雪を溶く熱

えーきち

第1話 死ね!

 窓から雪を見ていた。

 ただジッと、雪を見ていた。


 暖かい部屋の中で、鱗のように結露した窓を手のひらで拭って、部屋の明かりが漏れる外の景色を静かにのぞき込んでいた。

 暗闇の中、窓の向こう側だけがぼんやりと明るくて、白くて、そんなモノトーンの景色に自分を重ね、つくりと痛む胸を押さえるように、寝間着にしている黒いジャージを握り締める。雪のような冷たい心。私の寂しい心。


「はぁ、今年のクリスマスイブもひとり、か」


 自然と口をつく言葉があんまりにも惨めで、馬鹿馬鹿しくて、小さなため息をひとつだけこぼして、私は曇り始めた窓をもう一度手のひらで撫でる。

 窓に広がる水滴が、私の手から手首を伝って腕を濡らす。

 冷たい。ああ、冷たい。イライラする。


 クソッ、ヤメだ。ヤメ!

 窓を見ながらちょっと詩的に浸ったところで気分なんて晴れやしない。

 世の中のバカップルがキャッキャウフフしているこんな日に、なんで私は着古したジャージでひとり家に籠もってるのか。問いたい。この世のすべての男どもに。こんなにいい女を放っておいて、どこの阿婆擦あばずれで満足しているのか、と。

 ああ、本当に腹立たしい。


 どいつもこいつも私を差し置いて男と会うとか男と会うとかセックスとか。

 ダチどころか後輩ですらひとりも連絡してきやしねぇ。ちったぁ気ぃ利かせろ!

 まったく、どいつもこいつも浮かれやがって。

 死ぬほど積もった県道で車が横転して、一晩中立ち往生するがいい。

 雪の重みで電線切れて、停電したラブホの中で凍えてしまうがいい。

 死ね! カップル、死ね! リア充爆発しろ!


 ピンポーン。


 唐突にインターホンが鳴る。

 チッ、誰だこんな雪の日の夜に? 地蔵に笠をかぶせた覚えはないぞ?

 お歳暮かサンタクロースかイケメン以外だったらボコボコにして追い返してやる。


「おーい、美冬~! いるのはわかってんだ。シカトこいてんじゃねぇぞ~?」


 ズキンと胸に痛みが刺す。血が滲むくらい、ギリリと唇を噛み締める。

 この声は、この忘れたくても忘れられない、聞いただけではらわたが煮えくり返るような聞き覚えのある声は、アイツしかいない。

 牛鬼秋人うしきあきひと――私の喪女もじょ街道をご丁寧にインフラ整備してまわりやがった憎き男。

 殺す。ぜってぇ、殺す。どこだ、木刀は? どこに片づけた? 鉄パイプでもいい。そう言えば、メリケンサックがどこかにしまってあったな?

 取りあえずキッチンから包丁片手に玄関へ急ぐ。そこには、相変わらずのリーゼントと趣味の悪いジャケットに積もった雪を払う秋人がいた。


「テメェ、どの面下げてウチの敷居を跨ぎやがった! 忘れたとは……」


 くすんだ板張りの玄関に大きなボストンバッグを投げるように置き、秋人は突然土下座をする。それを冷ややかに見おろす私の、包丁を握り締めた手に力が入る。


「美冬っ! やらせてくれ!」



「……………………はぁ!?」



「一回でいい……や、二回でも三回でも、何なら朝まででもバッチコイだが、とにかくその色気のねぇ服を今すぐ脱いでオレの胸に飛び込んで……」

 ゴンッ!!


 力の限り、秋人の頭に足を踏み下ろす。秋人がゴタゴタ訳のわからないことを言っているウチに、生地の厚い靴下を脱いで素足で。床板に額を擦りつける秋人の頭の上で、グリグリと足に捻りを加える。


「あぁん? 色気がなくて悪かったな! 死ね! 今すぐ死ね!! 死んでしまえ!!!」


 頭の横についた両手に力を込めて、私の足を後頭部に乗せたままググッと起きあがる秋人。この馬鹿力は相変わらずだ。変わってない。


「わかった。悪かった。いきなりやらせてくれはさすがにマズかった。順序――そう、心の準備が必要ってことだろ? じゃあ、まずおっぱいでも……」

 私は下駄箱の上に置かれた受話器を取り、四角いボタンを三回押した。


『はい、長野県警です。どうされましたか? 事件ですか? 事故ですか?』

「ウチに変質者が乗り込んで来て、服を脱げって……やっ!」

『もしもし? もしもし、もしもしっ!?』


 秋人に奪われた受話器から聞こえていた声がぷつりと消える。受話器を握り締める秋人の手がブルブルと震えている。やめろ、ゴリラかテメェは? 握りつぶす気か?


