第2話 ハクトウワシの長は大いに吠える

2021年9月6日(月)

アメリカ合衆国・ホワイトハウス


「……シンゾーの容体はどうだ?」

『以前、予断を許さないとのことです。最初の一発は脇腹をかすっただけでしたが、二発目が右脚の動脈を貫通していたようで……大量に出血したらしく、現在も意識不明とのことです』

Godガッ……Damnデム……!!」


 WWEワールド・レスリング・エンタテイメントのリングにパワースラムをぶちこむような勢いで、第45代アメリカ合衆国大統領・トランプの拳がレゾリュート・デスク大統領の机に叩きつけられた。


「フゥ」


 そして、対戦相手をノックダウンした直後のような勢いで息を吐くと、トランプは机に備えつけられた小さなボタンを押す。


『失礼します、大統領閣下』

バトラー執事、今日はまったくひどい気分だ。私の大切な友人が生死の境をさまよっている」

『大統領閣下の心情、お察し致します。よく冷やしたコーク、常温のコーク、レモン入りのコークをお持ちしております』

「常温のやつをもらう。それと、あとで出来たてのビッグマックを持ってきてくれ。ウーバーのデリバリーじゃないぞ! 奴らは遅くてかなわん」

『はっ!!』


 レゾリュート・デスク大統領の机は実に130年もの昔、英ビクトリア女王から当時の合衆国ヘイズ大統領へ贈られた、伝統の大統領専用デスクである。

 その格調ある机に、およそ品格の欠片も感じられない紙カップにそそがれた常温のコカ・コーラが置かれた。トランプはストローも使わずにごくりと一飲みする。


(これだ……)


 そんな様子を見つめながら、補佐官の一人であるジミー・アンターソンは思う。

 4年半前ならば━━つまりトランプ大統領が誕生してから間もない頃であれば、誰もが眉をひそめたであろう。


(これこそが我らのトランプ・スタイルなのだ)


 だが、去就はげしい大統領直属スタッフを、5年もの長きにわたって勤め上げているジミーには分かる。


 この飾り気のないスタイルこそが、トランプ大統領のやり方なのだ。そして、大統領を支える人々のスタイルなのである。大都市の品格と意識・・にあふれた人々の対極に位置する、伝統的なアメリカ魂を持つ農場主や畜産家、汗と泥にまみれる労働者たちのスタイルなのだ。


「ジミーよ、どう思う。神はシンゾーを守ってくれるだろうか」

『恐れながら申し上げます、大統領閣下。2つの理由から、私はプライムミニスター・アベが助かることを確信しております。

 まず1つ。日本の医療体制は優れております。

 そして、もう1つ。プライムミニスター・アベは大統領の親友であります。ほかならぬ合衆国大統領の親友を、神がお見捨てになる道理がありません』

「そうだ……そうだったな。そうとも……シンゾーは死なないとも。

 私には分かっているんだ、ジミー……だが、さすがに少しショックだったよ。長年付き合った恋人を、乱入してきた暴漢に撃たれた時のような気持ちだった……」

『……誠にお察し申し上げます』


 トランプは深刻極まりない表情で大きく息を吐いた。

 チェアにどっしりと巨体を沈めるその様子は、疲れきり、気力を喪失しているかのようにも見える。


「では、次の件だ。調査官、報告せよ」


 だが、彼の唇が二の句を継いだ瞬間、全身には気力がみなぎり始めた。

 先ほどまでのショックなど消えてしまったかのように、ぎらりとした目が大統領執務室内のスタッフを見ていた。


(大統領閣下の偉大さは、この切り替えの速さだ……)


