第7話 浅倉の話

 浅倉の誘いに応じ、忍が選んだ店はKAMEYAだ。


「本当にここでいいんですか?」

「はい。いぶきが働いてるから、あまり来たことがないんですよ」

 コインランドリー併設のこの店は個人店だが、雰囲気は小洒落たファミレスだ。駐車場は広く、料理の値段も手ごろでドリンクバーもあるし、いくつか個室もある。

 市街地を外れれば雰囲気のいい店も多いが、KAMEYAなら自宅まで歩ける距離でもあった。

 ――あと、もしかしたら噂の彼も見られるかもしれないし。

 そんな下心もあったのだが、タイミングが良かったらしく個室の席がとれ、担当してくれたのが手伝いに入っていた亀井瑛太だった。もちろん彼には忍が誰だかは分からないはずだし、言うつもりもないのだが。


 実物の瑛太を見た忍は、美奈子の言った事が腑に落ちた。

 言葉で説明できるものではないのだが、欠けたピースがピタリとはまった感じというのであろうか。理屈ではなく、ただただ直感的に、この子はいぶきの隣にいる人だと思った。それは鳥肌が立つような感覚で、思わず腕をさする。

 もしもこの感覚を娘本人も感じたのなら、これほど残酷なことがあるだろうかと足下が崩れるような気持ちになった。いっそすれ違ったままだったらよかったのにと思うほど、目の前が暗くなる。

 それでもいぶきがここでバイトをするようになったのは偶然とはいえ縁だし、美奈子がいなくても結果は同じだったのかもしれない。


「佐倉さん、どうかしましたか?」

 青褪める忍に、浅倉が不安そうに声をかける。

「いえ、なんでもないです。今の子、ずいぶんかっこいいなぁと思って」

 せっかく移動の車の中で気持ちがほぐれたところだ。適切な距離感のあるとき、浅倉のそばはいつも居心地がいい。

「ああ、今の彼、ここの息子さんらしいですね。モデルもしてるって噂ですよ」

 穏やかに微笑みかけてくる浅倉に、忍は慎重に壁を作って笑顔を見せた。

「そうなんですね」



 オーダーを済ませそれぞれ飲み物を取ってくると、しばし沈黙が落ちる。

 さて、ゆっくり話せといぶきは言うが、何を話せばいいのだろう。さっきまでは、いぶきが今行ってるキャンプについて、夏休み中に行われなかった理由など話していた。市の主催だからシーズンを外したのだろうとか、大雨で大変だったかもなど、普通の雑談だ。


 ふと忍は、浅倉と知り合った日を思い出した。

 忍のほうは、いぶきと恒例の二人キャンプだったが、浅倉のほうは彼の姉家族と一緒に来ていたように思う。浅倉は結婚したことはないのだろうか?

「あの」

「あ、はい! なんでしょうか」

 忍の問いかけに、びしっと姿勢を正す浅倉が面白くて、つい笑みがこぼれた。

「いえ、浅倉さんは結婚って」

 したことがあるのですか?

 そう聞こうとした言葉に、

「佐倉さんさえOKしてくれるなら、今すぐにでもしたいです!」

 身を乗り出すように意気込んで返事をされ、思わずキョトンとした。

「えっと、結婚のご経験はあるのかなって、お聞きしたかったんですけど……」

「あ……」

 目の前で大の男が耳まで真っ赤になるさまを見て、忍の頬も熱くなった。


 今の浅倉は、離婚したときの元夫と同じ年だ。

 あの頃の忍は、三十八歳というのは遥かに大人で、とても遠い未来の話だと思っていた。なのに今の忍はその年を超えてしまい、目の前にいる三十八歳の男性が小さくなる姿に妙に愛しさがこみあげてくる。

 自身も変わったのだと感じた瞬間、少しだけ涙が込み上げてきた。

 いぶきとの制限のある時間だけを意識してきたのに、自分の中も変化していたのだ。時は止まらない。それが悲しくて愛しくて、とても切なかった。


 ほぼ同時に注文の品が運ばれてきて、しばらくそれを食べるのに集中していると、浅倉が意を決したように顔を上げ、ぽつぽつと自身のことを語りだした。


「俺は――、二十五の時に結婚しようとしたことがあります。いわゆる出来婚ってやつです」




 浅倉と彼女は大学からの付き合いだった。

 彼女は母親を早くに亡くした父子家庭だったが、やっと仕事が慣れた頃父親までもを自損事故で亡くした。その矢先に、妊娠していることがわかったのだ。

「この子を支えなきゃって思ってたから、妊娠はびっくりしたけど、結婚は迷わなかったんですよ。いずれそうなるだろうって漠然と考えてましたし、子どもも楽しみでした」

 遠いところを見るように話す浅倉に、忍は黙って頷く。純粋に浅倉の妻がうらやましいと思い、胸の奥が小さく痛んだ。


「でもね、彼女が籍を入れるのは待ってほしいって。子どもは産みたいけど、少しだけ時間がほしいって言ってたんです。俺としては、あまり結婚にこだわりもなかったし、彼女がしたいようにすればいいって思ってました。一緒に住み始めたから、形式はどっちでもいいって」


