第7話 蓬莱の島で総統は斃れし魂を悼む

2021年9月19日(日)

台北・永和寓所台湾総統公邸


「ええ、そういうことになります。基地と空港、港湾使用の条件は後ほど担当に詰めさせます。

 さしあたって我々の望みは先ほど申し上げた、ただ一点のみです。

 また、万一の政府亡命について亞倍首相と話をしていたのですが、ご存じの通り……ええ。日本政府へそちらからも情報連携いただきたいのです……ありがとう。それでは」


 台湾では既に深夜にもなろうかという午後11時。

 しかし、まだ午前10時を時計の針が指しているワシントンへの通話を切ると、中華民国台湾総統・蔡英文ツァイ・インウェンはどこか満足げに微笑んだ。


(これでいい……)


 9月の台北。灼熱の中にもどこか南国のカラリとした爽やかさを感じられる夏は過ぎ去り、秋が早足で訪れる時節である。

 そうは言っても日中には気温が30度を当たり前のように超える。台風の襲来も頻繁であり、1年の中でもっとも降水量の多い季節だった。

 昼間の執務を行う中華民国・総統府とは離れた場所にあるこの永和寓所は、言うなれば総統の私邸である。もちろん、さきほどの電話のように、深夜でも処理しなければならない仕事があれば、持ち帰ることも多々あるのだが、ここは彼女のプライベートエリアだ。


 『総統』とは、台湾における大統領にあたる役職である。

 もちろん、民主化を果たして久しい台湾においては、選挙によって総統が選出される。2016年にはじめて総統になった蔡英文だったが、2020年の1月に再選を果たすまでの道のりは平坦ではなかった。


(率直に言って……苦しかった)


 2020年総統選の以前、蔡の支持率は低迷していた。台湾の経済状況は絶好調にはほど遠かった。中国大陸へ多数の企業が進出していたものの、それは本土における産業の空洞化を意味していた。

 さらには、中国と台湾の特殊な関係を考えれば、中国大陸で多数の台湾企業が進出するということは、わざわざ首根っこを差しだして、中国共産党に掴んでもらうようなものだった。


 経済の圧迫のみであればまだ良い。

 進出企業経由での諜報活動やサイバー攻撃は枚挙にいとまが無く、おおむね台湾は中国に対して防戦一方と言ってもよいほどに苦しんでいたのだ。


(香港がすべてを変えた)


 風向きが一気に変わったのは、香港における騒乱以降である。

 有無を言わさぬ弾圧を続ける香港警察と、その背後にはっきりと存在する強権強圧国家・中国の姿を見て、台湾人は震え上がった。

 だが、その震えは恐れではない。彼らは怒っていた。怒りに震えていたのだ。


『台湾よ、我々のようになるな』と叫びながら、香港警察のゴム弾に倒れていく学生の姿は、中国共産党がどんな存在であるか、すべての台湾人にはっきりと再認識させたのだ。


 中国への対決姿勢をアピールする蔡英文の支持率はみるみる上昇した。

 2020年1月。総統選挙での得票数は、実に史上最高の810万票であった。台湾の人口が2300万人であることを考えれば、いかに多くの有権者が実際に投票所へ足を運び、蔡に票を投じたかが分かるというものだった。


(これでもう一国二制度に祖国が飲み込まれる心配はない……)


 一国二制度。それは一言で言えば、中国が20世紀に失った清帝国以来の領土を取り戻すための深慮遠謀だった。

 交渉によって国境が確定しているロシア・沿海州方面を除けば、中華人民共和国━━すなわち、共産党統治下の中国が主権を取り戻せなかった領土は3つである。


 1つ。ポルトガル統治下のマカオ。

 1つ。英国統治下の香港。

 そして、最後の1つが他でもない。中国共産党との国共内戦に敗れた中国国民党が逃亡した台湾であった。


 中国は高らかに宣言した。これらの地域に中国本土の社会制度をすぐに適用することはしない。今のままの制度を認めよう。

 そして、違う社会制度の下でゆっくりと『1つの中国』に戻っていこうではないか。

 何も恐れることはない。共産主義を怖がることはない。今のままの自由を認める。


 さあ、だから戻っておいで……というわけだ。


(マカオはもともとダメだった)