 ジミーにとっては何度となく見た光景である。しかし、どれだけ見ても感嘆を覚えずにはいられない。

 たとえ、どんなに衝撃的な出来事に見まわれた際でも、トランプは気持ちの切り替えが早いのだ。


 そして、徹底的である。かけがえのない親友である亞倍晋三が生死の境をさまよっていることに、彼が最大級の衝撃を受けていないはずがなかった。

 それでもひとたび脳内を別のタスク仕事に切り替えたならば、トランプは瞬時にすべてを忘れ去る。だが、いつでも思い出すことができる。

 こうして頭の中を別の色に染め上げて、新しいタスクに全力を注ぐのだ。元より、経営者や政治家の多くが持つ能力ではある。

 だが、ドナルド・トランプほど徹底的ではない。まさに類い希なる異能であり、覇権国家の最高権力者になるべくして生まれ持った能力と言えた。


『ご報告申しあげます、大統領閣下。先日より極秘調査を進めておりました、我が合衆国に対するチャイナ・ウィルス新型コロナウィルステロ計画の詳細が掴めました』

「私が知りたいのは、イエスかノーか。その答えだけだ。中国による計画なのかどうか、だけだ」

『……100%の断言は致しかねますが』

「繰り返させるな、調査官」

『……イエスであります、大統領閣下。あまりにも多くの証拠が中国によるウィルス・テロ計画の存在を肯定しています。

 これは恐るべき計画です。強毒化した新型コロナウィルスをきわめて高濃度に培養した上で、米国の中枢に放つテロです。

 もちろんワシントンも、このホワイトハウスすらも攻撃の対象です。我々スタッフのみならず……各長官、さらには大統領ご自身をも、チャイナ・ウィルス新型コロナウィルスと濃厚接触・感染させて命を奪おうという、恐怖の計画です』

「おのれ、習近平シー・ジンピンめ!!」


 そう叫ぶと、トランプはほとんど空になっていたコーラのカップを握りつぶした。当年とって74歳の握力とは思えないプレス機にかけたような潰れ方である。トランプへ出す飲料の容器に、ガラスが危なくて使えない理由でもあった。


「これまで我々がどれだけ譲歩してやったと思っている!? 奴らは武漢からウィルスを全世界にばらまき、何百兆ドルもの被害を出した……それでいながら、世界の衛生に貢献したような顔をしている!

 だが、合衆国は寛大で慈悲深い……許してやったのだ! 去年も! 今年の第2次流行も! 我が合衆国の製品をいくらでも買うと言うから、許してやったのだ!!」

『このテロは人類史上、類をみない恐るべき計画です。事実上、合衆国中枢に対する暗殺計画ともいえるものです。あのおぞましき9.11ですら、この計画の邪悪さには及ばないでしょう』

「暴露だ! 報復だ!」


 大統領執務室内を歩きまわりながら、トランプは拳を振りあげる。

 彼は怒り狂っていた。瞳には憎悪の炎が渦巻き、世界すらも焼き尽くすかのようだった。


「もはや合衆国は中国を座視しない! 我々の寛容は限界に達した! 直ちに対中コミットメントの草案を作成しろ!」

『はっ!』

「許さん……絶対に許さんぞ、習近平! お前なんかもう友人ではない! 決して許さんぞ!」

『大統領閣下、失礼いたします。ビッグマックをお届けにあがりました』

「いいタイミングだ、バトラー執事! 私は今、合衆国のカロリーを必要としている。

 むぐ……はむ……うむ、やはり合衆国のハンバーガーは最高だ!

 ━━よし、次の案件だ」

『申し上げます、大統領閣下。議会における立法処置の動向ですが……』


 世界を驚愕させる怒りの炎は、しかしビッグマック1つでシャットダウン処理され、新たなタスクがトランプの意識を支配していく。


 だが、大統領からの指示はすでに下されたのだ。あとは、アメリカ合衆国という国家システムの仕事である。


 行政と司法、議会と軍の関係者。もちろん主要メディアまで。

 あっという間に『中国の計画が発覚した』という形で、チャイナ・ウィルス新型コロナウィルステロの情報が共有されていく。これまでの比ではない、とてつもなく強硬な対中コミットメントが発表されるという観測が世界を駆け巡る。

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