大切なお友達

〜3.大切なお友達〜




 歌が、聞こえた。

 懐かしいような、それでいて、初めて耳にするような。

 はにかんだように、小さく響く、鈴のような歌が……。


 誰も振り向く者はいない。

 誰一人、足を止めない。

 ただ一人、シェーナを除いては。


「……ルーアン?」


 囁くと、歌が途切れて……


 一時の沈黙。

 その後……


「シェーナちゃん!」


 真横から急に、飛び付かれた。


「久しぶり、変わりはない?」


 ひとしきり抱擁を済ませると、目の前の少女は、久方ぶりのやわらかな笑顔で微笑んだ。

 ヴァルド地方の人間の持つ淡い金髪よりさらに淡く、銀にも見えるプラチナブロンドの髪に、透き通った碧の瞳。走ってきたのだろうか、頬はほんのりと薄桃色に染まっている。


 シェーナよりいくらか小柄なその少女は、名をルーアンといった。

 シェーナが都アフィリメノスにいたころ知り合った数少ない人物のうちの一人だ。


「うん、変わりはないよ、任務はあるけど、外に出られてかえってよかったのかも。……あそこにいるよりはね」


 シェーナは頷くと、ルーアンの手を取って歩き出した。


「ルーアンもここにいるってことは……念のため、雑踏に紛れようか。そのほうがお互い話しやすそうだしね」


 神殿区域を抜け、商業区域の、賑わう大通りへ出る。

 流れる人並みに乗りつつ、賑わう道を選びつつ、シェーナは話した。


「ここ最近、重要な任務でもあったの?ルーアンが関わるってことは……それなりに連携を要する難しいものでしょ?」


 ルーアンは、シェーナと同じ異能者だ。

 そして、異能者の中でも稀な能力を持つ、特能者と呼ばれている。

 そう遠くない範囲にいる自分以外の多数の異能者を察知し、彼らへと想いを伝える能力……それが、彼女の能力だった。

 シェーナのように単独で動く前線特殊部隊員とは異なり、ルーアンは中継地点で味方の異能者へ遠隔の助言をしながら軍部に連絡を取り、連携作業で任務を遂行する、支援の要の役割を果たしていた。

 そのルーアンがラシアンにいるのだから、軍に何か動きがあったと考えてもおかしくはないだろう。


 しかし、彼女から返ってきた言葉は、意外そのものだった。


「それがね、違うのよ、シェーナちゃん。わたし、突然休暇を頂いたの。期間はよく解らないのだけれど、召集がかかるまでは好きにしていていいらしいわ。それで、久しぶりに遠方に行ってみようと思って……七日前くらいに、都を出たのよ」


 ルーアンは、小さな手を顎に運び、小首を傾げながら瞬きをする。

 その後、もしかしてシェーナちゃんもいっしょなのかしら、と付け足した。


「……妙だね」


 人が、流れる。

 一歩一歩、歩調を合わせて歩きながら、二人は一瞬だけ顔を見合わせた。


「……ええ、ちょっと、考えてしまうわね」


 シェーナも、ルーアンも……そして、聞くところによるとルーアンの知人の異能者も数名、休暇をもらっているらしい。

 これは、今までのヴァルドの姿勢としては有り得ない話だった。


 ヴァルド軍は、自国に対しての守りは徹底的で……欠員が出れば瞬く間に補充する。一時たりとも守りの手を抜かず、四方の国の見張りも欠かさない。

 戦闘員の要である異能者の配置もとても慎重に行っており、穴という穴が無い。

 シェーナたち異能者は、いつでも動くことができるようにと、常に監視エリアでの待機を命じられていた。


 それが、こうして急に休暇を出されるということは、守る必要が無くなるということ……ヴァルドを飲み込もうと虎視眈々としているセレスやアーリアに無条件降伏するとか、確実な和平を結ぶとか……それ以外には有り得ないことだ。


 いったい、国は何を──。


「……」


 考えに耽っていると、隣から、囁くような、可愛らしい声が響いてきた。

 それは声ではなく、頭に響いてきたルーアンの想いだった。


『きっと、だいじょうぶよ、シェーナちゃん』


 ふと隣を見ると、にっこりと微笑むルーアンと目が合う。


『休暇を出した異能者の代わりに、強力な交代要員が入っているという噂も聞いたし……もしかすると、そこまで気にすることではないのかもしれないわ。たまにのお休みだもの、ゆっくりしましょ』