 彼女の夢は結婚式を挙げることだったという。

 父親と一緒にバージンロードを歩きたかったのだそうだ。

 でもその父親が突然いなくなり、お腹に命が宿ったことで突然母親になる覚悟を決めなくてはいけなくなった。それについていくのが精いっぱいだった彼女は、

「子どもが生まれてから籍を入れて、小さな結婚式をあげたいって言ってたんです」


 籍を入れないことに浅倉の両親は少し不服、もしくは不安そうな様子ではあったが、それでも彼女の意思を尊重してくれた。

 大学の友人たちとも相談し、子どもが誕生日を迎えるころにレストランを貸し切りにして結婚式をあげようかと計画していた。


「でも俺、出産って軽く考えてたんですよね。子どもって当たり前に元気に生まれてくるって思ってたんです」


 妊娠期間は何の問題もなかった。胎児が少し小さめかなと言われたが、彼女は楽しそうに浅倉の姉や母とベビー用品をそろえ、家族みんなで子どもを楽しみにしていた。

 それが予定日の二日後、ようやく陣痛が始まり――


「……彼女のお父さんが、孫の顔を見たかったのかな……。でも同時に連れていくことないって思いましたよ。彼女も子どももなんて……」


 当時の記憶は曖昧で、今も夢を見ていたような気がする。

 不穏な空気、慌ただしい院内。何が起こっているのかわからず、気が付いたら葬儀が終わっていた。

「無理やりにでも説得して、結婚しておけばよかったと思いました」

 自分たちの中の思いがどうであろうとも、天涯孤独だった彼女を、戸籍の上では他人のまま逝かせてしまった。


 何年も暗闇の中で単調に生きる浅倉を、家族が支えてくれた。

 もともとアウトドアは仲間内でバーベキューをする程度だったが、姉の夫がキャンプ好きで、姉家族や、時には義兄と二人でキャンプをするようになった。しんとした場所で星を見ながら、ぽつりぽつりと話をして、少しずつ心を整理した。


「義兄と二人の時、なんだかいつも、もう一人いたような気がするんですよ」

 たぶん気のせいだろうが、浅倉の心は救われていった。


「いぶきちゃんに会ったのはそんな時ですかね。笑わないでくださいね。実はあの日、佐倉さん、あなたに一目惚れしたんです」

 忍を初めて目にしたとき、胸を撃ち抜かれたような気持ちだった。それほど強い衝撃を受けた。

 娘と楽しそうに笑う姿を見て、二度目惚れした。

 だが明らかに相手は既婚者だから、気のせいで済むうちに忘れようと忍たちのほうを見ないようにしてたところ、

「いぶきちゃんに、うちのお母さん、ステキでしょ? って」


 その時いぶきと浅倉は、水道で隣同士で米を研いでいた。

 手際のいい子だなと横目で見ていたのがばれたと思って、少し気まずくなった。

 だがいたずらっぽい笑顔を向けられ、気が付いたら昔からの友達のように話していた。こんな子がいたらいいなと素直に思った。亡くなった彼女がバージンロードを父親と歩きたいと言ってたことを、温かい思い出として思い出すことが出来たのだ。

 この子が嫁に行くとき、父親として歩けたら嬉しいだろうな、と。

 彼女の父親もそうだったに違いない。連れて行きたくなんかなかったはずだと、初めて納得し、色々なことが受け入れられた。


「佐倉さんとはもう会えないと思ってました。でも全然忘れられなくて、キャンプ場でまた会えるかなって、未練がましく考えてて」

 こっそり打ち明けた義兄からは、「バツイチだってわかったなら、なぜそこで連絡先を交換しなかったかな」と呆れられた。

「でも、佐倉さんの会社とうちの会社の移転先が同じになって、これは絶対運命だって思ったんですよ」


 今度こそ後悔しないようにしようと決意した。

 幸い、忍の娘は浅倉に好意的だったから、それも自信につながった。

 忍がきっぱりと、「いぶきが大人になるまで結婚なんてしない」と公言していたから、それまでは待とうと思った。本当はすぐにでも行動を起こしたかったが、なぜかできなかった。

「かわりに、障害物は片っ端から排除しました」

「障害物?」

「ええ」


 こんな魅力的な女性を世間がほっとくわけがないのだ。ライバルはことごとく蹴散らした。絶対に忍を幸せにするのは自分だと思った。

 だが意気込みすぎて、肝心なところでコケた。



「俺、ほんとかっこ悪くて。でもいぶきちゃんから、ちゃんと自分のことを話したほうがいいですよって言われたんです。佐倉さんの事情は知ってるのに、俺、自分のことは言ってなかったって、その時初めて気づいて」

 思ってもいなかった浅倉の過去に、忍は息を飲んだ。

 話はたくさんしてきたと思う。彼女のこと以外は。

 それは彼の傷で、話すことで瘡蓋かさぶたをむいたようになってるのではと危惧したが、浅倉の表情はすっきりしたものだった。

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