第4話 鬼の条件
「つっかれたぁ……。というか、色々と一気に起こり過ぎだ」
板張りに直接背中をつけるのは正直痛かったが、寝具を敷くにはまだ早すぎる。寝具と言っても
あの足つきの板は何だろうかと疲れた頭で考えていた時、部屋の外に人影が立った。
「阿曽、いいかい?」
「
お邪魔するよ、と入って来た温羅の腕の中には、何かがいた。
「彼を紹介し忘れていたから、連れてきたんだ」
「……赤ん坊?」
白い布に包まれて眠る、小さな存在。無垢で安心しきったその顔に、阿曽は目を見開いた。
「赤ん坊を見るのは初めてかい?」
「はい、たぶん」
触ってみると良い。そう温羅に言われ、阿曽は恐る恐る赤ん坊の頬に触れた。その柔らかさと温かさに、指をひっこめる。
「ふふっ。どうした?」
「触ってたら、壊れそう」
「大丈夫だ。
「この子が、外道丸」
外道丸は名を呼ばれたことに気付いたのか、うっすらと目を開けた。まだ薄い黒髪は柔らかく、
「お、阿曽を見てるよ」
「えっ……あ、俺は阿曽。よろしくな、外道丸」
「あうぅ」
「ははっ。よろしくってさ」
外道丸は再び目を閉じた。起こさないように気を付けながら、温羅は阿曽の前に胡坐をかいた。
「そういえば、どうして人の赤ん坊を温羅さんが?」
「ん? 少し前に、下界で拾ったんだ。とある山の、鬼のねぐらと地元で呼ばれていた洞窟の前でね」
「拾い児……」
「名前の通りに鬼がいたわけではないけど、異形の何かがいてもおかしくはない雰囲気の場所だったよ」
そこならば、誰にも見つからないと親が思ったんだろうね、と温羅は寂しげに微笑んだ。誰かに見つけてもらわなければ捨て子に明日はないが、彼の親はそれでもいいと思ったのかもしれない。
阿曽にも座るよう促し、温羅は「ここに来て、どう思った?」と尋ねた。
「どう、とは?」
「例えば……。須佐男のきょうだいに会って驚いたとか、突然色んなことがあって整理がつかないとか、何か巻き込まれてるなあとか」
「……それ、全部俺の気持ちなんですけど」
「うん。だろうと思った」
ふわっと微笑んだ温羅は、虚を突かれた顔の阿曽を見つめて、表情を改めた。
「でも、きみを巻き込んだことは後悔していないよ。阿曽には、きみ自身も知らない何かがある。それは、わたしたちにも重要な何かだと思う」
「『何か』って、不確定すぎません?」
「そうだね。でも、この予感は確定事項だ」
ぼんやりとした何かを笑い飛ばしたかったが、温羅の顔がそれを許さなかった。結果、笑い損ねたような変な顔になってしまう。温羅にそれを指摘され、阿曽は慌てて顔を戻した。
ごくり、と阿曽ののどが鳴った。「なら」と阿曽は温羅の目を見つめる。
「俺がこれからすべきこと、温羅さんたちがしようとしていること、それらを教えてもらえませんか?」
「いいよ。食事にはまだ早いからね」
温羅は外道丸の頭を一撫でし、胡坐をかいた膝に肘を乗せた。
「阿曽は、どうして人が堕鬼人になるのだと思う?」
「え……? だ、誰かがそうさせているとか、欲が深すぎて
「うん、大体あってるよ」
鬼には二つ、いや三つある。そう温羅は言った。指を一本ずつ立てて説明していく。
「一つ目は、わたしのような生粋の『鬼』。黄泉の国という高天原ともこの世とも異なる、第三の世界の住民だ。全ての鬼の始まりである『始祖』を祖先としている。黄泉の国は……この世では『あの世』とも言われるね。死んだ人間が送られ、獄卒である鬼の決定に従うところ。でもそれは、黄泉の国の一部でしかない」
「あの世、なら聞いたことがあります。死んで、地獄へ行くのか極楽へ行くのか、決まると」
「地獄と極楽が本当に存在するのか、わたしはそちらの分野には疎くて知らないんだ。始祖から発する鬼も、今じゃ裏で敵味方に別れている。伊邪那美さまが懸け橋になろうとして下さってはいるけれど、きっと分かり合うことは出来ないだろうね」
寂しそうに首を横に振り、温羅は指を二本に増やした。
「その事情はまた今度。で、二つ目は
「自ら、鬼となる……」
「そう。ある者は何にも負けない力を欲し、ある者は決して傷つかない肉体を欲して。……それが、驚異的な力を得る対価を払うことになっても」
相応の力を得るには対価がいる。走るのが速くなりたければ鍛える時間を必要とし、頭を良くしたければ学ぶための書が必要だ。同じように、鬼の力を得るには対価が要る。
「それは?」
「……命の前借り、だよ」
「え!」
「巨大な力を得て、それによって叶えられる願いもあるだろう。だけど、それは長くは続かない。不相応の力には、現世の体がついていけなくなる。成鬼人とは、『泣き人』。途方もない努力と願いが生む、悲しき姿だ」
「……悲しき姿」
「そして堕鬼人は、自らの力ではどうしようもない願いを抱えた人が、人喰い鬼によって変貌した姿だと言われている。人喰い鬼の力でそうなるわけだが、何故か堕鬼人は永遠とも思える寿命を生きる。その中で罪を重ね、黄泉の国で来世を歩む道すら閉ざされる。……前振りが長くなったけど、わたしたちは堕鬼人を減らし、消すために、元凶である人喰い鬼を
理解してもらえたかな、と温羅は阿曽に尋ねた。
阿曽は、自分の両手を見た。森で一人暮らしていたとはいえ、非力な細い手だ。そんな自分が、温羅たちの助けになれるだろうか。それに温羅はああ言ったが、自分に特殊な『何か』があるとは思えない。
自信はない。けれど、阿曽は顔を上げた。
「はい。―――俺は、温羅さんたちと一緒に行きます」
自分に対する不安、そしてその謎を解き明かしたいという思い。更に、助けてくれて居場所を与えてくれた温羅たちに報いたいという素直な気持ち。それらが、阿曽の背中を押した。
「ありがとう。頼りにしてるよ、阿曽」
その時、食事を告げる素兔が姿を見せた。既に須佐男と大蛇は食卓にいるのだという。
「行きましょう、温羅さん」
「ああ。あの二人、腹空かせて待ってるだろうからね」
ぽんっと頭を撫でられ、阿曽は目を見張った。そして、少し温かな気持ちになった。
(兄、という存在がいたら、こんな感じなのかな)
ぐう、と腹の虫が鳴る。苦笑して、阿曽は温羅の後を追った。
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