第二十四話 天使


 結婚晩餐会がお開きになった後、新婚夫婦は新居に仲良く二人で帰っていった。


 その夜、夫婦の寝室でのことである。何でお前が初夜の中継までしているのだ、というツッコミを入れるのは少々お待ちいただきたい。これには深ぁい訳があるのだ。


 大体僕だって姉夫婦の濡れ場だなんて勘弁して欲しいのだ。前回だって朝チュンを発動したわけだし……


 二人が侍女のグレタも下がらせ、着替えてそれぞれ入浴した後のことだった。ザカリーは浴室から出てきた姉の腰をそっと抱いて軽く口付けた。


「ああ、ガブ、やっと二人きりになれた。覚えていますか、数日前に俺が言っていたこと」


「ええ、嬉しい知らせがあるって言っていたわね。あの白鳩のお祝いのことではなかったの?」


「違います。もっともっと喜ばしい知らせです」


「まあ、何かしら?」


「当ててみませんか?」


 ザカリーはニヤニヤしながら姉の下腹部を優しく撫で始めた。


「まあ、ザック……もしかして私たち……」


「はい。年明けには俺達の所に天使がやってくる予定です」


「わ、私、嬉しいわ……貴方の……」


 姉は感極まって言葉が続かなかった。白魔術師のザカリーは彼の特殊な魔力で胎児の存在を感じることができて、なんと生まれる前から意思疎通が出来るのだった。


 姉は両手で子宮の辺りを触ってみるが、まだ妊娠の実感も湧かない。それもその筈である。白魔術師の見立てはどんな医師よりも妊娠検査薬よりも早く正確なのである。


「ガブ……」


 ザカリーは涙ぐむ年上の妻を優しく抱き締めて背中をさすってやっていた。




 姉は結婚して初めてザカリーに高祖母ビアンカの手記を見せた。それによると、高祖母は妊娠しにくい体質だったのか、中々子供が出来なかったらしい。やっと妊娠しても一男一女に恵まれる前に三度も流産を繰り返していたのだ。


 彼女は妊娠が続かないことには夫婦二人の魔力が強すぎるためではないかと考えていたようだが、結局原因は誰にも分からなかったらしい。


 それでも無事に生まれて来た子供二人は魔力こそ引き継いでいなかったものの健康体で、成人し天寿を全うした。ありがたいことだ。


 でなければテネーブルの血筋は絶え、うちの父も僕も姉も存在していなかっただろう。テネーブル公爵家の代々の墓は王都の貴族墓地にあるが、高祖父母のたっての願いで彼らだけは思い出の覚醒の地、我が家の裏の丘で永眠している。


 というのも夫婦は生まれることが叶わなかった三人の子供達をその丘に葬って、墓石として小さな天使像を置いていた。だから夫婦二人の墓は三体の天使像に囲まれているのだ。


 子供の頃から高祖母ビアンカの手記を読んでいた姉である。自分が覚醒し大魔力を手に入れた時にはもう将来自分が子供を産める確率は普通の女性よりもずっと低くなるのではないかと考えていた。


 それにザカリーの求婚を受けた時の歳が歳ゆえ、子宝に恵まれる望みはあまり抱いていなかったようなのだ。それも結婚に踏み切ることを姉が最初躊躇していた理由の一つである。




 夫婦は安定期に入るまで妊娠のことは誰にも言わないことにした。そして二人の新婚生活は順調に滑り出す。グレタ以外の使用人は通いで、小ぢんまりとした郊外の新居で幸せに暮らしている。


 二人は貴族として貴族社会で働いていたものの、社交界にも出ず、貴族の知り合いと付き合うこともあまりなかった。相変わらず二人で休日に出掛けるとしたら市や劇場、といった庶民の集まる場所だった。外出中はもちろん二人共魔法で姿を変えていた。




 しばらくすると姉にも妊娠の自覚症状が少しばかり出てきたようだったが、まだ悪阻つわりも始まっていなかった。その頃姉夫婦を一度食事に呼んで会っていたが、姉は元々お酒を一切飲まないし、鋭いクロエも何も気付かなかった。


