私は指示をする。

「そなた、字が読めるのか?」

 田沢が呟く。

「そうですね」

 書くのは多少怪しいが、一応、地上界の文字もひととおりは読める。里の人間だと村長が数をやっと読めるくらいみたいだけど。天界人をなめないでほしい。

 田沢の目が、一瞬ギラリと光ったが、私の要求通りの文言を書き入れ、自署した。

「ご両親は、春ごろに祝言をあげますので、その折、屋敷の方にご招待させていただきますよ」

「……もみじをよろしくお願いいたします」

 伍平は平伏して頭を地にすりつけた。

 私は田沢の書いたものを伍平に渡し、伍平の手を取る。

「もみじちゃん!」

 涙ぐんだタミさんが、横から竹の皮でくるんだつつみをくれた。

「これくらいのことしか、出来なくてごめんね」

「タミさん……」

 私は胸が熱くなる。

 私がここにきて、まだ一月も立っていない。

 本当は親子でもなんでもない。ここまでしてもらう理由はないのだ。

 こんな面倒に巻き込まれてしまったのも、私がたまたま落ちてきたから。それだけなのに。

「大丈夫。すぐ会えます」

 私は二人に囁いた。

 絶対、田沢の化けの皮をはいでやる。

「では、参りましょうか」

 田沢に促され、私は用意された輿に乗った。



 

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