 一国二制度が提唱されたのは1980年代はじめのことである。

 だが、マカオについてはそれより早い段階で中国本土に取り戻す目処がついていた。1966年という冷戦真っ只中の時代に起こった親中派によるマカオ暴動によって、宗主国・ポルトガルは実質的に支配権を喪失していた。

 もっとも、実際の主権返還は1999年までずれ込んでいるが、これは中国にとって急ぐ必要がなかったからに過ぎない。。


 マカオでは一国二制度によって、見かけ上、広範な自由が与えられている。ポルトガル統治時代以来の言論の自由もあることになっており、通信の検閲も存在しないことになっている。

 しかし、独立心に富んだ香港の多様な産業とは異なり、マカオ経済は絶対的なカジノ依存である。

 GDPの半分以上、実に政府歳入の8割にも及ぶ。これではオイルマネーに依存する中東の首長国のようなものである。

 もちろん、カジノで稼いでいると言っても、中国共産党の庇護と政治的安定━━つまり絶対的な親中姿勢の固定化あってのものであり、逆らいたくても逆らいようのない鳥のカゴ、それがマカオだった。


(そして、遂に香港が犠牲になろうとしている……)


 英国統治下の香港。そこには自由があり、混沌があり、狭い土地ながらも繁栄を極めたその経済力は、かつて中国すべてにも匹敵するほどであった。

 だが、永遠の繁栄は世界のどこにも存在しない。1898年にイギリスが当時の清帝国と結んだ99年間の租借条約は遂に期限を迎え、1997年に香港は中国へ返還された。


 マカオの返還が2年後の1999年であることを考えれば、香港の返還は一国二制度が実際に適用されたはじめての事例ということになる。


 当初、確かに中国は香港の制度をそのまま残していた。だが、それは中国から見れば当然のことである。

 返還当時、香港の一人当たりGDPはおおむね先進国の水準にあった。しかし、1997年の中国は着実な経済発展が進んでいるとはいえ、到底、先進国と比べられるような水準ではなかった。1人当たりのGDPは香港と中国で実に数十倍もの差があったのである。


 何より香港はアジアにおける巨大な金融センターであり、それは自由あってのものだった。

 中国からすれば、一国二制度の名の下、香港に自由を許してやれば、無尽蔵にも近い富が勝手に流れ込んでくるのである。金の卵を産む鶏そのものと言えた。


(その繁栄がせめて……香港に『高度の自治』を認めた50年後まで本当に続いたのなら、どんなに素晴らしかったことだろう)


 それはすなわち、中国本土が香港に追いつけるほどの経済発展を成し遂げることができず。香港が中国に対して圧倒的な優位を保持し続けた仮定の世界。

 おそらくその時、2042年まで香港の『高度の自治』は続いたかもしれなかった。あるいは、中国はそれを延長し、共産主義体制に組み込むことを断念すらしたかもしれなかった。


(……まったく、どんなに素晴らしかったことだろう)


 しかし、現実は香港にとって、そして台湾にとって、あまりにも過酷だった。


 21世紀を迎え、人類経済史上に特筆すべき高度成長を継続した中華人民共和国は、42年間もの間、世界経済大2位に君臨し続けた日本をも抜き去り、アメリカの背中を捉えるのではないかという勢いで膨張を続けた。


 その経済成長は、悲しいことに香港とは切り離されたものだった。香港が中国に比例して豊かになったわけではなく、中国本土が一方的に成長したのである。しかも、それは香港の持つ金融センターとしての地位を最大限に活用したものだった。

 つまり、香港は中国本土という胴体に生き血をすすられた、指のようなものであった。


 そして、2018年。

 香港と目と鼻の先にある巨大産業都市・深センは遂に香港のGDPを抜き去った。少なくとも数字の限りにおいて、香港の経済的優位は中国の一都市と同レベルまで低下したのである。