 彼らが結婚して一か月ほど経った頃だったろうか、ある朝姉は目覚めると隣で寝ている筈のザカリーが居ないのに気付く。大抵姉の方が先に目覚めて彼を起こすのが習慣だったのだ。


 姉の若い夫は既に起きて朝日が差し込む窓際の椅子に座って彼女の方を見つめていた。


「ザック、お早う。どうなさったの?」


「あ、いや……何でもないよ。ちょっと昨晩は眠りが浅くて早くに目が覚めたから……ガブ、気分はどう? よく眠れた?」


「ええ、今朝は気持ち良く目が覚めたわ」


 起きぬけの姉は逆光でザカリーの顔が良く見えなかったが、彼の様子が少しおかしいことなどすぐに分かった。


「そう、良かった。ゆっくり支度して下りておいで。俺は下でコーヒーを飲んでいるから」


 体を起こした姉の手を軽く握って唇に一瞬口付けたザックはすぐに部屋を出て行った。そこで彼女は非常に嫌な予感がしたのだ。


 朝食を一緒にとっている間、姉の目にザカリーはから元気を振り絞っているようにしか見えなかった。沈黙が耐えられないとでも言うように他愛のない話題を次々と姉に振ってくるのである。


 その後、夫婦はそれぞれ出勤して、その日午後最後の授業が入っていなかった姉は早めに帰宅していた。夕方、ザカリーの帰りを玄関で迎えた姉の顔を見るなり彼は何と声を上げて泣き出したのだった。


「ガブ、ガブ……」


 そこで姉は朝の嫌な予感が的中したことをすぐに悟った。そしてわんわんと泣きじゃくる若い夫を優しく抱きしめた。


「ザック、もしかして……私たちの天使に何かあったのね……」


 姉はザカリーの手を引いて寝室に行くことにする。号泣していた彼が落ち着くまでしばらくかかった。夫婦はそのまま、夕食もとらず、灯りもともさない暗くなっていく部屋でしばらくの間無言で寄り添って座っていた。


 ザカリーはやっとその重い口を開く。


「今朝早く、赤ちゃんが俺を呼ぶ声がして目が覚めたんだよ。『お父さまとお母さまに会えるのが楽しみだったわ……』その一言だけ聞こえて、今朝はその後何も聞こえなくなった。まだ存在は感じられたけど、嫌な予感がして、不安に駆られたけれど俺はどうしようもなくて、それでも貴女に余計な心配もかけたくなかった。よっぽど今日は仕事を休めって言おうかと思ったけれど……」


 確かに、この世には妊娠検査薬も超音波検査も存在しないのだ。その時点で医者に診せても、まだ妊娠でさえ確認できないから無駄だったろう。


「それで、先程帰ってきた貴方は、その……」


「うん。赤ちゃんはもう天に召されて、本当に天使になってしまったのが分かった……『短い間だったけれど、二人に愛されて幸せだった』最後に聞いたのがその言葉だよ」


 ザカリーは再び涙を流し始めた。


「女の子なのね?」


「うん。俺には最初から分かっていたけれど、貴女にいつ言おうか楽しみにしていたのに」


「私たちの天使アンジュ……ザック、彼女のことをマリー=アンジュと呼びましょう」


「マリー=アンジュ……良い名前だね」


 夫婦は王都外れにある庶民の墓地の一区画を購入し、生まれてくることのなかった長女、マリー=アンジュ・ルソーの墓をそこに建てた。


 ザカリーは白魔術のお陰で胎児、いやそれ以前の胎芽の存在まで分かり、しかも意思疎通が出来るのである。姉一人ではマリー=アンジュの妊娠も早期流産も気付かずにいた可能性が大きい。


 姉よりもザカリーの方がしばらく塞ぎ込んでしまって、悲しみを乗り越えるのに大層時間がかかったのだった。




***ひとこと***

ビアンカとクロードの子供達のことはシリーズ本編では触れませんでした。というのも彼らは他作品の同年代の主人公達よりも数年遅れてやっと子供を授かったからなのですね。

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