第10話 パーティー

 浅倉の提案で、忍たちは十二月半ばに小さな結婚式を兼ねたパーティーを開くことにした。

 かつて浅倉の彼女が望んだことだ。忍がそれを気にするのではと浅倉は気に病んでいたようだが、忍はキッパリ首を振った。

 申し訳ない気持ちがなかったわけではないが、結婚式を開くことも、それを急ぎたかった理由も知っているからだ。


 急だったこともあり、お互いの家族と友人を招いただけの小さな結婚式だ。彼の家族や友人からは、四年も待ったからもう待てないのだろうと笑われたという。

 会場は意外なことにKAMEYAに決定した。普段そんなイベントは行わないのだが、店主のほうからノリノリで提案してくれたのだという。

 いぶきをはじめ、イベントに強い人が多かったためか、あれよあれよという間に準備が整った。

 企画は浅倉で、彼の学生時代の友人が積極的に動いたことも大きい。それは一般的とは違う、少し特殊な結婚式だっただろう。


 パーティーを開くことをいぶきに話した日。浅倉はいぶきに「入場の時、一緒に歩いてくれないか」と頼んだ。

「いぶきちゃんのバージンロードを一緒に歩くのが夢だったんだ。立場は逆になっちゃうけど、君の父親になるものとして、一緒に歩いてくれないかな」

 その願いに、娘は快く応じた。

 忍のほうは瑛太に頼むことになった。

 その式の中で、もうひとつ、あることをしてほしいと。




 そもそもの事の起こりは、十一月に入った日のことだ。いぶきが早朝に悲鳴を上げて、忍の寝室に駆け込んできた。

 驚く忍にギュッと抱き着きしばらく震えていたいぶきは、そのまま気を失ってしまった。しばらくして意識を取り戻し「なんでもない」と謝ってきたが、いぶきが熱を出していたので忍は仕事を休み、KAMEYAにも娘が休む旨の連絡をさせる。

 昼にはすっかり熱が下がったのだが、いぶきは何か考え込んだまま、その日は忍に何も話してくれなかった。

 やっと話してくれたのは一週間近くも経ってからだ。


「もう一人の私と一緒になったの」


 いぶきの話では、夢の中の違う世界の自分と一体になっていたのだという。今までも夢で見ることはあったが、その日は完全に違う、夢の中の自分として生活していて、朝目が覚めた瞬間恐怖でパニックになったのだそうだ。

 だがこの一週間同じ体験をし、もう一人の自分もこちらの記憶を共有していることが分かった。

 だんだん一つの体に馴染もうとしている準備段階に入ったのだ。

 「どんな世界?」と尋ねた忍に、ドレスの世界だったといぶきは苦笑した。


「トイレは水洗みたいな感じだったよ。シャワーもあったし、お風呂もあってよかった」

 本気で心配していたことはクリアだったようで、忍も我知らずホッと息をつく。

「ただやっぱり現実とは思えないのは……魔法がある世界だったことだわ。ありえない。何あれ。ほんとありえないんだけど」

 よっぽど衝撃を受けるものがあったらしい。

「あとやっぱりおばあちゃん、超能力者じゃないかしら? 私の名前って、おばあちゃんたちが付けてくれたのよね?」

「そうだけど、何かあったの?」

「うん。向こうの私の名前、イブだった。イブ・ロード・マッケンジー。髪は栗色で目はグリーンだったけど、顔は変わってないの」

「まあ」


 おかげで、名前にも姿にもさして違和感がないと、いぶきは苦笑いを漏らす。「私と似てるからお母さんが選ばれたのかな」と言われ、そうかもしれないと忍も頷いた。イブの母親は、彼女を産むときに亡くなっているそうだ。あの何かは、亡くなったその母親だったのかもしれないと思い、忍は胸が痛んだ。

 忍の訴えに気づかわしげだった姿は、女性のようだったようにも思ったのだ。


 だが一つ、いぶきが変わった点があった。

「向こうの私と話す――とは少し違うか。うん、これから生きる自分を見て考えたときに、後悔したくないって強く強く思ったの。だから今更だけど……瑛太君に本当のことを話す」

 もうすぐ、自分に関する何もかもが消えてしまうことを話す、と。

「そのうえで、もし……もしも彼が浅倉さんみたいに受け止めてくれたら、……告白する。初めて会った時からずっとずっと大好きだったって、ちゃんと言う」


 イブという女の子は恋をしたことがないのだという。してはいけない立場だったらしい。

 彼女には結婚することが決まった、顔も知らない相手がいるのだそうだ。

「すごく怖い。嫌だし、逃げたい。でも逃げられないことなら、せっかく自由に恋できる今だけでも、精一杯恋をしたいと思ったの。大好きって気持ちを隠したくないの。バカだよね、私。友達でいようと思ったのに、もう忘れられたくなかったのに。それでも今は、忘れてくれていいから、好きだって知ってほしいなんて。ほんと、バカ」

 泣きじゃくりながら、それでも彼をだましたくないから、真実を告げるのだと言う。

 イブと記憶を共有するようになったので、彼女も瑛太に恋をしたのだ。イブの願いも叶えたいと、いぶきは真剣だった。


 異なる世界で違う人間として生きる。それを先に知ることが出来るのは、幸運なのだろうか、不幸なのだろうか。


 逃がしたかった。

 可能なら、忍はいぶきを遠くに逃がしたいと強く思った。

 どうしてこの子は帰らなくてはいけないのだろう。二つの体があるなら、そのまま二つに分かれて生きてはいけないのだろうか。

 いぶきは私の娘なのに。私の大事な娘なのに!