(中国はいよいよ牙をむいた)


 香港における騒乱の原因は、本土への犯罪人引き渡し法━━つまり、香港の自由の中で逮捕された者が、自由のない中国本土へ引き渡されてしまう法律の検討がきっかけとされている。

 だが、それはつもりに積もってきた無数の重し、そのラスト・ワンピースに過ぎない。いよいよ導火線が爆弾までつながったに過ぎない。


 それまでも香港はじわりじわりと自由の城壁を削られ、穴を開けられていた。

 香港人による選挙だけでは、いかなる決定的作用も及ぼすことができない議会構成。ほとんど何の成果もあげることが出来なかった雨傘運動。


 さらには、香港近郊鉄道MRT・東鉄線に乗ってほんの30分。山手線を半周するほどの時間をかければ、彼らは凄まじい勢いで発展し続ける深セン市を直接見ることができた。

 香港の古く、汚く、しかし何とも愛嬌と魅力のある密集ビル群を、過去の遺物とあざ笑うような超現代的高層ビルが建ち並んでいた。半導体のパーツ1つから、産業ロボットまでカバーする製造業は、午前中に発注した新設計の部品が、午後にはサンプル品になって届くという究極のスピードで動く一大工業地区であった。


 そこに住まう人々は香港人が長年、どこか下に見てきた『中国人』である。

 大声をあげて話し、列に割り込み、誰かを押しのけて前に進むことを当たり前とする人々だった。

 けれど、そんな彼らが1年、2年、あるいは半年、3ヶ月経つたびに、マナーらしいものをじわじわと身につけていくのである。『香港人』よりずっと粗野だと思っていた『中国人』が、恐ろしいスピードで自分たちのレベルへ追いついてくるのである。


 それは広い目で見れば、深センや上海のような特に現代的経済発展を進めた都市に限った珍しい現象かもしれなかった。

 だが、香港の人々にとってどれほど恐ろしかったことだろう。彼らはどんどん自分たちのレベルに近づき、追い越そうとしている。しかも彼らが信奉するものは、自由や民主主義ではなく、一党独裁と言論統制の国家体制なのである。

 そんな人々が十数億人! 深セン市だけでも1200万人! たった800万人足らずの香港を圧倒しようとしているのだ!


(香港の人々にとって……もう後ろへ逃れることはできなかった)


 かつて中国国民党が台湾へ逃げ延びたように、海を渡って50年の一息をつくことなど、香港の人々には出来なかった。

 返還当時に西欧諸国へ移民した富裕層のように、行動の自由を保障するほどの絶対的豊かさは、返還後に生まれた香港の若者には残っていなかった。


 21世紀の香港はダンケルクでもキスカ奇跡の撤退でもなかった。

 壇ノ浦どん詰まりだったのだ。


「だから彼らは立ち上がった。戦った。我々、台湾人民に大いなる覚醒を促して……彼らは散っていった」


 台湾は中国にやられっぱなしではない。列国に比べても、長く、深い対中諜報網を持っている。

 その諜報活動によって把握されたところでは、香港における民主派の掃討は最終段階に入っている。


 行方不明となった香港の民主派は少なくとも数千人。その殆どが法の後ろ盾なく、密かに中国本土の収容施設へ送られており、激しい拷問を受けているばかりか、勇武派衝突の最前線にいた者については既に数百人以上が処刑され、臓器売買の供給源とされているというのだ。


「犠牲となった彼らに……せめてもの安らぎを……」


 猫好きの蔡英文は二匹の猫を飼っている。今、彼女の膝にいるのは蔡想想ツァイ・シャンシャン。雌のトラ猫である彼女は、主人の肩にあがると頬に流れている液体を舐めとった。

 だが、その塩辛い液体は次から次へと流れ落ち、止まる様子がなかった。

 蔡想想ツァイ・シャンシャンは不思議そうに首をひねった。窓の向こうには建国の父、蒋介石が眠る中正紀念堂が見えた。

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