 ルーアンはシェーナの服を軽く引っ張ると、近くにあったカフェを指差した。

 たくさんの人でにぎわっているその喫茶店には、一つだけ空いているテーブルがある。

 今度は声に出して、シェーナへと問いかけた。


「あそこに入らない? 今はちょっと混んでそうだけど、歩きつかれて足ももう……」


『今なら混んでいるから、監視がいたとしても会話もうまくごまかせると思うわ。道も、ここで終わりみたいだし』


 同時に頭に全く別の言葉が聞こえてきて、シェーナは両方に対して返事をする。


「やるね、ルーアン。よさそうなカフェじゃない! 私もへとへとだよ」


 二人は店に入ると、明るく話しながら席へとついた。ヴァルド人の旅行者を装って、他愛のない会話を進める。

 シェーナが四方八方の様子を伺い、ルーアンが周りに異能者がいないか察知し、二人ともが顔を見合わせて頷いた後、それまでの会話は泡のように消えていった。


 シェーナが軽く溜息をついて、ルーアンが軽く微笑んで、少しの時間が経った時、ルーアンはそっと口を開く。


「ね、シェーナちゃん……これ……」


 微かに、長い袖を動かし、小さな光るものをシェーナへと手渡した。


「これは……?」


 渡されたものは、銀色に光る、細身の指輪だった。

 指輪の内側には、細身なのにも関わらず、細やかな刻印が施してある。


「いつか、またシェーナちゃんに会う機会があったら、渡そうと思っていたの。けっこう経ってしまったけれど……肌身離さず持っていて良かったわ。……それ、はめてみてくれる?」


 ふわりと微笑んで、ルーアンは言った。

 昔と全く変わらない、とても柔和な笑顔。

 けれどどこか、懇願するような表情でもあった。


 シェーナはためらうことなく、それを指へとはめた。


「……ぴったりだ……すごいね、ルーアン。相変わらず手先が器用……。それに、これ、シンプルだけどとっても綺麗……」


 微笑むと、ルーアンは照れたように笑う。

 その後少し俯いて、それから、正面を見据えて言った。


「シェーナちゃん……あなたに、これを着けていてほしいの」


「……え?」


 シェーナが首を傾げると、ルーアンはいつものやわらかな微笑みとは打って変わった真剣な表情で言葉を紡ぐ。


「これは、わたしが能力の逆作用を利用して、少しずつ時間をかけて創った指輪よ。他は全部失敗して割れてしまって、残ったのは……成功したのは、これだけ。これがあれば、わたしの『想い』は指輪に吸収されて、シェーナちゃんには伝わらないわ」


 組んだ両手をぎゅっと強く握り締めながら、ルーアンは何かを強く念じた。

 シェーナはルーアンの声を聞くのを止め、自分の頭へと意識を傾ける。

 しかし、聞こえてくるはずのルーアンの想いは、微かにさえ聞こえなかった。


 どうして?

 シェーナが表情で問うと、ルーアンは続けた。


「……あなたは、わたしの大切なお友達。……わたしの心の想いが、声が、制御不足で時々そのままシェーナちゃんに伝わってしまうこと、これからもきっと、シェーナちゃんは気にしないって言ってくれると思う。今までも、気にしないって言ってくれていたわね。……聞こえるから対処できることもあるよって言われることもあるかもしれないわ。──でもね」


 ルーアンはカフェの外へと、先ほどから走り回って遊んでは注意されている小さな子供たちに目をやり、それからシェーナへと視線を戻すと、これ以上ないくらいの、華やかな微笑みを見せる。


「大切だからこそ、大好きだからこそ、分かち合いたくない想いもあるの」


 その微笑みは、今までシェーナが見てきたルーアンの表情の中でも、とても印象深いもので──シェーナは、はっと息を呑んだ。


「──うん」


 シェーナは笑った。

 色々考えてしまうのが普通なのだろう。

 いつものシェーナなら、色々と考えてしまうはずだ。


 けれど、今は。

 今は、ただ、笑っていたいと思った。


 相手の笑みが、とても素敵で、華やかで。

 だから、笑いたいと思った。


 目尻が緩み、唇が笑みをかたどる。


「わかった、ルーアンと任務で組む機会が無い限り、これは着けておくよ」


 シェーナが言うと、ルーアンはティーカップを片手にそっと微笑んだ。

 碧の瞳が少しだけ揺らめいて、細められる。


『ありがとう、シェーナちゃん……』


 どこからか、声が聞こえた気がした。


 シェーナは今は指輪をはめていることに気付いて、そして、今の声はきっと、ルーアンの素敵な笑顔が何かを歌ったのだと思った。

 その歌を──今は、知ってはならないのだと。


『……』


 微笑み返すシェーナへと、ルーアンはそっと届かぬメッセージを贈る。

 半分はシェーナが自然と感じ取り、もう半分は、外からの、少し冷たい爽やかな風に乗って流れていった。


「ルーアン、気をつけてね」


 ラシアンの、ヴァルド首都側の門付近でルーアンに手を振る。

 夕刻になって橙色に染め上げられたラシアンの街は、どこかあたたかいような、切ないような雰囲気を醸し出していた。

 商店街の店々は看板を下ろし、閉店の支度を進めている。


「──じゃあね、シェーナちゃん、また今度ゆっくりお茶しましょう」


 ルーアンは手を振り返すと、今後滞在するらしいラシアン付近の町目指して歩いていった。

 橙に光る銀の髪の流れる先を見送って、シェーナは目を細める。


 ただただ、一心に、大切な親友の無事を祈った。





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