 でも忍にもいぶきにも為す術がなかったから、結局忍は、涙を流す娘の頭を撫でることしかできなかった。何もできない自分の無力さが悲しくて悔しかった。



 その後の金曜の夜、いつものように成人式実行委員会の会議の後、いぶきは瑛太に話をしたという。帰りは深夜というより明け方に近いくらいだったが、

「大好きって、言えたよ」

 いぶきはそう言って笑った。たくさんの話をしたと。十六年分を埋めるように、もっとたくさん話そうと約束したと言った。


 だが離れて暮らす二人が会えるのは、金曜の午後から日曜までだ。

 大学を休むと言う瑛太を、いぶきは許さなかった。

 いぶきが言うには、お互いの気持ちが通じたとはいえ、無責任なことをしたらその瞬間、強制的に向こうに引きずり込まれる可能性が高いらしい。お別れの挨拶もできないままにだ。

 触れることさえままならない。だがそれでもいいと、限られた時間の中でお互いを慈しむ二人は、はたから見れば世界一幸せな恋人に見えたことだろう。




 結婚パーティー用に、忍は二人分のシンプルなドレスを用意した。

 忍自身のためなら式だってドレスだっていらない。でもこの結婚パーティーは、忍と浅倉の夢のためであり、いぶきと瑛太のためのものだ。

 忍には落ち着いたグレーのドレス。

 いぶきには象牙色のドレス。ベールをかければウェディングドレスに見える、かわいらしいものを選んだ。

 試着した写真を見た美奈子が楽しそうにからかってきたそうだが、瑛太には当日までのお楽しみだと言って見せなかったらしい。


「瑛太君、可愛いって思ってくれるかな」

 少し不安そうないぶきを笑い飛ばす。

「お母さんが腕によりをかけてヘアメイクするのよ? むしろ惚れ直すに決まってるじゃない」

 こんなかわいい娘が本気でめかしこむのだ。たとえ瑛太がいぶきに恋をしてなかったとしても、そんな姿を見たら確実に恋に落ちるだろう。

「お母さんが、なんだか勇ましい」

「失礼ね。頼り甲斐があると言って」


 いぶきのためにできる事は限られている。本気を出さないわけにはいかないだろう。


  * * *


 パーティー当日。

 色とりどりの花やガーラントで飾り付けられたKAMEYAは、いつもよりもぐっと華やかな雰囲気だった。

 忍といぶきは亀井家の第ニリビングをお借りして着替えをしたのだが、手伝いをかって出てくれた亀井夫人と美奈子の興奮ぶりがすごかった。二人とも「まあ」とか「きゃあ」としか言ってないのだ。

 美奈子など、途中からいぶきを見て泣き出してしまい、せっかくのメイクが崩れてしまう。何も事情は知らないはずなのだが、何か感じているのだろうか。いぶきも泣きそうなのをこらえているのが見て取れた。


「時間もありますし、お二人のメイクもしましょうか」

 ふと時計を見ながら忍が提案すると、

「「いいんですか⁈」」

 二人同時に目が輝く。

「ええ、もちろん」


 美奈子の髪は、よく見ればいぶきとおそろい(だがパッと見は印象が違う)に整えた。亀井夫人は普段子育てで忙しく、おめかしするのは久々なようで、ずっと頬を紅潮させている。

「なんだか、瑛太君の結婚式のような気がしちゃって。ずっと緊張してたんですよ」

 そう言って微笑む夫人はいぶきに向かって、「将来瑛太のお嫁さんになってね」と、冗談とも本気ともつかない口調で言った。それに対しいぶきは、恥ずかしそうに目を伏せる。


 入場はいったん外に出て、入り口から入ることになっていた。

 ドレス姿では寒いのだが、外で待っていた浅倉と瑛太、それぞれの食い入るような視線に、忍もいぶきも赤くなる。

「じゃあ、入場です」

 浅倉の友人の合図で、まずいぶきが浅倉の肘に手を添えた。忍も瑛太の差し出す肘に手を添える。

 忍、瑛太、いぶき、浅倉の順に並び入場する姿は、ぱっと見いぶきと瑛太の結婚式に見えるはずだ。

 人前式ということで、前中央に置かれた婚姻届けに浅倉と忍が署名をする。

 その保証人の欄に、いぶきと瑛太が署名をした。

 これが二人に頼んだもうひとつのことだ。


 浅倉が完成したそれを掲げて見せ、大きな拍手が鳴り響く中、こらえるように嗚咽を漏らしたのは瑛太だった。

「ごめん。でも、……ごめん」

 懸命に涙を止める瑛太は、まるで自分が結婚したようだと言いたかったのだろう。

 浅倉と笑みを交わし、それぞれ子どもの肩を軽く叩いた。

 周りの囃し立てる声に応じ、浅倉は「忍さん、愛してるよ」と、忍に羽根が触れるような誓いのキスをした。その後忍はいたずらっぽく、瑛太の背を押す。

「二人もね?」

 たぶん大丈夫だとの確信があった。いぶきも頷いた。もしいぶきがここで消えたとしても、悔いはないと。

 瑛太が浅倉にならって何かささやき軽いキスをいぶきにすると、会場中がさらに盛り上がり、パーティーが始まった。

 幸せそうな娘たちの笑顔と、心から祝ってくれる家族と友人。

 忍は浅倉に寄り添い、零れ落ちる涙をそっとぬぐう。

「ありがとう、浅倉さ……ううん、直人さん」


 本当の意味での記憶は忍といぶきにしか残らない。

 だが一生忘れることのできない、幸せな結婚パーティーになった。

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