「おい、美冬~? ガキの頃からずっと一緒だった元カレ様に対して、110番はさすがにねぇんじゃねぇ? 最近はポリ公とも仲良くやってんだからよぉ、水差すなよ」


 笑ってんじゃねぇよ。馬鹿じゃねぇか、この男は? 当たり前だろが。二十歳も過ぎて警察の厄介になってる方がアホだわ。ちったぁ大人になりやがれ。

 秋人は玄関に座りポンポンとボストンバッグに手を置き、私をすいっと振り返る。


「何だよ、まぁ中に入れ、とかねぇの? 愛しの元カレ様がこんな寒ぃ思いして来てやったってぇのに」

「誰も呼んでねぇだろが! 早く出て行け! 二度と私の前にその汚ねぇツラ出すな!」

「相変わらずつれねぇなぁ」

 キサマは相変わらず人の話を聞かねぇな。


 改めて、マジマジと秋人を見おろす。

 さっきまで秋人に積もっていた雪は、うっすらと髪を濡らし、ジャケットに暗いシミを作っていた。

 もう二年は会っていなかった秋人。ガキの頃からずっといっしょだった秋人。ずっと背中を追いかけてきた秋人。前より少しだけ痩けた頬がさらに無骨な雰囲気を醸し出していた。


「どこか――行くのか?」


 雪の日の夜に、大きなバッグをひとつ。気になる訳じゃないし、聞いてやる必要もないが、解せない。不必要に馬鹿でかい体に雪を積もらせて、わざわざウチまで歩いて来た意味がわからない。近所に住んでいながら二年も音沙汰がなかったクセに。

 どうせ女にフラれたとかそんなくだらない理由で、ウチに転がり込んで来たに違いない。


「車はどうしたよ? あのクソやかましい下品な音がする32サンニーは?」

「売った」

「あ!?」

「ちょっと小銭が必要でな。東京で会社をやろうと思ってんだ」


 何言ってんだ、コイツ? 高校の頃、あんなにあこがれていた車なのに、死ぬまで乗り続けてやるなんてほざいていた車なのに、それを売っただって?

 馬鹿も休み休み言え。喧嘩ばかりで碌に勉強もしてこなかったクセに、金の勘定すら私に任せていた甲斐性なしのクセに、会社を立ち上げる?

 シナプスが絡まってんのか?


「秋人、知ってるか? 最近、風俗は厳しいらしいぞ?」

「バッカ、誰が風俗店やるっつったよ? 何なら美冬を雇ってやってもいいぞ? 初めてでも大丈夫だから安心しろ。オレが手取り足取り……」

「だ、誰が初めてだって!? 死ねよ、秋人。何なら私が殺してやるわ!」


 包丁を振り上げる。

 この世の女のために、コイツは今ここで息の根を止めておくべきだ。

 慌てて組みついて、包丁を握り締めた私の手首を取る秋人。


「ヤメろって、ケガすんじゃねぇか。ちょっと、ほんのちょっとでいいんだ。先っぽだけでも、な? 頼むよ」

「離せ、けだもの! チッ、痛ぇだろが、このゴリラ! や、ヤメ、んっ、だ、誰が乳さわっていいって言ったよ。クソッ、死ね、死ね!」

「やるのがダメならせめておっぱいだけでも吸わせて……」

「アホか! 離せ、離せ!」

 ガラッ……


 突然、開く玄関の引き戸。玄関から漏れる灯りに白く浮かぶ雪と、その向こう側で暗闇の中に踊る回転灯と、紺色の制服に白い綿雪を飾り震える手で拳銃をかまえる警官。


「手を上げて刃物を床に置け! 今すぐその女性から離れろ!」


 目が点になる。秋人の目も。警官の目が燃えている。

 雪を溶かすくらい、熱い正義感に。


「ちょっ、待て。オレは刃物なんざ持っちゃ……」

 パンッ!


 雪深い田舎町の古い一軒家で、映画の中でしか聞いた事のないような短い銃声が響いた。

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